浜松町と羽田空港を結ぶ東京モノレールは、東京に住む人よりも東京へ出向く人のほうが詳しいかもしれない。私は東京の南で育ったので、モノレールに乗る機会は少なかった。羽田空港へ行く場合は蒲田駅からバスに乗った。京浜急行が羽田空港に到達してからは京急を使う。羽田空港には飛行機を眺めたり、土産物店を冷やかすために出かけるけれど、バイクや車のほうが多い。それでもモノレールへの興味はあって、ぶらりとモノレールに乗って景色を眺めた。
当時の羽田空港駅は現在の羽田空港第1ビル駅だ。その後、2004(平成16)年の12月に羽田空港の第2ターミナルが開業し、モノレールは約900メートル延伸した。新駅は羽田空港第2ビル駅と名付けられ、旧羽田空港駅は羽田空港第1ビル駅に改称された。私にとっては900メートルとはいえ未乗区間が増えた。近所だから大喜びで出かけても良さそうだが、実際には機会がなかった。いつでも行けると先延ばしにしたし、用事があるときについでに、という思いもあった。しかし空港に用事があるときは急ぐから、位置的に遠回りになるモノレールは使いづらかった。
犬の散歩中に眺めるモノレール。
それでもモノレールを見かけるたびに、乗りたいという思いはある。実は我が家から東京モノレールの線路は近い。犬の散歩で線路の下を通る。クルマで都心へ出かけるなら、首都高速1号線でモノレールと併走する。電車で浜松町辺りを通りかかれば、上空を進む列車が見える。晴れた日にモノレールを見かけると、颯爽とした姿にほれぼれする。首都高とモノレールの併走区間は視界が開けている。おそらく東京23区の公共交通機関で、もっとも車窓がダイナミックな路線ではないか。運転せずに眺める東京湾岸はどんな眺めだろう。
ひと仕事終えた翌朝。私は京浜東北線の北行き電車に乗った。良い天気だ。東京モノレールの未乗区間に乗るだけなら、ちょっと長めの散歩をすれば途中の駅に出られる。しかし敢えて遠回りして始発駅へ向かった。未乗区間の羽田第1ビルと羽田第2ビル間はすべて地下なのでおもしろくない。久しぶりの東京モノレールだし、全区間を乗り通したい。JR東日本の傘下になってから初めての乗車体験でもある。
久しぶりに訪れた浜松町駅は便利になっていた。かつては南口改札を出て階段を下り、また階段を上がった。そこにモノレールの切符売り場があったけれど、ホームはさらに上階にあって、また階段をぐるぐる上らされた。空港利用客は荷物が大きいのに、なんでこんなに不便なのだろうと思ったものだ。それがどうだろう、現在はコンコースの隣にモノレール乗り換え口ができている。もともと隣同士のビルだから、手を結んでフロアをつなげればこの通り、というわけだ。便利だな、と思う反面、なぜ開業時からこうしなかったのかと思う。
JRからの乗り換えが便利。
東京モノレールは日立運輸、現在の日立物流を中心に作られた。しかし、2002年に株式が譲渡されてJR東日本の傘下になった。羽田空港が移転拡張して京浜急行が乗り入れてから、モノレールの業績が悪化。そこへJR東日本が名乗りを上げ、京浜東北線、山手線とのネットワークを密にして京急に対抗しよう、というわけだ。構想としては浜松町から北へJRの線路上を延伸し、新橋や東京と結ぶという案もあるらしい。東海道線に浜松町駅を作るほうが現実的か。神田と秋葉原の間で途切れた線路をつないで、東北本線と東海道本線の長距離列車を直通させる計画がある。楽しみだけれど、いつになるかは解らない。
ホームは相変わらず線路1本。
ホームに上がってしまえば昔と変わらない。線路が1本、その両側にホームがある。私は混雑する列車を見送って次の列車に乗った。車窓のどちらも見たいので席には着かない。モノレールの車体は構造的に中央部が高くなっていて、そこにある席に座れば左右両側を眺められる。けれど相対的に窓の位置が低いから、立っていた方が眺めやすそうだ。運転席の真後ろの席にも行ってみたけれど、前面ガラスの上半分が濃く着色されている。ガラス張りで展望が期待できそうだが、その結果として運転席は直射日光や海からの乱反射に晒されるのだ。
列車はぐいぐいと力強く動き出した。ゴムタイヤで駆動しているせいか、乗り心地が柔らかく感じる。私は右側のドアの窓から下を見下ろした。モノレールは東海道線の線路群をまたぎ、上りのモノレール列車とすれ違った。単線のホームを効率よく使うために、駅の手前ですれ違うダイヤが組まれているのだ。見下ろせば新幹線がすれ違う。山手線と京浜東北線が競争する。模型を眺めるようにおもしろい風景が田町の手前まで続き、列車は左にグイっと曲がる。建物群をすり抜けて首都高速をまたぐ。続いて急下降して線路を潜る。この線路は新幹線の大井車両基地へ向かう回送線だ。
JRの線路群を見下ろす。
東京モノレールと新幹線の開業は1964(昭和39)年。同じ年に首都高速が羽田空港の西側に到達した。おそらく首都高速と新幹線の線路が先に通じたのだろう。したがって、新幹線と高速道路は水平なのに、後から作られたモノレールは上下する。どれも計画から建設までは時間がかかっただろうから、昭和30年代後半はこの辺りの空中権の奪い合いだったのではないか。次々に建設が進む時代の名残。高度経済成長が産んだダイナミックな空中軌道たちである。
東京モノレールと首都高速羽田線は仲良く並んで羽田へ向かう。前方に高層ビル群が建ち並ぶと天王洲アイルだ。この地域の再開発に合わせて1992(平成4)年に作られた新しい駅である。なぜかモノレールの左側に高い建物が多く作られ、右側は倉庫街が広がっている。日本航空の本社もここに移転した。ホテルもある。交通公社もある。東京の新しさを感じる風景として雑誌などにも紹介される。しかし、ここや品川付近の高層ビルが海からの風を遮ってしまうため、都心部分の気温が上昇する現象が報告されている。ビル群の連続は山のようで、東京を盆地にしているのだ。この風景を見れば納得できる。
新幹線と首都高速道路。
天王洲を出るとモノレールは海上を走る。橋脚はすべて海中から立ち上がり、視界が開けている。窓から下を覗けば水面が見える。なんで水上を走るのだろうか。近くの埋め立て地を取得できなかったか、遠慮したか、それはわからないけれど、おかげで見晴らしは良い。隣の高速道路を走る車も気持ちよさそうだ。普段の私はあちら側で、大型スクーターやクルマで気持ちよく走っている。しかし、この首都高速は湾岸線が開通するまではとても混む道だった。今も上り線は浜崎橋で混雑するけれど、その比ではなかった。羽田空港や横浜と都心を結ぶ唯一の高速道路だったから全区間渋滞になることも珍しくない。
一方、モノレールは開業当初、浜松町から空港までノンストップだった。そのあとで停車駅が増えたけれど、それでもモノレールのほうが速い。マイカー族に対して優越感を得られたはずだ。しかし今は混雑も珍しくなり、平日の朝の下り車線は空いている。クルマとモノレールの競争になるが、モノレールのほうがやや速い。もっとも、首都高速の制限速度は時速60キロだ。クルマが駅付近以外の場所でモノレールを追い越したらスピード違反確実である。
この辺りからの車窓は左側が楽しい。運河の向こうには約3kmにわたって公園が整備されている。京浜運河緑道公園、大井埠頭中央海浜公園だ。空と水の青、木々の緑が映える。東京で海と空が近いという車窓は少ない。この風景を見るだけでもモノレールに乗る価値があると思う。青い空にキラリと輝く点が見えた。羽田空港を発着する飛行機である。モノレールはここからいよいよ空港エリアに入るのだ。
水上を行く。
-…つづく
第141回からの行程
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