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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第117回:ロビンソー・クルソーの冒険 その4

更新日2020/05/14

 

くだんの救世主たるフランスの若者も、乳飲み子を抱えて鉄の自作艇で大西洋を渡り、カリブに向かうところだった。マリーナにヨットを着ける際、彼のアイデアは、赤ん坊の実物まがいの人形にロープをつけてポンツーンにいる誰かに声をかけ、同時にその人形を投げてはどうだろうかというもので、どんな人でも必死になって赤ん坊を受け止めるだろうし、人形と分かっても舫いロープは取ってくれる…はずだ…というのだ。

アイデアは一つだが、それを実行するのは別のことだ。私が“ロビンソン・クルーソー”を訪れた時、デッキに傷だらけの実物大の赤ん坊人形が転がっていたのが、それだった。ギョットして逃げる人もいるので、効果の程は100%保障付きではないということだった。

アルヘシラスでの出産、Gのマリファナ密輸での逮捕、“ロビンソン・クルーソー”の船籍、スペイン税関からの放免、そして船外機の修理、ジブラルタルでの喜劇的接岸などがあっても、イヴの口から、ヨットを投げ打って子供を引き連れてイギリスに帰るという考えは微塵も浮かばなかったようなのだ。

元はといえばGが半生を賭けて自作したヨットをイヴは自分のものとし、地中海へヨットを持って行き、そこでセーリングをしながら地中海沿岸を回る夢への第一歩を踏み出したのだ。それこそ、イヴのイヴたるところだった。

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イビサ島第二の町、San Antonio(サンアントニオ)

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Casta del Sol, Torremolinos(太陽の海岸、トレモリーノス)

イヴは“ロビンソン・クルーソー”を駆って、スペインの海岸沿いに寄航しながらゆっくりセーリングし、港町デニアからイビサの、サンアントニオに取り付いたのだった。サンアントニオはイビサ島第二の町だが、人々は「あれはイビサのトレモリーノスだ…」(コスタ・デル・ソル=太陽の海岸;マラガ県にある大衆向け有名避暑地)と呼ぶほど、夏のハイシーズンの大混雑と冬場の落ち込みの差が激しいところだ。

イヴが着いたのは6月半ばだったから、観光のピークに差し掛かる時期で、イヴは即猫の手も借りたいパブ(スペインではプブと呼ぶ)でバーテンダーの仕事を見つけ、15、6になっていたドミニークもホテルの食堂のボーイの職を得た。まだ乳飲み子だったキャシーはマーシャが看た。

夏の間は何とかそれで過ごすことができたが、秋になり、パタリとシーズンが終わると、ホテルもバー、カフェテリアも、ブティックなどすべてが閉店になる。イヴは15キロ離れたイビサ市街にあるイングリッシュ・センターで英語教師の仕事に就いたのだった。車どころかモペット(49ccの原付バイク)さえ持たないイヴは、行きはバス、帰りはヒッチハイクで通勤していた。そのうち、イビサ港内に船を回し、そこに錨を下ろせば、通勤が一挙に楽になると当たり前のことに気づき、“ロビンソン・クルーソー”を回航するすることにしたのだ。

イヴがどのようにチャーター客を見つけ、手作りの30フィートカタマランで、しかもティーンエイジャー二人と乳飲み子を同居させながらセーリングしていたのか、一体そんなことが可能なのか、奇跡を見ているようなものだった。わざわざ飛行機でイビサにやってきて、あの汚れ放題のヨットの狭いキャビンに寝るためにお金を払うチャーター客がいること自体が不思議だった。“ロビンソン・クルーソー”はおよそ優雅な地中海セーリング、チャーターヨットのイメージからかけ離れたものだった。オフシーズンの回航チャーターに味を占めたのだろう、翌年から、イヴは本格的チャーター業を始めたのだった。

“ロビンソン・クルーソー”の両舷に“チーポ・セーリング”(Cheapo Selling;激安クルーズ)と赤い字で書いたキャンバスを張り、イギリスからの1週間、2週間のチャーター客がない時には、ホテルに滞在している観光客の日帰りセーリングツアーを始めたのだ。もちろん、スペインのチャーター許可証もなく、チャーターヨット、ボートに課せられるハードルの高い安全基準、ライフジャケット、ライフラフト(救命いかだ)、救難信号、無線、ライフライン(ヨットのデッキに張り巡らせてある落下防止ワイヤー)などなど、一つとしてクリアしていないことは確実だった。

イヴの子供たち、ドミニークとマーシャに対する方針はほとんど無責任に近い放任主義だった。ドミニークが船に帰らない日が続いても、イヴは「彼ももう一人で生きていく歳だわ」と言い、別に気に止めていない様子だった。マーシャの方も、ベビーシッターから開放されると、潜り込めるディスコに行き、そこで一杯奢ってくれる男を見つけるのに何の問題もなく、それを面白おかしく語るのだった。

昨夜はマンチェスターから来た労働者風のオトコ、その前はドイツのお兄ちゃん、最高はアラブの大金持ちのバカ息子と、自分がいかにモテモテで男どもが言い寄ってくるかを悪びれもせずに自慢気に話すのだった。イヴは、「私も13、4歳の頃には、率先してティーシャツを脱いだものよ…」と、超オクテの私の度肝を抜くようなことを平気で言うのだった。

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イビサ港内のクルブ・ナウティコ(ヨットクラブ)

その当時、スペインがEC(European Community;欧州共同体)に入る以前のことだが、建前として外国人は6ヵ月の滞在が許されていた。その間、当然のことだが現地で働き賃金を得ることはできない。だが、観光地にあっては、不法滞在、不法労働は当たり前で外人に対する労働法は実体のないザル法だった。私が朝の買出しで旧市街の市場に降りて行った時、ドミニークが地元の警察官に尋問を受け、しょっ引かれるところに出くわしたことがある。

ドミニークはニキビ顔を真っ赤に染め、盛んに英語で抗議、言い訳をしていたが、もちろんお巡りは英語が分からず、スペイン語でともかく警察署まで来いの一点張りだった。私が割って入ると、両者ともに天から助っ人が降って沸いたように、私に向かってドミニークは英語、お巡りはスペイン語でまくし立てたのだ。ドミニークは『バール・マリアーノ』界隈で観光客相手にマリファナを売っていたのを、そこにたむろしていたスペイン人ドラッグディーラー(と言っても、ケチなマリファナの売人)が、俺たちのナワバリを荒らすイギリスの小僧がいると警察に垂れ込んだことのようだった。

ドミニークは何グラムだかに小さく分けたマリファナを数袋持っていた。私は少量のマリファナではたいした罪にならないから、ともかく警察署に大人しく行けと諭し、その足で“ロビンソン・クルーソー”のイヴに知らせるためクルブ・ナウティコ(ヨットクラブ)のポンツーンから精一杯大声を張り上げてイヴを呼んだのだった。ようようイヴがハッチから顔をヒョコンと出し、私を認めると、今すぐ迎えに行くとばかり頷き、空気が半分抜けたゴムボートでやってきた。

ドミニークが警察にしょっ引かれたことを伝えると、こっちが気抜けするほど、ああまたか、彼は未成年だから拘留されずに、少しお灸を据えられてすぐに釈放になると言うのだった。それより、船でお茶でも飲まないかいと誘うのだった。今書きかけているヤング・アダルト(少年少女)向けのファンタジー小説が3部まで仕上がったから、それを読んでくれないかと言うのだ。私がクルブ・ナウティコの桟橋に着いた時、タイプライターを叩く音が静かな海面に反射していたのはイヴだったのだ。

私は自分が英語の小説を読みこなし、しかもそれを批評どころか意見を述べる能力などないことを十分承知していた。どうにか英語を乱読ぎみに手当たり次第に読み散らしてはいたが、探偵ものやミステリーがほとんどで、英米文学をきちんと読み込んだことなぞなかった。私は押し付けられるようにローヤルタイプライターで打った100枚近いイヴの作品を手渡されたのだった。

私がその時感動したのは、イヴの小説ではなく、どんな環境の中でも、彼女のモノを書くという姿勢、エネルギーと集中力だった。放任しているとはいえ二人のティーンエイジャーと赤ん坊を抱え、異郷で赤貧洗うような生活をしながらも、モノを書き続けているのはチョットやソットでできることではないと感じたのだ。作品そのものへの評価は、作者がどのような環境下で書いたかとは全く別の次元のことだと理屈で知っていたにしろ、間近にイヴの浮遊者に似た生活を見ていたから、なんでもいいから出版に漕ぎつけ、ベストセラーとまではいかなくても、少しは売れて欲しいと願わずにはいられなかった。

当時、トールキンの『指輪物語』(The Lord of the Rings;J・R・R・トールキン著)が幅広い人気を集めていたが、『ハリー・ポッター』(Harry Potter;J・K・ローリング著)が出るかなり前だった。飛ばし読みしたイヴの幻想ファンタジー小説は、双子の姉妹だけが知っているギリシャだかローマ時代の門を秘密のやり方で潜り抜けると、別世界に入っていくことができる…というスジだった。

2、3日後、イヴにその原稿を返した時、自分の英語の能力ではとても語感や細やかな表現のことなど分からないが、イヴの文章には独特のリズムがあるように思ったこと、本離れをしている若い人たちに本を読む楽しみを与え、小説、お話に彼らを引き戻す可能性があるのではないか…と、ありきたりのお世辞を言ったのだった。

イヴは私を覗き込むように灰色の目を真剣に見開き、聞き入ったのには恐れ入ってしまった。私はターゲットにしている若年層に読んでもらうのが良いのではないかとも言ったところ、イヴは自分のティーンエイジャーの息子、娘は全く本なぞ読まない、彼らは3ページ以上の文章に集中することなどできない、イングリッシュ・センターの英語教師たちはそれ以下だ、と突き放すのだった。

 

 

第118回:ロビンソー・クルソーの冒険 その5

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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