第36回:イビサの農家(フィンカ)と田舎料理
カルメンは生粋のイビセンカだ。島の内陸、と言ってもイビサは小さな島だから、たかだか海岸線から6、7キロしか離れていないのだが、イビサでは内陸とみなされているサンタ・ヘルトゥーディス(Santa Gertudids)生まれだ。一体全体、そこに住みついてから何世代になるのか、何百年前から同じ家に住んでいるのか判然としなくらい前から百姓をやっている家族の出だ。
イビサの農家はフィンカ(la finca)と呼ばれ、壁の厚さが1メートルほどもあり、全体に丸びを帯び、外目には美しい建物だ。低い石垣とオリーブの木立に溶け込み、イビサ的な風景を醸し出している。
もちろん、そんなフィンカに設計士や建築家、プロの大工が絡んでいるわけではなく、必要に応じて付け足し、増築を繰り返し、その家の基礎はいつの時代に誰が建て始めたものか判然としない。
大半のフィンカには、円形の構築物の上に半円形のお椀を伏せたような屋根のカマドがある。このパン焼きカマドがフィンカの外形を独特のモノにしている。イギリス、ドイツ、北欧からやってきた大金持ちが、イビサの農家を模して別荘を建て始め、その当時、すでにフィンカといえば豪華別荘を意味するようになっていた。
だが、元々のフィンカはイビサの百姓が必要に応じて建て増しを繰り返した結果、むやみに複雑な外壁を持ち、石膏で外壁を白く塗り込め、レンガ色の素焼きの瓦で屋根を葺いただけのものだ。
壁が異常に厚いのは、夏の熱気、冬の寒気から身を守るためだ。それに、居住スペースと一体になっている貯蔵庫の農作物に適した温度を保つためであり、また、幾度となく襲ってきた圧制者の農作物徴収を欺くためだった。外観から掴みようのない部屋が幾つかあり、そこへ小麦、乾燥肉、オリーブ油、オリーブの酢漬け、ワインなどを強制的に徴収されることから隠し、保存しておくのだ。

伝統的なフィンカ(本文とは無関係)
カルメンの実家は相当な豪農と見受けられた。と言うのは、直径が4、5メートルもあろう大きなプレンサ(オリーブ搾り機)が2機もあるし、ほかにブドウの搾り機、それに巨大な石臼があるからだ。豪農と言っても小作人を抱えているような農家はイビサには存在せず、家族の労働がすべてだった。
小作人を置くほど大きな農園はイビサに存在し得なかったのだろう。だが、持てる者、持たざる者の差は歴然としており、オリーブ油搾り機を持つのは相当裕福な農家で、それを持たない百姓はカルメンの実家へ収穫したオリーブを持ち込み、搾った油を3割がた、プレンサ使用料として置いていくことになっていた。小麦を挽くのも同様だった。大きなプレンサ、石臼を持つことはそれだけで、定期収入が約束されていることになるのだ。
カルメンの家に昼食(昼食が正餐、一番大きな食事だ)に呼ばれた時、家に電気がなかった(訪問して2、3年後に電気を引いたが…)。壁が分厚く、夏でも家に一歩入るとスーッと汗が引くほど涼しく、なるほど、長年はぐくまれた知恵の力を体験させられた…と思ったものだが、元々透明なガラスが発明され、出回るはるか前に建てられた家だから、窓が異常に小さく、光を取り、室内を明るくするのに何の役に立っていないのだ。一瞬、真っ暗闇の洞窟に入ったようなものだった。
小さな窓とも呼べないような穴は換気のためのもので、採光など薬にしたくもない家造りで、 この地中海の孤島にあっては太陽は憎むべき敵役なのだった。
日常の生活はもっぱら戸外のパティオが中心になっているようで、食堂、リヴィングルームと呼ぶべきか、Ⅼ字型の壁に囲まれた10メートル四方の中庭に大きなテーブルを据え、椅子を並べ、イチジクの木陰が、家族がくつろぐ居間なのだ。元々テレビもなく、ゆっくりと昼食を摂りながらおしゃべりをするのが唯一の娯楽なのだろう。
台所とカマドは家の中とも外ともつかない通路のようなところにあり、家のウチとソトの区別がない。奥まった洞穴のような寝室にはバルドーサ(baldosa;厚手の素焼きタイル)が敷き詰めてあったが、ほかはすべて土間で、板張りの床などはどこにもなかった。

鳥と野菜のスープ(本文とは無関係)
カルメンのお母さんが作ってくれた料理は、鶏と野菜のごった煮だった。これはとても美味しかった。鶏の骨からスープがこれほど濃くとれるものか、と感心させられ、しかも鶏肉の方はしっかりした歯ごたえと味を失っておらず、本来の鶏は太い骨と引き締まった肉を持っていたことをうかがわせた。
それもそのはずで、私たちの足元をクワッ、クワッと鳴きながら、十数羽の鶏が駆けずり回り、私たちの食べ残しを掃除するかのように争ってツイバンデいるのだ。お前の兄弟を食卓で食べているのに、鶏たちは一向に気にする様子がない。
イビセンコだけではないだろうが、彼らのように地に根ざして、家畜とともに生きてきた人たちは、一度殺した動物を無駄にせず、徹底的に使い、食べる。欠けたスープ皿に盛られた料理の中から、鶏の足が、爪が付いたまま出てきた時は、一瞬ギョッとしたが、見るとカルメンの母親はその足の爪を掴み、そこだけ残し、しゃぶっているのだった。
骨の髄もここぞ一番とばかり、まるでカニの鋏から身をほじくり出すように食べているのだった。当然、私もそれに従った。砂肝、心臓、肝臓、肺まで血抜きをして、このごった煮に放り込まれていた。
イビサだけではないだろうが、スペイン料理の基本は、ニンニクとオリーブオイル、アセイツナ(aceituna;オリーブの酢漬け)、それに玉ねぎだ。昼食時に下町を歩くと、ニンニクをオリーブ油で炒めた香ばしい煙が狭い通り一杯に漂ってくる。もっとも、この香りに最後まで馴染めない日本人も多いが、私にとって、夏の鋭い日差しとニンニクを炒めている匂いは郷愁を誘うものだ。
元々、炎天下で一日中働く農夫のための料理だから、味が濃く、脂肪がたっぷりの料理になるのは当たり前のことだ。体がそれを要求しているのだろう。いくら美味しいにしても、こんな料理を毎日食べていたら、体の方はどうなるのだと思わせるほど濃厚な味付けだった。
しかし、オリーブオイル、ニンニク、しかも濃い味付けのごった煮は、自家製ワインを、地酒のヴィノ・パジェッスを飲みながら食べるものなのだ。地ワインの酸味の残った渋さが、油分を中和するのだろうか、食卓にあったコモを被せた5リットルの大瓶に入ったビィノ・パジェッスは皆が満腹した時には胃袋に消えていた。
-…つづく
第37回:ビノ・パジェスとお婆さんの手
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