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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第427回:流行り歌に寄せて No.227 「長崎の夜はむらさき」~昭和45年(1970年)

更新日2021/08/26


今から22年半ほど前、私が店を始めるまでに13年半ほど働いてた会社は、従業員の数700人足らずの中堅メーカーだったが、創始者が長崎県の五島の出身の方で、とにかく九州出身者が多い会社だった。

営業所と工場を持つ事業所は、東京、千葉、川崎、明石、広島、北九州、長崎と数ヵ所あったが、要職に就いている社員、そして役員のほとんどが九州出身者だった。

東京の東銀座にあった本社部門のフロアには80人近くの、会長、社長をはじめ役員と社員が働いていたが、その4分の3は九州人、経理部などは全員がそうであったこともある。

彼らの出身は、九州7県すべてからであったが、やはり長崎県と福岡県の出身の方々が多かったように思う。

私の勤務していた管理事業本部の本部長であり常務取締役のN部長も、長崎県の五島の出身者だったが、この方はなかなか五島訛りが抜けない方で、正直最初はいろいろと苦労をした記憶がある。

会社に入ってから大学の二部に入り、勤務と学業をきちっと両立しながら、猛烈に仕事をして、常務取締役までになった、いわば苦労人であった。

勤務中は、ご本人も少しはわかりやすく話すことを心掛けていらっしゃったようで、何とか業務指示の内容は理解したが、よくご馳走になった酒席になると、なかなかたいへんであった。

リラックスして早口で話されるので、何をおっしゃっているのか聞き取れない。わかるのは固有名詞と、最後の「おう?」というこちらの返答を促す言葉だけである。あとは、まったくお手上げだった。

いろいろ推測するのだけれど理解することは無理なので、愛想笑いをし、「そうですね、そう思います」などと答えると、「何で? K(私)はそう思うのか?」とそれだけは聞き取りやすい言葉が返ってくる。怒っている。どうやら、私に否定を促す質問をしたようだ。

よく怒られもしたが、何回も店には連れて行ってくださった。その部長がカラオケでいつも必ず歌う歌が『長崎の夜はむらさき』だった。

「瀬川瑛子は長崎だもんね。私の青春時代の曲よ」と、とても親しみを込めて話してから歌いだされる。この言葉は訛ってはいたが、何回か聞いていたのでわかるようになった。そして「あ~あ 長崎~」と気持ちよさそうに歌っておられた。

この部長は、数年前70歳になるかならないかで亡くなった。私の直属の上司だった方も、原子力発電所の定検作業で上司だった方も、みな大変にお世話になった方々が数年前に、やはり70歳そこそこで亡くなってしまった。

何度となく叱られ、ほんの少しだけ褒めてくださった皆さんが、もうこの世にいないことを考えると、とても寂しい思いがする。


「長崎の夜はむらさき」  古木花江:作詞  新井利昌:作・編曲  瀬川瑛子:歌
            

 

<歌詞削除>

 

 

「雨にしめった讃美歌の」というのは、かなり面白い表現だと思う。雨の日の礼拝で讃美歌を歌っているときは、確かに湿りがちな心持ちになるのは、私も何度か経験している。

浦上地区は、原爆の爆心地となったところ。被爆の際は、多くの人々が水を求めて浦上川に入っていったそうだ。また浦上川沿いには浦上天主堂、日本二十六聖人記念聖堂などカトリックのキリスト教にまつわる建造物が立っていて、カトリック信者の数が多いと聞く。

讃美歌というのは、主にプロテスタント教会に於いて歌われるものなので、小さい時から教会通いをしていた私にとっては、この歌詞に少しだけ違和感を感じている。

作詞の古木花江は、偉大な作詞家である星野哲郎の別名義。彼は他にも金井さち子、阿里あさみ、菅野さほ子、片山エツ子など女性の名前や、結城隆麿、梅屋明など、実に数多くの別のペンネームを持っている。

その星野哲郎がイメージした「長崎の夜=むらさき」とはどこから来たのだろうか。前から書いているように、長崎を題材にした曲はかなり多いのだが、それらの曲に紫色が登場してきた記憶がない。

また、他の都市を扱った曲も数多くあるが、「ここの街は何色」と表現したものも、なかなか思いつかない。あえて言えば同じ紫色、ニューヨークを歌った「パープル・タウン」くらいなものか。

あるいは、アジサイとかキキョウ、スミレなどの花の色から連想をしたのだろうか。ぜひ伺ってみたかったと思う。レコード・ジャケットも『長崎の夜はむらさき』と書かれたタイトル文字は紫だが、バックの写真に映っている夜景は濃緑色なのである。

作曲の新井利昌(としあき)は、マウンテンボーイズ、サンズ・オブ・ドリフターズ、堀伊威夫とスイングウエストなどのバンドを経て、ロス・プリモスの曲のアレンジなども行なっていた。瀬川瑛子とは、昭和42年『涙の影法師』以来、彼女の歌手生活にずっと連れ添っている。

彼は、昭和50年代年代前半は梶芽衣子の曲の作曲も手掛けた。また、詰襟の学生服姿、15歳で異色デビューした藤正樹の『忍ぶ雨』の作曲もしている。まったくの偶然だろうが、この藤正樹の学ランの色も鮮やかなほどの紫だった。

さて、瀬川瑛子は『長崎の夜はむらさき』を出した頃は瀬川映子という字を使っていた。前述の『涙の影法師』でデビューした昭和42年から、ほぼ3年間ヒット曲がなく、彼女にとっては初めてのヒット曲となった。

『長崎の夜はむらさき』のヒット祈願への強い思いか、この曲を売り出した頃から、自分を長崎県出身と公表していた。実は、東京都渋谷区の出身であることを打ち明けたのは、デビュ−50年目の平成28年、今から5年前のことだったという。私の上司のN部長も、最後まで同郷だと思い込んでいたことだろう。

自分の出生地を変更してまでもヒットに繋げたい、という思いが叶って累計50万枚という素晴らしいセールスを達成したが、彼女は、また『命くれない』の昭和61年のヒットまで15年以上の雌伏、努力の時間があった。

この間、作詞の方は星野哲郎を始め、関沢新一、千家和也、伊藤アキラ、中山大三郎、作曲の方では新井利昌を始め、利根一郎、市川昭介、船村徹、古賀政男など、錚々たるメンバーが名を連ねている。

いわゆる「売れない時代」にこれだけの人たちが作り続けているというのは、かなり稀有な例だと思う。これはもちろん、彼女の歌唱の素晴らしさを皆が認めていたのは当然だろうが、何と言っても、彼女のおおらかな性格によるところも大きいと思う。

けっして自分を繕おうとせず、表裏のない柔和なお人柄が、多くの人の心を掴むのだろう。

そんな彼女の趣味は麻雀ということで、この時ばかりは、日頃の穏やかさは一気に影を潜め、鬼気迫るほどのオーラを発するそうだ。森光子とは8時間を超える勝負をしたこともあったとか。どのような打ち合いになったのだろうか。こういう場所には臨席を遠慮させていただきたいと思う。

 


第428回:流行り歌に寄せて No.228 「しあわせの涙」「幸せってなに?」~昭和45年(1970年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
著者にメールを送る

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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