のらり 大好評連載中   
 

■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想


更新日2022/04/07


 

第23回:ロレーヌの貴族たち



アンリ大公から年金をもらえる身分になったカロですけれども、カロの創作意欲を刺激するような注文も特になかったからか、あるいは貧しい人たちを描いた『男爵大将』の評判が良かったからか、カロは1624年に『ロレーヌの貴族たち』と題して、9.2㎝×14.4㎝のサイズの12点の版画を制作しています。

描かれているのはロレーヌ公国の上流階級の人々です。『男爵大将』に登場した、ボロボロの服を着ていた人たちとは大違いで、みんな実に手の込んだ豪勢な衣服を身につけています。

構図も、人物だけ描かれていた『男爵大将』とは異なり、背景にその人物とのつながりがありそうな景色が描かれています。カロが得意とする表現ですが、登場人物はナンシーでは名の知れた人たちなのでしょうから、本人の姿だけではなく背景を描いたのは、この人たちの身分を成り立たせている社会的な背景を描き込んだ方が、おそらくはこの人たちの心象もよく、それが版画の売れ行きにも関係すると踏んでのことでしょう。

ヨーロッパは今も昔も階級社会です。貴族階級と労働者階級との住まいや服装や暮らしぶりの差は歴然としています。ただ、王家がどうして王家で、公爵がどうして公爵なのか、一体全体何の理由でそうなったのか、ということに関しては、それなりの物語があるでしょうけれども、突き詰めて考えてみると、本当のところはよくわかりません。

もっと不思議なのは、その身分がどうして息子や孫に引き継がれるのかということです。かりに先祖の誰かが、その辺り一帯の人々の危機を救う働きをしたとして、人々がそれを感謝してその人に名誉ある地位を与えたとして、どうしてそれが代々受け継がれるのかに関してはよくわかりません。たぶん、昔からそうだったからとしか言いようがないことなのかもしれません。

イギリスなどは小さな王国の集合体ですけれども、その王国の城主は、たとえば昔むかしにその辺りを平定した、あるいは外敵から護った騎士だということになっていて、その騎士がいつの間にやら貴族となり、その家系が領主《ジェントリー》としてその地を治めているのだということになっていて、今でも広大な土地を所有していたり、貴族院の議員だったりします。

それが慣わしだと言ってしまえばそれまでですけれども、でも、どうしてそういうことが延々と続いているのかに関しては、よくわかりません。フランスもそうですし、世界中でそういうことが当たり前のようにして行われています。

ロレーヌ公国でもそうなのでしょう。大公がいて、いろんな貴族がいて、そういう人たちは屋敷や領地を持っていますから食べるには困りません。ただ何処かの国が攻めてきたりすれば、もちろん戦士たちを率いて、あるいは溜め込んでいたお金で傭兵を雇って戦わなくてはなりません。それをしてこその貴族、ということに建前としてはなっています。

ただ先祖の騎士はそうだったかもしれませんけれども、だからと言ってその子孫も勇者だとは限りません。ましてや身分が代々子息に引き継がれ、そういうことが常態化すると、そのうちそういう役目そのものが曖昧になって、王であること自体が重要で、王が民の上に立つということや貴族が広大な領地を所有して小作人を働かせることが当たり前のことのようになっていきます。

戦時でも、王侯貴族や騎士が方針を決めたり指揮をしたりしたとしても、実際に戦うのは、そして戦死したり負傷したりする人の多くは下っ端の兵士たちです。『男爵大将』に登場した人たちも、そういう人たちだったかもしれません。

ともあれ版画を見てみましょう。『大貴族』と題された版画には、豪華なコートを颯爽と羽織って真新しい帽子を手に持つ人が描かれています。靴には飾りまでついています。向こうに見えるのはおそらく彼の領地でしょう。


No.23-01
大貴族


『大きな羽飾りのついた帽子を被った戦士』という版画には、戦場を背景に、剣に手をかけた勇ましそうな若者が描かれていますが、随分立派ないでたちですから、位の高い戦士で、おそらく良家のおぼっちゃまなのでしょう。


No.23-02
大きな羽飾りのついた帽子を被った戦士


『大きなマントの女性』の背景には、教会から出てくる大勢の人が描かれていますから、おそらく温和な表情をしたこの人は信心深い女性だったのかもしれません。


No.23-03
大きなマントの女性


『毛皮のジャケットを着た貴公子』や『手を組んだ貴公子』も、いかにもという感じですけれども、それにしてもみんなかなりオシャレで、この頃は男性もファッションには随分気を使ったということでしょう。もちろん平民はこんな服装はできませんから、服装そのものが彼らの身分の象徴でもあったのでしょう。毛皮のジャケットの男性の革のブーツには拍車がついていますので、後ろに描かれている馬は彼の馬で、二人の男性は従者なのでしょう。

No.23-04
毛皮のジャケットを着た貴公子


No.23-05
手を組んだ貴公子


『仮面をつけた淑女』はこれから舞踏会か何かに行くのでしょうか。ずいぶん豪華なドレスです。手には一輪の花を持っていて、これはもしかしたら踊る相手に手渡すためのものかもしれません。背景には同じように着飾った貴族たちや馬車が描かれています。


No.23-06
仮面をつけた淑女


当時の貴族たちの様子が、こうして絵に描かれたおかげでよくわかりますし、全体に綺麗に彫られていますけれども、『男爵大将』の貧しい人たちに比べると、版刻された線に力強さがありません。版画の点数も、『男爵大将』は25点、『ロレーヌの貴族たち』は12点ですから、画家としてのカロの興味は、どちらかといえば貧しい人たちの姿の方にあったのでしょう。

-…つづく


 

 

 back第24回:三点の大判版画

このコラムの感想を書く


谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
著者にメールを送る

本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

アローAmazon 谷口江里也 著作リスト

アロー未知谷 刊行物の検索 谷口江里也
アローElia's Web Site [E.C.S]


■連載完了コラム
明日の大人ちのためのお話[全12回]

鏡花水月 ~ 私の心をつくっていることなど (→改題『メモリア少年時代』[全9回+緊急特番3回] *出版済み

ギュスターヴ・ドレとの対話 ~谷口 江里也[全17回]

『ひとつひとつの確かさ』~表現哲学詩人 谷口江里也の映像詩(→改題『いまここで  Here and Now』) [全48回] *出版済み

現代語訳『枕草子』 ~清少納言の『枕草子』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳 [全17回]

現代語訳『方丈記』~鴨長明の『方丈記』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語訳に翻訳 [全18回]

現代語訳『風姿花伝』~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳 [全63回]


岩の記憶、風の夢~my United Stars of Atlantis [全57回]
*出版済み

もう一つの世界との対話~谷口江里也と海藤春樹のイメージトリップ [全24回]
*出版済み

鏡の向こうのつづれ織り~谷口江里也のとっておきのクリエイティヴ時空 [全24回]
*出版済み

随想『奥の細道』という試み ~谷口江里也が芭蕉を表現哲学詩人の心で読み解くクリエイティヴ・トリップ [全48回]
*出版済み

バックナンバー
第1回:ジャック・カロを知っていますか?
第2回:カロの最初の版画
第3回:ローマでのカロ
第4回:フィレンツェでの幸運な出会い
第5回:最初の公的な仕事
第6回:地獄絵図
第7回:愛のキューピットがトスカーナにやってくる
第8回:祝祭都市フィレンツェ
第9回:ジャック・カロの発見
第10回:独自の路を歩み始めたカロ
第11回:劇的空間
第12回:聖アントニウスの誘惑
第13回:版画集『きまぐれ』
第14回:トスカーナの風景
第15回:三人の役者
第16回:聖地巡礼報告書
第17回:トスカーナの暮らし
第18回:ボヘミアン
第19回:スフェサニアの舞踏
第20回:異形の人々
第21回:男爵大将
第22回:ロレーヌ公国での仕事

■更新予定日:隔週木曜日