■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.
第2回: Save the Last Pass for Me.
第3回:Chim chim cherry.
第4回:Smoke Doesn't Get in My Eyes.
第5回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (1)

第6回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (2)

第7回:Blessed are the peacemakers.
-終戦記念日に寄せて-

第8回:Ting Ting Rider
~マイルドで行こう

第9回:One-Eyed Jacks
~石眼さんのこと

第10回:Is liquor tears, or a sigh?
~心の憂さの捨てどころ

第11回:Hip, hip, hurrah!
~もうひとつのフットボールW杯開幕

第12回:Missin’ On The Phone
~私の電話履歴

第13回:Smile Me A River
~傍観的川好きの記

第14回:A seagull is a seagull
~シンガー・ソング・ライターが歌わせたい女


■更新予定日:隔週木曜日

第15回:Good-bye good games!
     ~もうひとつのフットボールW杯閉幕

更新日2003/12/04


キック・オフからは、すでに99分が経過していた。ラグビー・ワールド・カップ、決勝のイングランド対オーストラリア戦。延長戦の後半残り時間もあと1分を切って、イングランドの10番、ジョニー・ウィルキンソンの右足が蹴り上げたドロップ・ゴールは、美しい弧を描いてゴール・ポスト内の左隅を通過していった。

この瞬間、1987年に第1回W杯が開催されて以来、初めて「母国」が優勝杯「ウェブ・エリス・カップ」を持ち帰ることが決定した。

ラグビー史上に残る壮絶な試合だった。試合の終盤では、あの鍛え抜かれた屈強な男たちの中に、足が攣って倒れ込んでしまう者が何人も出たほどだった。体力、気力のすべてを使い果たし、一方は歓喜のうちに、また一方は失意の中でノー・サイドの笛を聞いたことだろう。

ラグビーをよくご存じでない方にも、この試合はかなり興味深いものだったのではないかと思う。どんなスポーツでも、世界の最高水準の選手たちが全力を出しきって戦う姿は、見る側の心を打つ。人間の持つ可能性の大きさに、ただ驚いてしまう。

決勝戦では、素晴らしい試合を披露したものの、イングランドの準決勝までのプレー・スタイルは決して褒められるものではなかった。かなり格下の相手との対戦は別にして、その他の試合は、すべて強いフォワードの力でゴリゴリと押し、得点方法もトライを積極的に狙わずにキックを多用する、旧態依然としたラグビーを繰り返した。

予想に反してまた決勝戦まで到らなかったニュージーランド、そしてフランス、また前回の大会まではあまり力のなかったホーム・ユニオンであるアイルランド、ウエールズのラグビーの方が、見ていて100倍楽しかった。

大会史上一度も優勝したことがないことから、今回は大変実力のあるチームだったためチャンスを逃すまい、勝つためには手段を選ばないといったところなのかもわからない。凡庸で退屈な戦法に、各メディアやファンから、常に”Boring Rugby”(大滝秀治さん風に言えば「お前のラグビーはつまらん」)と批判されてきた。

その戦法のため、ごついフォワードと、バックスでは他に優秀なプレーヤーがいるにも関わらず、スタンド・オフ(今回のメディアはフライ・ハーフという呼称を使っていた)のウィルキンソンばかりが目立っていた。

この選手とベッカムを共演させ、大会の放映中ずっとCMを流し続けていたアディダス社は、劇的な幕切れを見て笑いが止まらなかったことだろう。余談ながら、今年の花園の高校ラグビーでは、3本線の入ったスパイクを履いた選手たちがドッと増えるに違いない。

確かに、ウィルキンソンは天才的な選手だが、私の店のラグビー・ファンの間では、むしろ決勝で敗れたオーストラリアのフル・バック、マット・ロジャーズの話題の方が、大会を通じて多かったと思う。

彼は、プロとしてリーグ・ラグビー(今回のW杯も含めて私がいつも話題にしているのは15人制のユニオン・ラグビーのことで、プロ化したのは8年ほど前から。ラグビーにはもうひとつ13人制のリーグ・ラグビーという世界もあって、こちらはずっと昔からプロ・スポーツとして多くの人に親しまれている)でプレーしていたが、最近ユニオンに転向してきた。

センスあふれる柔らかな動き、相手の防御を切り裂く走り、時折見せる意表をつく判断、そして正確で飛距離をかせぐタッチ・キック。彼はバックス・プレーヤーのために生まれてきたようなクールな仕事人だ。少し不良っぽい容姿も実にかっこよく、多くの女性ファンの心を捉えて離さない。

とてもラグビーが好きなお客さん二人と、店で決勝戦のビデオを観ていた時のこと。(この文章の冒頭の)決勝点になるドロップ・ゴールのシーンで主役は当然ウィルキンソンだが、その脇の役回りを演じてしまったのはマット・ロジャーズだったねと、一人のお客さんがつぶやいた。私たちは、もう一度注意深く画面を見直した。

延長後半、オーストラリアが17-17と追いついて残り時間2分。イングランドのキック・オフのボールを味方が受け、自陣22メートル・ライン(ゴール・ラインから22メートルの位置に引かれたライン)の内側でロジャーズにパスを送る。

いつもは涼しい顔でキックを蹴り、ハーフ・ウェイ・ライン(双方のゴール・ラインからは50メートル)近くまで陣地を戻すところだが、キックの瞬間相手選手の猛プレッシャーを受け、22メートル・ラインを僅か7、8メートル越えたあたりに落ちる、彼としてはミス・タッチ・キックとなる。そこは、ウィルキンソンのドロップ・ゴールの射程圏内なのだ。一瞬、彼の顔が歪み、そして何事か自分に悪態をついた。

イングランドは、マイ・ボールのライン・アウトでキャッチしたボールを、何回かのアタックを繰り返し、大切に、大切に前に運んでゆく。そして、最後オーストラリアの防御を牽制したあと、満を持してスクラム・ハーフのドウソンが放った、ど真ん中ストライクのパスを受けたウィルキンソンが、ゴール・ポストに向かって、足元でワン・バウンドさせたボールを蹴り込む。

テレビのスローモーション・シーン、ボールを蹴るウィルキンソンの左奥にロジャーズの姿が映し出されていた。他のオーストラリアの選手が、不可能と知りつつ何とか蹴ったボールを止めようと動いているその中で、彼は、ただ呆然と立ち尽くしていた。目でボールの行方を追うこともしないで、この瞬間、彼はこのゴールが決まることを、間違いなく確信していたのだろう。おそらく、どのイングランドの選手よりも確信していたに違いない。

アタックとディフェンスの違いはあるが、世界一を決める最も大切な場面で、ウィルキンソンはキックを決め、ロジャーズはキック・ミスをした。ロジャーズにとっては、ラグビーの恐ろしさが、骨身にしみる結果になった。

彼は、現在27歳。バックス・プレーヤーとして、4年後のW杯出場は微妙な年齢ではあるが、私個人としてはぜひまた出てきてもらいたいと思う。次回のイングランド戦では、今度はウィルキンソンや相手のフォワードの大男たちが呆然と立ち尽くすなかを走り抜け、イン・ゴールに飛び込んで欲しい。

そして、ゴール・ラインを駆け抜けてこそ、そうトライをとってこそ、ラグビーが素敵なフットボールになりうることを見せつけてもらいたいと思っている。

 

第16回:Where Has My Christmas Gone?
   ~クリスマスはどこへ行った?