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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第17回:バッハを聴く資格 その7

更新日2022/03/17

 

■余談としてのカツラ談義

全く私的なことだが、最も初めからこのコラム自体、論文でもなく、具体的な事実を記述したものでもなく、バッハと私の私的関係、一方的に私の方からバッハへの片思いにも似た感情を綴ったものだが、私的なことというのは、若かりし頃、スコットランドにいたことがある。その時、受け入れ先の家だったか、学校だったかが、右も左も解らない外国人どもに演劇やコンサート、女王陛下の夏の離宮などなどへ引き回してくれた。

その中に裁判所があり、実際の裁判を傍聴した。何の裁判だったかは何も覚えていないのだが(もっともその当時の私の英語力、ましてや、すざまじいスコットランド訛りでは、とても理解できなかったはずだが…)、裁判官だけでなく、弁護士、検事も例の白い巻き毛のカツラを被っていたことだけは覚えている。60年も前の話だが…。

イギリスの最高裁でカツラが廃止になったのは2007年のことで、通常の刑事事件では未だにカツラを被らないと法廷侮辱罪になる。滑稽なのは、旧英国植民地、アジア、アフリカ、カリブの島々でも、黒人の裁判官、判事、弁護士が、白い巻き毛のカツラを被っていることだ。ハッキリ言って、あれは黒い肌には似合わない。もっとも、あんなカツラが似合う人種は存在しないが…。

ありもしない権威を衣装で示威しようとするのは、どんな国の王権や宗教にも見られることだ。女王陛下の謁見の衣装であり、ローマ法王の派手派手しい法衣などだ。それに、烏帽子やカツラを付け加え、平民に俺はお前たちとは位が違うのだと、見せ付ける現象自体、特に変わったことではないのかもしれない。

カツラの歴史は存外古く、人類史が始まってから、何らかのカツラを工夫して被ってきたようだが、ヨーロッパでカツラが固定したのは、コロンブスが中南米から持ち帰ったとされている梅毒が広がってからだ…という説を聞き、さもありなんと、奇妙に納得した。

その説によれば、梅毒の症状の一つとして、頭髪が抜け落ちることがあり、禿げは梅毒に罹っているのでは?と世間は観ていたらしい。そこで、梅毒持ちも、ただの禿げも、俺は私は梅毒持ちではない、とアピールするために、我も我もとカツラを被り出したというのだ。そして、どうせ被るならファッショナブルにと発展し、フランスの宮廷華やかなりし時、カツラ全盛時代を迎え、それを真似てイギリスの宮廷、オーストリア、ドイツ各地に広がったものらしい。

No.17-01
ポンパドール夫人のカツラ姿

No.17-02

フランス、ルイ16世のカツラ姿

エリザベス女王(1世)が本来なら正当な王位継承権を持つ従妹のメリー・スチュアート(スコットランド女王)の首をチョン切らせた時、痩身美形で長い金髪をたなびかせ、宮殿だけでなく、戦場まで駆け回り、兵士の士気を鼓舞したメリーの生首を、首切り役人が当時の習慣に従い、彼女の豊かな金髪を掴み晒そうとしたところ、髪の毛だけが持ち上がり、生首の方、頭、顔部分がコロリと落ちてしまった有名な話がある。メリーの豊かな金髪はカツラだったのだ。

私などが思うのは、冷房設備など存在しない時代、羊の毛を盛り立てて作ったカツラを被らなければならないのはなんと暑苦しいことだったろう…ということだ。

真白いカツラの最上のものは、白馬のシッポで、羊の毛は普及品扱いだった。白馬の絶対数は少ないから貴重品扱いだった。ロシア産の黒テンの毛皮が珍重されたのと同じファッション感覚だったのだろう。

当時のカツラ師という職業は、なかなかの高給を取っていた。裁判官や王宮の侍従が頭に載せる決まり切った型のものですら、庶民には手の出ない高価なものだったし、王宮のパーティーなどで、王族、貴族が衆を競って、私のモノが一番よとばかり、他を睥睨するようなカツラはドレスより高価だった。

白馬のシッポ、純白な羊の毛を集めることに始まり、それから、混じり気のない純白のモノだけ選り分け、それをハックル(hackle)と呼ぶ、何百本もの釘を打ったブラシで漉き、ムダ毛を省き、ツヤを出し、それから焼き鏝(コテ)でカールさせるのだが、この焼き鏝のサイズ、種類が半端でなく、大きく緩やかにカールさせるものから、クルクルと丸く巻き上げるものまで数多くあった。

もちろん、そんな作業は本人の頭に載せてからするのではなく、当人の頭の形、サイズに似せた木型に被せて行う。その木型には、網のようなメッシュが張られ、そこへ一本、一本植えつけるように馬のシッポ、羊毛を絹糸で縛り付け、豊かな白髪のカツラを作っていたから、とてつもなく手間隙の掛かる作業だったことは間違いない。

ご当人の頭にカツラを被せてからも大変な作業が待っていて、小さなフイゴに白い粉を入れ、それを髪に吹きつける。その際、顔に白粉がかからないように、それ用のマスク、仮面舞踏会の時のような顔全面のマスクを被せ、粉を振り撒く。その時、粉を吸い込まないよう長い広口漏斗のようなものをご当人の口元に当て、それを通して呼吸して頂く、とまことに道具立てが大掛かりなのだ。振り掛けるパウダーも真っ白ではつまらない、バラの花の香りとピンクの色付けをしたものが流行ったりで、この業界も色々企業努力をして、生き残りを図っていた。

今でも一流のヘアードレッサー、とりわけ映画スターやセレブを相手にしている美容師の稼ぎは天文学的なものらしい。

バッハの時代の音楽家は、宮廷のやんごとなき風情の人々を満足させるため、もしくはいとも賢明なる市参議員、崇高なる教会関係者の下で働かざる得なかったから、音楽家はそれらの人々に気に入れられるように作曲、演奏し、服装、カツラも習慣に従って粗相のないように整えた。

カツラを被らない音楽家は、ベートーベンが最初ではなかったか。頑固に自分の生き方を通した結果、赤貧のうちにウイーンで亡くなったのだが…。

No.17-03
カツラなしのベートーベンの有名な肖像画
<ヨゼフ・カール・シュテーラ作>

私の旧友のアキが小学6年の時、このベートーベンの肖像画を模写した。荒っぽい筆使いで、原画を上回る出来栄えだ…と私には思えたのだが、その絵を未だにくっきりと覚えている。アキは画家にならなかったが…。

市参事の要望で描かれたバッハの肖像、頑固で気難し屋だったバッハを見せてくれるが、ベートーベンの肖像と比べる時、かの偉大なバッハですら、時代の子だったとの思いを強くする。

-…つづく

 

 

第18回:天国の沙汰も金次第 その1

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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