のらり 大好評連載中   
 

■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想


更新日2022/04/21 


 

第24回:三点の大判版画



アンリ大公の死後、ロレーヌ公国は大公の地位を巡って大混乱に陥りました。当時ロレーヌは経済状況や対外状況の面ではかなり苦しい状態にはありましたが、現在のドイツとフランスの間にあり、領地も大きく長い歴史を持つ由緒ある公国ですから、その統治権を誰が受け継ぐかは重要な問題です。

息子がいなかった大公が亡くなる前に指名した後継者は、大公と大公の二番目のお妃との間に生まれた娘のニコル・ド・ロレーヌ(ロレーヌ家のニコル)でしたけれども、しかし遺言状には、ロレーヌの統治者に関しては、まずはニコルの意思を最優先すべきではあるけれども、しかし夫のシャルルと相談の上どちらがロレーヌを統治するかを決めても良いと書かれていて、この曖昧性が陰湿な内紛につながりました。

ニコルは即位した1624年の時点ではまだ16歳で、平時ならともかく、カトリック教徒陣営と新教徒陣営とが対立を深め、フランスが虎視眈々とロレーヌ公国を狙う緊迫した状況を乗り切るには荷が重すぎるということは誰の目にも明らかでした。

そこで、老齢の域に入っていたアンリ大公に遠からず死が訪れることを見越した、やや政略的な結婚によって17歳でニコルの夫となったシャルルは、まずはニコルと共同で国を治めるという宣言をした後すぐに、百年以上も前の大公、ロレーヌ家の始祖と称されてきたルネ二世の遺言状に、大公は男子に限るとあるのを見つけ出し、それを公表して、ニコルとの共同即位は無効だったと公表して、すぐに自らの父でありニコルにとっては義父であるフランソワをフランソワ二世として即位させ、その上で、たった5日で大公の地位を息子に譲るという荒技を駆使して1625年、まんまと自らがシャルル4世として君臨するに至ります。ニコルが大公に地位にあったのはわずか一ヶ月ですから、シャルルとその取り巻きの画策のスピードたるや驚くべき速さです。

こんなロレーヌ公国の貴族連中が大公の地位やそれにつながる権利などを巡って大ぴらに、あるいは水面下で熾烈な闘い、というよりは醜い内輪揉め、あるいは陰謀合戦をしているなかにあっては、フィレンツェで盛んに行われていたような、領民を喜ばせる行事の開催など、まともにできるわけがありません。

当然のことながら、本来なら公国の行事を宣伝したり、歴史的出来事を記録として残す役目を持つ版画師であるカロに、まともな仕事が回ってくるはずもありません。

しかしカロはこの混乱の時期に、仕方なくと言うべきか、三点の大きな版画を制作しています。一点はアンリ大公の跡を継いだニコル・ド・ロレーヌに献げた『ロレーヌ宮殿の庭園』です。その作品(1625年、24.1㎝×38.4㎝)を見てみましょう。


24-01

カロ的な技を満載した、まるで自分はこのようなことができる超一流の版画師なのだということを誇示するような作品です。宮殿の庭園の前の広場では球技大会が開かれています。その様子を絵の下方の中心に、侍女たちに日傘を差しかけてもらって見学しているニコル大公がいます。

実に細かな絵で、宮殿での天気が良さそうな一日を楽しむ騎士たちや淑女たちなどの多くの人々の様子が描かれています。よく見ると宮殿は面白い空間になっていて、宮殿内部の庭園と、それを取り巻く宮殿、あるいは外部から見れば城壁のような役割をする土を盛り上げた塁で構成されていて、塁の内部庭園側の壁には彫刻が施されています。塁の上は屋上庭園になっています。

宮殿の外の平地に細かく描かれているのは、どうやら鹿狩りのようです。フランスのヴェルサイユ宮殿がそうであるように、庭園には左右対称の植え込みがあり、庭園の左右には水路が設けられていて船遊びができるようになっています。

右側の宮殿から橋を渡って出入りする淑女たちの姿も描かれていますし、水路の側の通路で喧嘩をしている人の姿も見えます。現在のペタンクのような大きなボールを転がす遊びをしている人もいれば、庭園の世話をしている人や土のようなものを手押し車で運んでいる人もいます。宮廷内部で権力抗争が渦巻いているとはとても思えない、のどかな情景です。


次の版画は『ニコラ・フランソワ司教』という題名で、版画としては特別に大きな作品です(1625年、66.5㎝×41㎝)。ニコラ・フランソワは、アンリ二世の甥でフランソワ二世の息子、アンリ二世の娘のニコルを失脚させて無理やり大公になったシャルル四世(在位1625-34年)の弟です。

彼もやがて大公になりますが、相当学識のある人物だったようで、1624年に司教に任命され、その後いくつもの修道院長を歴任しています。論文もたくさん書いていて、神学はもちろん、修辞学、論理学、物理学、哲学などの論文を矢継ぎ早に書いています。カロの版画には中段に、本を持ち聡明な表情をしたニコラ・フランソワが、さまざまな女神たちから祝福されている様子が描かれています。上段には、このような優秀な人物に育て上げるために尽力した人々の功績を讃える絵柄が描かれていて、天馬ペガサスに乗っているのは、フランソワ二世公爵、つまりは彼の父親です。そして下段に記されているのは、ニコラの宗教家としての、そして学者としての輝かしい実績の数々です。


24-02

この二点から制作の時期は遅れますけれども、カロはもう一点、やはり大判の版画を制作しています。タイトルは『ナンシー大通り』(1628-29年、15.7㎝×50.9㎝)で随分横長の版画です。


24-03

ナンシーの宮殿前の広場のような大通りでさまざまなことが行われている様子を描いたもので、左側には市民の住居が、右側には壁面に彫像が配置された宮殿が描かれています。よく見ると左側の住居建築の一階部分の窓には弓なりになった飾り鉄格子が施されていますが、結婚したばかりのカロはどうやらこの建築のどこかの部屋を借りて住んでいたようです。

向かい合った二つの建築に挟まれた広場のような大通りの奥の方では、騎士たちにとって極めて重要な腕くらべ、騎乗槍試合が行われていて、次の出番を待っている騎士たちもいれば、柵の外側で見物している大勢の人たちの姿も見えます。

注目すべきは前景で実にカロらしい表現がなされています。画面の左のほうから順に見ていくと、まず簡単なステージの上で曲芸師の一座がアクロバットをしています。ステージの下に車輪がついていますから移動式の舞台なのでしょう。その隣には、大きな竹馬のようなものを履いた人が糸を垂らした釣竿を持って何かをしていますが、その側に第19回でお馴染みの、カロがフィレンツェでよく目にしたコメディア・デラルテの役者たちの姿が見えますから、これは彼等の一座なのでしょう。役者のポーズがいかにもカロ的で、まるでカロのサインがしてあるかのようです。カロのフィレンツェへの郷愁が現れているようにも感じます。

その隣には決闘をしている人と、それを見物している人たちがいます。ちなみに決闘も騎士にはつきもので、当事者以外の見物人たちにとっては、一種の見世物のようなものでした。

その横には馬車があり、なぜか馬に蹴られてひっくり返っている人がいます。その右の奥には、これから騎乗槍試合に臨むべく、立派な槍と盾を掲げて隊列を組んで入場する騎士の一団やそれを見物する人々がいます。そしてその横には、この祭りの日に花を添えるためでしょう、意匠を凝らした山車《だし》が広場に入ってこようとしていて、その様子を宮殿の中から見ている人たちもいます。今まさに戦っている騎士の前には貴賓席が設けられていて、そこにも大勢の人がいます。

それにしてもいったい何人の人が描かれているのでしょう。実にカロらしい、というか、カロでなければできないような精密な技が駆使されています。


最初に紹介した二つの作品は1625年、つまり亡くなった父親のアンリ二世の後を継いでニコル・ド・ロレーヌが大公になった年に制作されています。面白いのは、カロの圧倒的な技と表現力を駆使した労作と言うべきこの二点の特大版画が、『ロレーヌ宮殿の庭園』はニコルに、『ニコラ・フランソワ司教』がニコラ・フランソワにと、それぞれ捧げられていて、たった一ヶ月で大公の地位を若き妻から無理やり奪い取ったシャルル・フランソワには、カロが版画を献上してはいないということです。

シャルルはその後9年間も大公の座にあったのですから、大公の覚えをよくしておこうということであれば、シャルルに捧げた版画を制作するのが普通です。しかし実際にはカロはそれをせず、その時点では司教であり、兄の後を受けて大公になるのはずっと先の1634年、カロがなくなる一年前まで待たなければならなかったシャルルの弟のニコラに、実に立派で精緻な版画を捧げています。もしかしたらカロはシャルルのことが好きではなかった、あるいは大公と認めたくはなかったのかもしれません。


ところで現代を生きる人から見れば、カロほどのアーティストが精魂を込めた大作を権力者に媚びるかのように献上するのは如何なものかと感じるかもしれません。しかしそれはこの当時画家として生きていこうと思えば当然のことでした。画家が王侯貴族や教会に頼まれてではなく、自らが描きたい絵を描いてそれで食べていけるようになるのは近代に入ってから、それもほとんど20世紀に入ってからのことです。

絵画は長い間、ベラスケス(1599-1660年)やフェルメール(1632-1675年)のような特別な画家を除けば、王侯貴族や富豪を讃えたり、戦勝を祝ったり、キリスト教の教えを視覚的に補完する役割を担ってきました。油絵を発注できるような力を持つ人は、そのような人々に限られていたからです。

そのような事情が変化し始めたのは、象徴的には産業革命とフランス革命によって、貴族階層とは別の中産階級、いわゆるブルジョワが登場し始めてからです。フランス革命は、王侯貴族が民や領地を統治するのではなく、民の中から選挙で選ばれた議員が国を運営することを目指したという点で、つまり権力構造を逆転させたという点においてまさに革命的でした。

その可能性にいち早く目を留めたのが、革命の震源地であるパリから遠く離れたスペインで宮廷画家をしていたフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828年)でした。彼は王侯貴族というパトロンが消滅するかもしれない歴史的変化の中で、それでも画家として生きていくにはどうすれば良いか、しかもその際に依頼主の顔色をうかがったりなどせず、自分が描きたい画題《テーマ》を書いて生きていくにはどうすれば良いかと考えた結果、版画というマスプリントメディアを用いれば、それができるのではないかと考え版画集を制作しました。

自分の目に面白いと映るものを描けば、それを面白いと感じる人だっているはずだ、もしそのような人がたくさんいれば版画集を売って、それで生きていけるかもしれないと思ったのでした。しかし、このゴヤの夢想《ヴィジョン》はあまりにも時代の先を見つめすぎていました。

ゴヤは結局四つの版画集を創り、最初の版画集『きまぐれ』は一旦販売はしましたけれども、すぐにそれを中止せざるを得なくなりました。それは王侯貴族や聖職者への批判が満載だったからです。異端審問所が目を光らせているパリを遠く離れたスペインで、それは危険極まりないことでした。そんなわけでゴヤは、それから三つの版画集を創りましたけれども、それらは全てゴヤの手元に置かれて陽の目を見ることはありませんでした。

そこからさらに時代が進み、写真が登場して肖像画の需要が激減するに至って、画家をめぐる状況が急変しました。それが印象派の画家たちのように、写真には写せない画題《テーマ》と描写法を求めたアーティストを生み出す一つの大きな要因になりました。それでも彼らは最初は全く絵が売れず、評価も低かったのですが、やがて絵画が新興のお金持ちたち、とりわけ新大陸で財を成した財閥たちの格好の投資対象となるに至って、次第に絵画の市場《マーケット》が形成され、象徴的にはピカソの登場によって確固たるものになりました。


つまり17世紀初頭を生きたカロにとって、またフィレンツェではルネサンスを支えたメディチ家のお抱えの版画師となって活躍した経験を持つカロにとっては、故郷のナンシーで、しかも衰えたとはいえ長い歴史と文化を持つロレーヌ公国の貴人たちに自らの力を誇示するのは当然のことでした。そうしてフィレンツェでそうであったように、版画師としての力が認められて宮廷からの仕事を得流ことができれば、生活が安定するからです。

しかし実際にはそうはなりませんでした。三点目の大作『ナンシー大通り』は、版画の上方にロレーヌの紋章を持つ鷲が描かれていますから、カロとしては最初は当然、宮廷の誰か、あるいは宮廷そのものに捧げようと考えたのでしょうけれども、しかし結局この版画は、誰にも捧げられることはありませんでした。

絵を見ても、ここに描かれているのは、貴人の姿でも宮殿の中でもなく、宮殿の外の祭りの日の、街の中の無数の人々の楽しそうな姿です。この絵の向こうにカロはきっと、楽しかったフィレンツェの日々と、それを好んで主催したコジモ二世を見ていたのでしょう。もしかしたらこの版画に描かれている情景は、ロレーヌ公国とナンシーがこのような街であってほしいというカロの願望や夢想《ヴィジョン》なのかもしれません。


つまり国を統治する者の役割は権力争いをすることではなく、メディチ家がそうであったように美しい街を創り、芸術や文化で市民を喜ばせることにあるはずだと、そうしてこそ、フィレンツェがそうであったように他の国々から尊敬され羨ましがられもするのであり、それによって国の平和も繁栄も民の喜びもあるのだと、カロは痛感していたのかもしれません。

そして結果的にみて、ある意味では宮廷を見限ったカロは大量に復刻したフィレンツェ時代の作品や、新たに創った作品を、不特定多数の人々に売ることで生きていく道を自ら切り拓きました。

そうしてパトロンの意向や動向に左右されることなく、自らが描きたいと感じる画題《テーマ》を描く画家という存在を成立させた最初の画家の一人となったことにおいてカロは稀有な先駆者でした。自分にとって不本意な、あるいはネガティヴな状況から逆に新たな可能性を自ら切り拓くこともまた一流の表現者の証かもしれません。


-…つづく


 

 

 back第25回:宮廷槍試合

このコラムの感想を書く


谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
著者にメールを送る

本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

アローAmazon 谷口江里也 著作リスト

アロー未知谷 刊行物の検索 谷口江里也
アローElia's Web Site [E.C.S]


■連載完了コラム
明日の大人ちのためのお話[全12回]

鏡花水月 ~ 私の心をつくっていることなど (→改題『メモリア少年時代』[全9回+緊急特番3回] *出版済み

ギュスターヴ・ドレとの対話 ~谷口 江里也[全17回]

『ひとつひとつの確かさ』~表現哲学詩人 谷口江里也の映像詩(→改題『いまここで  Here and Now』) [全48回] *出版済み

現代語訳『枕草子』 ~清少納言の『枕草子』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳 [全17回]

現代語訳『方丈記』~鴨長明の『方丈記』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語訳に翻訳 [全18回]

現代語訳『風姿花伝』~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳 [全63回]


岩の記憶、風の夢~my United Stars of Atlantis [全57回]
*出版済み

もう一つの世界との対話~谷口江里也と海藤春樹のイメージトリップ [全24回]
*出版済み

鏡の向こうのつづれ織り~谷口江里也のとっておきのクリエイティヴ時空 [全24回]
*出版済み

随想『奥の細道』という試み ~谷口江里也が芭蕉を表現哲学詩人の心で読み解くクリエイティヴ・トリップ [全48回]
*出版済み

バックナンバー
第1回:ジャック・カロを知っていますか?
第2回:カロの最初の版画
第3回:ローマでのカロ
第4回:フィレンツェでの幸運な出会い
第5回:最初の公的な仕事
第6回:地獄絵図
第7回:愛のキューピットがトスカーナにやってくる
第8回:祝祭都市フィレンツェ
第9回:ジャック・カロの発見
第10回:独自の路を歩み始めたカロ
第11回:劇的空間
第12回:聖アントニウスの誘惑
第13回:版画集『きまぐれ』
第14回:トスカーナの風景
第15回:三人の役者
第16回:聖地巡礼報告書
第17回:トスカーナの暮らし
第18回:ボヘミアン
第19回:スフェサニアの舞踏
第20回:異形の人々
第21回:男爵大将
第22回:ロレーヌ公国での仕事
第23回:ロレーヌの貴族たち

■更新予定日:隔週木曜日