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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第192回:流行り歌に寄せて №9 「憧れのハワイ航路」~昭和23年(1948年)

更新日2011/07/21


私には小さな憧れがある。それは乗り物のベッドに眠ることだ。深夜バスや夜行列車、夜間飛行の経験はあるのだが、寝台列車に乗ったり、数日間にわたる船旅をしたりしたことがない。

今の私にとって、寝台席とキャビンを比較すれば、前者の方がはるかに利用できる可能性は高いのだが、それすらいつ実現できるか分らない、休みの取れない自転車操業状態である。

まして、デッキで満天の星を眺めながらスコッチを飲み、ゆったりしたキャビンのベッドで深い眠りについて、カモメの鳴き声で寝覚めるというようなラグジュアリー・タイム(笑)は、一生望むことはできない。

「憧れのハワイ航路」 石本美由起:作詞 江口夜詩:作曲 岡晴夫:唄 
1.
晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音愉し

別れテープを 笑顔で切れば 希望(のぞみ)はてない 遙かな潮路

ああ 憧れの ハワイ航路

2.
波の背を バラ色に 染めて真赤な 夕陽が沈む

一人デッキで ウクレレ弾けば 歌もなつかし あのアロハオエ

ああ 憧れの ハワイ航路

3.
常夏の 黄金月 夜のキャビンの 小窓を照らす

夢も通うよ あのホノルルの 椰子の並木路 ホワイトホテル

ああ 憧れの ハワイ航路


飛行機による移動が当たり前となった現在、私の戯言のように、船旅というのは大変贅沢な旅行手段だが、昭和23年の頃には、庶民にとってはまったく手の届かない、まさに本当の意味の「憧れの」世界だったことだろう。

この歌のできる前の話だが、戦前、横浜・ホノルル・サンフランシスコ間を就航していた、花形のハワイ航路には、日本郵船の浅間丸、龍田丸、秩父丸(後に鎌倉丸)の3隻の豪華客船が使われていたらしい。

当時は横浜・ホノルル間は約9日、ホノルル・サンフランシスコ間は約4、5日かかり、横浜からサンフランシスコまでちょうど2週間くらいの船旅だったという。

ところが、上記3隻とも昭和18年から19年にかけて、いずれもアメリカ海軍の潜水艦の魚雷を受けて沈没している。いわゆるハワイ航路はすでにそれ以前には閉鎖されていたため、別の用途で使われていた船として撃沈されたことになるのだが、日米間の渡し船として活躍していた船が、米潜水艦によって葬られたのはあまりに悲しい話である。

それでは、戦後になってこの歌が作られた頃、就航していたのはどんな船だったのか。日本には客船と呼べる船は、もう、ほとんどなかったはずである。そう、長く閉ざされていたハワイ航路の復活の際使われたのは、紛れもなく、アメリカ合衆国の船だったのだ。

それは、アメリカン・プレジデント・ラインズ(A.P.L.)の商船たち。戦時標準船と呼ばれ、戦時中輸送船として活躍していたものを、若干の改造をして客船や貨物船にしたものだ。

そのA.P.L.の客船のうち、ハワイ航路を就航したのはプレジデント・ウイルソンとプレジデント・クリープランドの2隻。船名を歴代の大統領から取り、煙突に鷲のマークを施した船が、新しく日本の「憧れ」となったのである。

浅間、龍田、秩父と(他の路線の氷川、日枝などとともに)神社の名前を客船に持ってくるのとはまったく違うセンスに、多くの日本国民はアメリカを感じていたことだろう。

さて、作詞家の石本美由起は戦後になって作詞を始めた人である。この詞を書いたときは24歳。同じ年、憧れていた北原白秋の詩に影響を受けて、彼が創作し、同人誌に投稿した「長崎のザボン売り」という詩があった。

それが、21最年長のすでに大きな実績を持つ作曲家、江口夜詩(よし)の目に止まり、曲をつけてもらって小畑実の歌で大きなヒットとなった。

その、年の離れたコンビの第2作目として書かれたのがこの歌で、石本がプロの作詞家として書いた最初の曲となった。実際のハワイ航路を目にしたことがない彼が、瀬戸内海や伊豆七島を航海する船をイメージして書いたものだという。

その後、彼は江口としばらくコンビを組んだ後、上原げんと、古賀政男、万城目正、遠藤実、船村徹、市川昭介などの大作曲家と組んで、次々とヒット曲を作っていく。

「逢いたいなァあの人に」「柿の木坂の家」「港町十三番地」「浅草姉妹」「悲しい酒」「矢切の渡し」「長良川艶歌」・・・・。殊に「矢切の渡し」と「長良川艶歌」では2年連続でレコード大賞を受賞している。さらに日本作詞家協会の会長を歴任するなど、業界の重鎮として大活躍をしたのである。

その生涯の先駆けとして、プロの作詞家の船出として作られたのが「憧れのハワイ航路」。そう思って聴いてみると、まさに前途洋々とした若者の持つ高揚感が伝わってくるようだ。

-…つづく

 

 

第193回「流行り歌に寄せてNo.10 「東京の屋根の下」~昭和23年(1948年)」

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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