一畑電鉄の出雲大社前駅から見えた鳥居まで、ゆるい上り坂を数分歩いた。さぁ山門だ、出雲大社だ、と思ったら、今度は下り坂でさらに参道が続いていた。ちょっとした森の散歩で身体が温まってきた。私の鞄はキャスターつきだが、砂利道では引きずってしまう。ゆえに重い鞄を背負っての行軍となったけれど、汽車旅は足を使わないから、このくらい運動した方が良い。出雲大社は南北に広く、砂利敷の参道付近は整然と木々が並ぶ。汗ばみながら、さらに数分歩いた。
出雲大社は大国主命を祭った神社だ。出雲には国引き神話や国譲り神話、大国主命の治世などの伝説が多々あるけれど、私にとっては童話として読み聞かされた「因幡の白兎」に親しみがある。大国主命は身体の皮を剥がされて苦しんでいたウサギに治癒方法を伝授した神様である。大国主命には80人の兄弟がいて、誰もが因幡の八上姫を妻にしようと競っていたが、八上姫は心優しい大国主命を選んだ。大国主命は人々と共に出雲国を作り、形を整えて天照大神に譲った。
出雲大社の本殿外周を巡る。
国譲りの解釈はいろいろあるだろうけれど、私は大国主命が「戦わず争わず、こんなに良い国ができましたよ」と知らせたかったのだと思う。神話の神々は争いが好きだ。しかし大国主命は優しさで人心を掌握し、豊かな国を作った。天照大神は出雲の国を受け取る礼として、大国主命の終の棲家として出雲大社を建てた。出雲大社は東西の街道を外れたところにあり、人々の住む場所より奥にある。国の発展を妨げないように、わざと町外れの山麓という場所を選んだ、と言えそうだ。もっとも、こんな話は聞きかじりから膨らませた妄想であり、歴史関係の学者さんに笑われそうだ。
境内の中央に本殿があり、小さな入り口に警備員が立っていた。本殿に入るにはどうすればいいかと訊ねたところ「ご祈祷を受けられる方のみ」という。本殿はかなり神聖な場所で、高い塀に囲まれている。ちょっとした神頼みは拝殿で済むので祈祷までは要らない。本殿に入れない代わりに、塀の周りを一周して拝殿に戻った。帰りしなに御守所に寄って縁起物を探す。M氏は良縁に恵まれて一家の主となっているが、私は未だ独り身だ。かといって縁起物に期待する歳でもない。御守りや縁結びの鈴などを求めたが、これは土産である。
拝殿に戻ると、なにやらパンフレットなどが置いてある。"皇后陛下御話"と書かれた冊子や、皇室典範改定はこれでいいのか、というチラシがあった。この二つに直接の関連はなく、冊子は出雲大社が皇后陛下から賜ったお言葉で、こどもたちに良い本を与えましょう、という内容だ。皇后陛下として、というより、母としての心情が綴られている。チラシは神社本庁が発行したもので、女系天皇に疑問を投じている。女系天皇の是非について、私には勉強不足で何も言えないけれど、125代に渡る天皇歴代系図は初めて見た。過去に女性天皇が存在したことも初めて知った。不勉強なこと甚だしいと反省する。
出雲大社を一巡りし、そういえば旧国鉄の大社駅舎はまだ残っているはずだと思い出した。しかし、宮司さんに道順を尋ねると、一畑電鉄の出雲大社駅を過ぎて、さらに先の場所だという。予定していた電車の時間までに戻れないような気がしたので一畑電鉄の出雲大社駅に戻った。出雲市駅も大社駅も、次の旅のお楽しみとして残していく。
出雲大社前駅は屋根瓦のある洋風建築。
旧国鉄は出雲大社を意識した和風建築の大社駅を作った。これに対して一畑電鉄は洋風の駅舎を造った。1930(昭和5)年に作られた鉄筋コンクリートの駅舎は、採光窓にステンドグラスがあしらわれて、十字架を立てれば教会になりそうだ。第二次大戦では敵国を象徴する建物と見なされなかったのだろうか、と思うけれど、壊されなかった理由は、丸みを帯びた屋根に瓦を載せて和のテイストを残したからだろう。大正ロマンの看板建築に通じる風情がある。
私たちは鉄道の旅に戻った。川跡で乗り換えて、松江しんじ湖温泉行きの電車に乗る。路線は再び八岐大蛇の斐伊川と併走し、つかず離れずの間隔で伸びている。川沿いの暮らしやすい場所と見えて田畑が広がり、民家も多い。車窓左手には山並みが見えてそれがだんだん近づいてくる。国引き神話で縄をかけられた山々である。建物の密度が高くなると雲州平田駅。北の山から流れ出る川と、斐伊川からの水利によって栄えた町で、江戸時代は主に木綿の取引市場だったそうだ。一畑電鉄の前身だった軽便鉄道が、まず出雲市とこの平田を結んだ。平田の東は水運があるから、西の陸運を鉄道で担おうとしたのだろう。
雲州平田駅で旧型車をみつけた。
電車は湯谷川、平田船川を渡り、布崎駅、湖遊館新駅、園駅に停まる。園から車窓右手に宍道湖が現れる。曇り空で湖面は灰色だが、悠々とした風景である。おっ、宍道湖だ、とM氏に話しかけたが居眠りをしていた。湖の際で舟をこぐとは面白い構図である。そういえばM氏は寝台特急であまり眠っていなかったな、と思い出した。
次の一畑口は行き止まり式のホームで、電車は逆方向に走って再び東へ向かう。車窓の右手に見えていた宍道湖が、今度は左手に移る。鉄道ファンにとって、一畑電鉄でもっとも面白い部分の一つだが、M氏は起きないし、私も起こそうとしなかった。眠りを妨げては気の毒という優しさではなく、目覚めたら進行方向が変わってビックリする様子を見たい、という出来心である。しかしM氏は何事もなく眠っている。
宍道湖を行く。
一畑口のスイッチバック。
左の線路が松江方面。右の線路が出雲市方面。
一畑電鉄のもう一つのお楽しみは『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』である。駅自体はホームが1本と小さな待合室があるだけのささやかな佇まいで面白くない。けれど、ここが日本一長い駅名である。もっとも、この駅は話題作りのために日本一長い駅名に改称されただけで、元々は古江駅という地味な名前だった。わざとらしく長い駅名を付けるくらいなら、"C."などと略しては半端である。略さずにルイス・カムフォート・ティファニー庭園美術館前駅とすれば、2位以下を大きく引き離してぶっちぎりの1位だ。
カタカナの多い駅名だが、駅の風景は"古江"のほうが似合う。途中下車するほどではないけれど、駅名標はカメラに収めたい。しかし、空いている電車内を右往左往している間に電車は動き出す。お客が少ないから停車時間が短いのだ。正面からの写真は撮れなかった。そんなバタバタのせいでM氏が目覚める。「おっ、宍道湖だ」、とつぶやく。対岸に県立美術館が見えて、Kさんが夕陽の名所だと教えてくれた場所があれだね、と言う。長い駅名にも、進行方向にも気にしていないようだ。お互いに興味の対象が違うから、M氏との旅は面白い。
日本一長い駅名。
-…つづく
第133回からの行程
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