第816回:アニメと日本庭園
日本ブームは止まるところを知らず!の感じになってきました。私の生徒さんたちは一体全体、何人日本に行ったことでしょう。そのうちの十数人はコロナ以前から日本に棲みついてしまっています。
先日図書館で借りた本をチェックアウトする時、カウンターで受け付けてくれた女性も文部省のJETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Program;日本では外国語青年招致事業と呼んでいるようですが…)で日本に3年住んでいたと言うし、ダンナさんが日本女性が在米許可証を取る際の通訳、お手伝いでイミグレーション事務所に出向いた時、お役人の審査官もその日本女性が雇ったイミグレーション専門の弁護士も、JETプログラムで数年日本に住んでいたことがあると驚いていました。私の甥っ子も同じプログラムで山形は新庄市に3年住んでいました。
そして今、従兄弟の子供たちが揃いも揃って日本ファンで、一人は京都で英語を教えており、もう一人、看護婦さんの方は、アウトドアタイプですから富士山に登るため、日本に行くと言い出しています。スキー仲間の子供たち、と言ってもスキー仲間は老人ばかりですから、彼らの子供たち、皆結構な歳でそれぞれ子供もいる年齢ですが、ニセコだ、長野だと相当数が冬のスキーのためだけに日本に行っています。
私の妹夫妻もスキーツアーで日本に行っています。妹の亡くなった前の旦那さんは、日本の建築、庭に打ち込んでおり、そのために何度か日本に行ったり住んだりしています。壁一面の大きな書架は日本関係の本で埋まっていました。
私は引退してもう3年になるのに、「先生、日本に是非住みたいけど、どうすればいいでしょうか?」という相談をよく受けます。日本の武道を習いたい、日本料理の学校に入りたいと言うのなら、少しは分かりますが、しまいには「忍者になるための修行をしたい」とまで相談されます。そんなこと、私が知るわけないでしょうが…。
元日本人らしきウチのダンナさん、日本ブームを前に、「一体全体、日本に何があるのかなあ~、日本の何がそんなに彼らを惹きつけるのかワカラン」と言っています。
日本ファンには大別してニつのタイプがあると思います。一つは日本のアニメファンで、これが若い世代の大半を占めます。彼らはアニメが作り出す世界と実際の日本と混同しているように思えます。
私は、実際に一冊のマンガを読んだこともなく、一本の動画アニメを通して観たこともないので偉そうなことは言えませんが、日本のアニメ、マンガはすでに一つのジャンルを形作っているようです。こんな田舎町の郡の図書館にすら一つの書架は英訳されたマンガ、アニメで埋まっていますし、ドイツ、ライプチッヒの街の本屋さんでも相当大きな本棚はドイツ語に翻訳された日本アニメ、マンガ専門でした。もっとも、日本の本屋さんでも、入口近くの一等席はマンガ、アニメに占領されていますが…。
もう一派は古い日本のお寺、神社、日本庭園に魅せられている人たちです。こちらの方は少数ですが、なんせアメリカに古いモノなどありませんから少しは分かるような気がします。
箱庭のような狭い空間に造られた庭は確かに日本独特の創造でしょうね。西欧の宮殿にある庭は広大なものもありますが、全般的に幾何学的な造りで、そこに噴水や彫刻を配しており、桂離宮や瀧安寺の石庭のように庭に小宇宙を形成してはいません。キリスト教の寺院はそれ自体豪壮なものがたくさんありますが、どういうわけか、そこに庭を添えるという考えがまったくみられず、教会の正面には石畳の広場、裏庭は墓地と決まり切った造りです。
そこへいくと、日本の寺院の庭は千差万別で一つひとつ異なり、日本庭園巡りをしても飽きることがありません。そこに禅の精神を見ることもできるでしょうし、単に庭に持ち込まれた切り取った自然を見るのも一考でしょう、自分の家の庭作りの参考にするムキもあるでしょう。
モト日本人らしきウチのダンナさんは、ジャポニカブームに対して、至って批評的で、日本の庭はマスの、大勢の観光客が入り込み、見せるようにできていない、それは寺院が拝観料なる入場料を取り、稼ぐために、観光客を詰め込み、閑静な庭のココロをぶち壊しているだけだとこぼしています。
確かに、桂離宮のように往復ハガキで申し込み、入場を制限しているところもあるにはあるけど、全般に日本の寺院は安っぽいジャポニカを売り、金稼ぎをしているだけだ…ということになります。付け加えて、「チマチマと狭い空間を高い塀で囲い、その中で自然を模写したところでそれが一体何なのだ…」とダンナさん、とても手厳しいことを言うのです。
言われてみればその通りで、自然を味わうなら、日本には息を呑むような山々、峡谷、奇観と呼びたくなるような海岸線が無数にあるのです。
私にとっても不可解なことは、これだけ自然を大切にし、小さな自然を持ち込み、草花を自分の家の庭を造ることに専念する日本人が、なぜ山を切り砕き、木々を切り倒して道路を通したり、団地の開発を許すのか、自然破壊を黙認するのでしょうか。そんな自然は塀で囲まれた小さな空間に持ち込み、楽しめば、それで良いと思っているわけではないでしょうけど、メチャクチャと呼びたくなるようなすざまじい開発のエネルギーのあり方は、自然を愛する日本人のやることとは思えません。
そしてどんな田舎の駅に行っても、駅前に醜い極彩色の幟(のぼり)が旗めいている情景があります。そんな現在の日本と閑静な庭との断絶は何なのでしょうか?
マア~、そこに住む人たちがそれで幸せ、健全ならよそ者がどうこう言う筋合いのものではないのは承知の上で、嘆かずにはいられません。
日本庭園などに一顧も与えず、猥雑な渋谷、新宿、秋葉原界隈のマンガ、アニメショップを回る方が、現実の日本を見ていることになるのかもしれませんね。
第817回:アメリカの御犬様文化
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