第149回:制服好きな日本人
更新日2010/03/04
先日、隣のおじいさん、ジョンが亡くなり、お葬式に行ってきました。ジョンおじいさんは長いこと、アールツアイマーを患い、家族の人たちはとても苦労していましたから、多少はヤレヤレという感じでした。ジョンおじいさんはゆったりとした性格で誰からも好かれていたので、彼が通っていた教会にはあふれるばかり参列者が集まりました。
お葬式に行くのですから、喪服ではないにしろ、少しはそれなりの服装をしていかなくては、と私は地味で比較的フォーマルな上下の揃いにしましたが、ウチのだんなさんは、なんせ仙人暮らしの山男ですから、前世紀の遺物のようなまるでシカゴのギャングが着ていたような古びた背広しか持っていません。それももう30年は袖を通したこともないようなスーツなのです。その上、スーツというのはそれだけで独立した服装にはなりません。ワイシャツも要れば、ネクタイ、黒い靴も必要です。もちろんウチの仙人はそんな付属品を持っているはずがありません。
奥の部屋でごそごそやって、「これでいいかな」と言いながら、救世軍の払い下げで買った郵便配達のおじさん用の灰色のズボンに彼の冬季間万年常用黒のタートルネックセーター姿で出てきたのです。特別汚い服装でもないし、他の人に不快感を与えることもないだろうし、山から下りてきた、半分くらい世捨て人として、参列者の人たちも大目に見てくれるだろうと判断し、私としては勇断のつもりで許可しました。
私たちが住んでいる田舎町のさらにはずれの果樹園の中に彼の教会はありました。参列者はいかにも田舎風の人ばかりでした。それにしても驚いたことに、参列者で喪服や背広を着ている人なぞまったくいないのです。葬儀が始まり、200~300人の参列者の服装をつぶさに観察したところ、ドアの近くに立っている中年の男の人、一人だけが背広姿でしたが、後で、彼は葬儀屋さんだと分りました。
厳格に言えば、もう二人、参列者ではありませんが、お葬式を司る牧師さんと棺桶に寝ているジョンも背広を着ていましたが、その他の人たちは少しきれいな普段着で、ここいらの牧場、農園で働く人のユニフォームであるジーパンにフラネルシャツ姿が圧倒的に多いのです。日本的に言えば喪主にあたる、ジョンおじいさんの息子たち、いずれも中年ですが、ともにジーンズ、フラネルシャツでした。
服装に神経を使っていた私たちが愚かに思えました。お葬式は、故人の追悼のための儀式ですから、早く言えば服なぞなんでもいいのです。故人を偲ぶ気持ちのある人が集まり、それぞれのやり方でお別れをすればよいのでしょう。服装にこだわる日本的な感覚が私にしみ込んでしまっていたのかもしれません。日本のお葬式にジーパン、フラネルシャツで参列したら、大変なヒンシュクをかうことでしょうね。
それにしても、日本を初めて訪れる外国人が驚くのは、制服姿の人が多いことです。小学生、中学生、高校生の制服、サラリーマンの背広も制服のようなものですし、それに成人式、特に女子大の卒業式の派手派手しい訪問着や袴姿もあれだけ、皆が皆同じようなモノをきていれば、個性が消えてしまう制服と呼んでもよいでしょう。まるで個性的な服装をすることが、タブーになっているかのように没個性なのです。皆と同じ服でなければ村八分にされそうです。
インターネットのニュースで見ましたが、日本では入試用制服が売れているそうです。そんな服を着ていたからといって、入学試験にパスするわけではないと思うのですが。
就職の面接のとき、昔は詰襟の学生服が主流だったそうですが、今では皆背広姿のようです。会社でも個性的な人間を求めず、できるだけ没個性的で、すぐに会社の風習になじむ人物を採用する傾向があるようですから、着慣れない背広も、しかたがないのかもしれません。
私の弟と義理の弟はそれぞれ別の会社ですが、大きなハイテック会社で働いています。もうかなりの歳になり、偉くなって社員採用の面接をやらされるそうです。そこで、背広姿で面接に来る新入社員候補はどのくらいいるかと、尋ねてみたところ、二人とも口を揃えて、そんな人は誰もいない、一番多いのがジーパンにティーシャツ姿だそうです。
会社側でも、服装で仕事をするわけではない、大切なのは、個々の能力、独創性だという方針を貫いているようです。二人の弟たちの言い分は見事に一致し(二人とも技術畑ですが)何をどんな風に着ているかは全く問題にしない、問題にならない、5分間もその分野の話をすれば、その人の能力は判るというのです。これが初任給一千万円を超す給料を出す会社の面接です。
日本の学生さん、もしアメリカのハイテック会社に応募するなら、背広という名の制服を脱ぎ捨てて、中身で勝負すべきですよ。制服に守られていない個性をさらけ出すのは、逆に大変なことなのですが。
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