第16回:Where Has My Christmas Gone?
~クリスマスはどこへ行った?
更新日2003/12/18
街は今、一様にクリスマス色に彩られている。私の店のある自由が丘も、駅前の大きなイルミネーションを始め、各店舗にはクリスマス・リースやデコレーションが飾られている。そして、いたるところでクリスマス・ソングが流れ、"Merry
Christmas!"の文字が踊っている。
駅の南口の一角にある通称「女床屋」と呼ばれる、20歳から30歳代の女性だけ10人くらいの理髪師さんのいる理容室は(サッカーの日本代表のユニフォームを制服にしていたりしていつも目を引くが)、この季節は全員がサンタ・クロースの格好をしていて、それはよく言えば壮観だ。(着ている方も、髪を切ってもらっている方も気恥ずかしくないのかな?)
街のにぎわいとは裏腹に、年をとったと言うことなのだろうか、子どもの頃はあんなに楽しみにしていた季節なのに、あの浮き立つような気分は、今はもうほとんどない。クリスマス・イヴも、クリスマス当日も、慌ただしい年末の一日であるということでしかなくなってしまった。落ち着いて考えてみると、これはかなり寂しいことだなあ、と思う。
子どもの頃、私の父母妹との4人家族は12月25日には必ず、本当にささやかなクリスマスのお祝いをした。父母がクリスチャンであることから、まず父が聖書を読み、皆で讃美歌を歌ったあと、母の言葉でお祈りをした。そして、日頃滅多に口にすることができなかったケーキや、鶏のモモ肉を食べた。
食事のあとはトランプやいろいろのゲームをしてから眠り、翌朝寝覚めた枕元にはプレゼントが置いてあった。私の場合は、たいがい500円相当ぐらいのプラモデルが多かったが、それが無性にうれしかった。私たち兄妹はこの日がとても楽しみで、12月に入ると、文字通り指折り数えて待っていた。このクリスマスのお祝いは、私が上京する前の年まで続いたように記憶している。
先ほども少し触れたが、私の両親はお互いがキリスト教の教会学校(日曜学校)の教師という縁で結婚したクリスチャンのため、私は生まれて間もなくから教会に通うことになった。父の転勤などで場所は変わったが、私は高校を卒業するまでの18年間、教会に通い続けたことになる。
上京してからも、何ヵ所か教会に足を運んだことがあったし、クリスマス礼拝に顔を出したこともあったが、みなあまり長く続かなかった。聖書の中の言葉が私の生きる上での指針であったり、讃美歌が私の音楽の原点であったりすることは認識していても、未だに私はキリスト教徒にはなっていない。おそらくこの後もなることはないだろう。
この点については、いつかはなってくれるだろうと思っている両親に対し、親不孝をしているなという気持ちは少しあるのだが、あまり考えても詮ないことだという気がしている。
望むところではないにしろ、結果的には唯一神を信じることで、他の唯一神を信じる人たちを否定することになる。これは、決していいことにはならないと思う。イスラエルとアラブの泥沼化した戦いも、今回の米国とアフガンやイラクの問題も帰する所はそこにある。
ただ、私は信仰を持つ人たちを否定するつもりはない。彼らの心のうちには、きっとキリストやマホメットを通したそれぞれの神が生きているのだろう。それが、結果的には悲惨な戦いを生む要因になったとしても、個々が持っている観念を侵すことは、やはり赦されることではない。
話がクリスマスから逸れてしまった、元に戻すことにしよう。
今度はいきなり現実的な話で恐縮だが、私の店は今まで3回クリスマス・イヴを迎えたけれど、毎年お客さんの入りが極端に悪い。リースを飾り、照明も蝋燭だけにして(私のところでは、24、25日の2日間だけ飾り付けをする)、それなりに力を入れているつもりだがさっぱりなのだ。
私のところだけかと嘆いていたが、他の飲食店の方に伺ってもイヴの日は全くだめだという意見が多かった。大きな店の中にはこの日を休業日にしている店が何軒かあることを知り、内心ホッとした。
やはり、家族のある人は家庭で、そして恋人などのカップルはお洒落なレストランで食事をした後、ホテルなどのこれもお洒落なバーで杯を傾けるのだろう。私のところのような庶民バーはお呼びでないかも知れない。
親しくしていただいている焼鳥屋の女将さんが、「うちもだいぶ前からイヴは休んでいるわよ。ところで、その日はマスターのところで恋人のいない男女のお客さんを呼んでパーティーをしたら」と、提案してくださった。
悪くない考えだとは思うが、招待の声をかけるのもちょっとやっかいそうだし、男性のお客さんは洒落で来てくださるかも知れないが、女性のお客さんの参加を望むのは無理というものだろう。蝋燭の光が揺らめき、ジャズ・ヴォーカルの甘いクリスマス・ソングが流れるなかで、私を始め男ばかりが店内で顔を合わせているというのは、正直、極力想像したくない画だ。
というわけで、今年も通常の営業をすることになるだろう。そして、もし例年通りお客さんが来てくださらないとしたら、私はひとり蝋燭を見つめながら、失ってしまった私自身のクリスマス探しに思いを馳せることにしよう。もしかしたら、もう何十年も聞くことができなかったサンタ・クロースの橇の鈴の音が、私の心の中に響いてくるかも知れない。
第17回:My
Country Road ~八ヶ岳讃歌