サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 6 歌 不思議な冒険
第 2 話: 不思議な島
さて、第4歌で天駆けるイポグリフォと共に空高く舞い上がり、遥か彼方へと消えてしまった凛々しき騎士ルッジェロは、その後どうなったのか?
実はイポグリフォは空中を、この世のどんな鳥よりも速く駆けるため、あっという間にルッジェロを乗せてピレネー山脈からスペインを横切り、アフリカを望むジブラルタル海峡をも越えて空を飛び、やがてとある島へと降り立った。
島はこの世とは思えぬほどに美しく、葉の生い茂る樹々の緑が鮮やかで、サラサラと心地よい音を立てて流れる水も清らかなことこのうえない。地上にはいたるところに花が咲き乱れ、オレンジはもとより、見たこともない果実がたわわに実り、風の中に花や果実の香りがほのかに漂うなかを、色とりどりの小鳥たちが歌声を響かせて飛び交っていた。
ルッジェロは、天馬イポグリフォが地上近くを緩やかに舞った時、エデンの園もかくやと思うようなこの場所を散策すべく、手綱を持ったままヒラリと地上に降り立った。もちろん、ようやく扱いに少しは慣れたイポグリフォが飛び去ったりしないように、手綱を側にあった銀梅花の木の幹にしっかりと結びつけた。
そうしてルッジェロが、天馬に振り落とされそうになりながらも、なんとか天馬を御すべく奮闘しながらの奇妙な旅の疲れを癒そうと、柔らかな草の上に腰を下ろそうとしたその時、何に驚いたのか、それまで大人しくしていたイポグリフォが激しく体をよじり、翼を動かして飛び立とうとし始めた。もちろん木の幹が激しくしない、揺さぶられて無数の木の葉が散り、やがて木の幹が裂けそうになったその時、どこからか、何かを訴えるか細い嗚咽のような声が聞こえてきた。イポグリフォに駆け寄って手綱を持って天馬をなだめたルッジェロが、その声の出所を探せば、どうやらその声は、裂けた銀梅花の幹から聞こえてくるようだった。耳をすませば声はこんなことを言っていた。
私はシャルル大帝の騎士アストルフォ
かのオルランドとリナルドの従兄弟、イギリス王オットーの息子。
魔女アルティーナに惑わされ、彼女が操る鯨の背に乗って
この島に連れてこられた者。
アストルフォと名乗る男は、そうして樹液の涙を流しながら、我が身に降りかかった災いの一部始終を語り始めた。
かつて私はリナルドや何人かの騎士たちと共にインド洋の彼方で囚われの身になっていたところを、騎士の中の騎士オルランドに救い出され、故郷に帰るその途中、今になって思えば災いの中の災いに出会って、こうして一本の木に姿を変えられてしまったのです。
私をこんな目に合わせたのは、海に生きる者なら、イルカでもマグロでもなんでも、網も釣り針も使わずに海辺に呼び寄せて捕まえる魔力を持った邪悪な魔女アルチーナ。私が帰路でたまたま運悪く出会ってしまったのがそのアルチーナだった。
しかし浜辺で見かけたアルチーナのその美しさ。呆然となって彼女を見つめる私に近寄ってきたアルチーナは、もしもあなたが望むならあなたを鯨の背に乗せて、美しい夢の島へ連れて行ってあげましょうと言い、海の彼方から一頭の鯨を呼び寄せた。私は夢心地で彼女と共に鯨の背に乗った。
そんな私を見て、怪しげな気配を感じ取ったリナルドが、行くなと叫び、海の中にまで入ってきて私を連れ戻そうとしたのだったが、もうすっかりアルチーナの美貌に身も心も奪われていた私は、そのまま魔女が支配する場所、この島へと連れてこられたのです。
そこで私が体験したことは、まさしく夢のような天国の悦楽そのものでした。美貌という女性の最大の、そしてこの世で最も強力な武器を持つアルチーナの輝く笑顔や眼差しや、透き通るような肌に包まれた身も心もとろけるようなその体。アルチーナはありとあらゆる魅力を惜しげも無く駆使して私を愛し、私もまたそれに酔い、三日三晩、二人で時を忘れて愛し合ったのです。
ところが、そんな歓喜もつかの間。私を愛し尽くすとアルチーナは、私を魔法で銀梅花の木に変え、さっさと別の男を探しに行ってしまいました。つまりここにある美しい木々や草花や鳥たちはみんな、彼女に弄ばれた男たちのなれの果てなのです。くれぐれもご注意なされよ遍歴の騎士、魔女アルチーナには決して惑わされぬよう、さもないと、私のような姿にされてしまいますぞ。
最後にもう一言、この島を支配するのは三人の姉妹です。一人は清らかな乙女ロジスティーラ、そして邪悪な魔女アルチーナとモルガーナ。もともとはこの島のすべては父の遺言でロジスティーラに与えられたのですが、邪悪な二人が次第に領地を奪い取り、今ではそのほとんどを二人が支配している次第。
無事にこの島から出たければ、何としてもロジスティーラのところに行き、そこから旅立つしかありません。くれぐれも二人の邪悪な魔女には、惑わされてはなりません。
話を聞いたルッジェロが、ではその清らかな乙女ロジスティーラのところに行くにはどうすればいいのか。どうやらこの先、道が二手に分かれているようだが、どちらを行けばいいのかと尋ねると、アストルフォは、森に向かう道を行くがいいと答えたのだった。
そこでルッジェロがその道を行き、森に足を踏み入れた途端、たちまち奇妙な姿形をした怪物たちが現れた。
そのなかの、王冠を被り槍を持った太った怪物が巨きな亀の背中に乗って現れた。どうやらそいつが怪物たちの頭目のようだったが、そのあとに、兜をかぶって槍を手にした、胴体が人間で頭が犬の怪物が、死にたくなければもう一つの道を行け、と吠えかかるようにしてルッジェロに言い、それに合わせて他の怪物たちも槍をかざして同じように騒ぎ立てた。
そんな脅しなんぞに負けるものかと、凛々しき騎士ルッジェロが剣を抜いて人犬(ひといぬ)怪物に斬りかかると、思ったよりも相手は弱く、たった一突きしただけで人犬は、胸を貫かれて倒れてしまった。
さて、この邪悪な魔女アルチーナが支配するこの島で、ルッジェロがどうなったかについては、第6歌、第3話にて。
-…つづく