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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第118回:ロビンソー・クルソーの冒険 その5

更新日2020/05/21

 

“ロビンソン・クルーソー”とイヴたちはイビサに3、4年いたと思う。ある日、いつも湾の奥に錨を降ろしているはずの“ロビンソン・クルーソー”の姿が消えたので、クルブ・ナウティコ(ヨットクラブ)に係留している週末だけ漁に出ているプロとは言えない釣り師に訊いたところ、あいつらはアンカー禁止地区に居座り、ここの施設を利用し、鼻つまみ者だった。港湾局も何度も立ち退くよう警告を出していたし、クルージング許可証(ヨーロッパの国々ではヨット、ボートで入国する時、その国の海域をセーリングし、寄航するための許可証を発行していた)もなく、グアルディア・シビル(Guardia Civil;黒いエナメルのボナパルト帽をかぶったフランコ時代からの治安警察)が乗り出し、2、3週間前に忽然と立ち去ったと言うのだ。

その夜、『タベルナ(Taverna』に立ち寄った時、オーナーのマーティンにイヴの消息を尋ねたところ、イヴの愛人、キャシーの父親のGが刑期を終えて出獄するので、喜び勇んでカルタヘナへ向かったと言うのだった。

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イビサ一番の老舗カフェ「Cafe Montesol」、ホテル1階のテラス席

その後幾日かして、朝、旧市街に下りて行ったところ、マーシャが『モンテソル(Montesol)』のカフェテラスにいるのが目に飛び込んできた。『モンテソル』はイビサの町ではハイエンドの高級カフェで、ティーンエイジャーのマーシャにおよそそぐわないところだ。マーシャはその時15歳になっていただろうか、スエットパンツ(パステルカラーのジャージがその頃流行っていた)をお尻の割れ目に食い込むように履き、袖なし、おヘソ丸出しルックのTシャツのような布切れを体にピッタリと張り付かせていた。私はにはブラジャーなんか必要ないのよ…とばかり、オッパイの下半分が見える長さしかないシャツ姿だ。

マーシャのファッションがイビサで特別過激と言うわけではない。もっと露出している女性はたくさんいる。だが、マーシャの場合、いかにも田舎臭く、貧乏臭く、在り合わせの服でディスコ・ファッションたらんかなとしているのがミエミエで哀れさを漂わせていた。ただ、マーシャにははち切れんばかりの若さがあった。

向かいに座っている一見アラブ風の三十男がマーシャのスポンサーなのは見て取れた。こちらは、キンキンキラキラ夕陽が沈む…と思わず口に出そうなほど、どこもかしこも金ピカで、太い金鎖のネックレスにはダイヤらしき透明の石が嵌め込まれ、ブレスレットも金、その上、普通の人なら恥ずかしくてはめることができないような金にダイヤを散りばめた腕時計をしているのだった。

二人はいかにもディスコの朝帰り風で、薄っすらと脂の浮いた気だるい表情をしていた。私はベスパを止め、「アレッ? お前はイヴと一緒じゃなかのか? それとも、もう“ロビンソン・クルーソー”はカルタヘナから帰ってきたのか?」と尋ねてしまってから、ワンテンポ遅れてクダンのキンキラ彼氏に自己紹介した。

彼の口から出てきた英語は正統というのかBBCアナウサーのような発音の英語で、若い時からイギリスで過ごしたことを伺わせた。そして、儀礼的握手を交わしたのだが、30代の立派な体格の男があんなにグニャリ、ポッチャとした手の平を持つことができるのだろうか、まるでナマコを握ったような手応えのない、一種気味の悪い手だった。握り方にも力なく、良きに計らえ、とでもいうように手を差し出したのだろうか…。私の友人で箸とマージャンパイより重いモノは持たないことを身上にしている男がいるが、彼の手ですらクダンのアラブ氏より余程しっかりしてる。

マーシャは、「マミィーはGのことになると全くホープレス(希望、望みがない)で、すぐにイビサに帰ってくると言い残して去ってからもう3週間になるけど、全く音信がないわ…」云々と、盛んにイヴのことを愚痴るのだった。私はお前とドミニークはどこに寝ているんだ、よかったら俺のところに来いと口から出かかったが、危ういところでそんな安易な誘いの言葉を飲み込んだのだった。それまでに、私は自分の生活を守るためには、ドアを閉めなければならないことを高い授業料を払って学んでいた。実際、ケチなドラッグの売人になったドミニークとディスコ狂いのマーシャを一部屋しかない私のアパートに同居させたら、とんでもないことになっていただろう。それにしても、彼らを助けることができるのに、それをしなかった罪というか後悔の念が残った…。

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ディスコ『KU』、プールサイドの見物客

イビサのディスコテカ(discoteca)には、入口やゲートに入場をチェックする体格の良い男が頑張っている。入場係兼バウンサー(bouncer;用心棒;ディスコ内で泥酔したり、暴れだした客をつまみ出す役)で、当時、イビサ一番人気のディスコ『KU』のバウンサーはアンヘルという元レスラーのチリ人だった。彼は『カサ・デ・バンブー』のセミ常連で、私がスペイン本土から来た友達を観光案内よろしく何度か『KU』に連れて行った時など、アアお前かと、タダで入れてくれたりする仲だった。

アンヘルにマーシャのことを、「あんな未成年の子供をディスコに入れて、酔っ払わせてもいいのか? 法に引っかからないのか?」と冗談めかして尋ねたところ、「おまえ、そりゃどこの国の話だ? あのアマども目当てに大いに散財してくれるスケベジジイは良い客なんだぞ…」と言うのだ。マーシャと彼女の仲間のことはよく知っていて、いつも駐車場に屯し、豪華な車で乗りつける女性を連れていない御仁に取り付き、一緒にディスコに入り込むのだそうだ。アンヘルに言わせれば、「あいつらはディスコ・プータ(ディスコを根城にする娼婦)だ」と切り捨てるのだった。

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 Benalmádena(ベナルマデナ)のマリーナ

それから数年後、私はイビサを引き払いスペイン本土の南、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)のリゾート地マルベーリャ(Marbella;マラガ県の県都)に職を得て住んだことがある。土日は周りの町や村をくまなく探索し、アルヘシラスからフェリーでモロッコまで足を伸ばしたりした。漁港やマリーナを回るのも楽しみだった。

ベナルマデナ(Benalmádena)のマリーナは、この太陽の海岸のなかでとりわけ豪華なヨット、大型のボートが集まるところで、高級レストラン、ブティックが軒を並べ、きれいに日焼けしたやんごとなき風情のヨット、ボートの持ち主がカフェテラスに陣取っているのだった。100フィートや200フィートのヨットと言うより“シップ”に近い船が並んでいる様は壮観だった。

豪華マリーナを建造する時、元々そこにあった船溜まりの漁師との契約だと想像するのだが、港内ではあるが、東側の外れに、掘り込みをせず浅いままの海面に浮き桟橋があり、およそマリーナにそぐわない小さな漁船が並んでいた。その低い岸壁に、“ロビンソン・クルーソー”が上架されていたのだ。陸に揚げられた“ロビンソン・クルーソー”は、今にも朽ち落ちてしまいそうな哀れな様相だった。

マストはどうにか立っているものの、斜めにだらしなく垂れ下がったブームに汚れた灰色のセールが乱雑に縛り付けてあった。カタマランはキールがないので、船腹をコンクリートの地べたにこすり付けるように陸揚げできる。“ロビンソン・クルーソー”もほとんど私の目の高さくらいにデッキがあり、コックピット、キャビンに通じるコンパニオンウェイ(通常は階段)にはドアもなく、雨風に吹き曝したままになっているが見て取れた。イヴたちが“ロビンソン・クルーソー”を去ってから相当な年月が経っていることは明らかだった。

船体とコンパニオンウェイに張り紙がしてあった。大きな活字で“PRECINTO”(封印=差押物件)とあり、仰々しく大きなスタンプを押した紙に、税関が差し押さえたものであるから、異議申し仕立ては沿岸警備隊の法務事務所ならびに税務署に連絡せよ…とあった。

私があまりにも熱心に“ロビンソン・クルーソー”を見ているのを不思議に思ったのだろうか、日焼けしたマリーナの警備員兼雑役夫が寄ってきて、お前はこの船の持ち主がどこにいるか知らないか、あのイングレッサ(inglesa;イギリス人女性)はすぐにイギリスから帰ってくる、その時に溜まっているマリーナフィーをまとめて払うと言い残し、1年以上音信がなく、料金を踏み倒して逃げてしまった。こんな場所喰い虫のゴミの山のような船を差し押さえたところで、かえってゴミヨットを処分するのに金がかかるだけだ。かといって、マリーナで勝手に処分することもできず、裁判所からのお達しを待っているところだ、と言うのだった。 

イヴに長年住んだ船を置き去りにしてイギリスに帰らなければならない辛い事情があったのだろうか、それとも釈放になったGがスペイン滞在が許可されず、国外追放の形でイギリスに追われ、イヴはキャシーを連れてGの後を追ったのだろうか・・・

それが、私が“ロビンソン・クルーソー”を見た最後になった。イヴも私の視野から消えた。

『タベルナ』に足を踏み入れる時、赤ん坊のキャシーを抱いたイヴがカウンターに陣取っている幻想から、なかなか逃れることができなかった。私の腕に飛び込んできたキャシーは10歳くらいの少女になっていることだろう。そして、イヴが書き続けていた幻想的な小説は完結したのだろうか、うまく出版に漕ぎつけたのだろうか。

 

 

第119回:アパートの隣人、キカのこと

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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