第334回:日本独自の横綱制度と"グランド・チャンピオン"
お相撲のことは寿司、刺身ほどではありませんが、アメリカでもかなり知られるようになってきました。私の大学のスペイン語の教授(スペイン人ですが)は大の相撲ファンで、お相撲を見るためだけに特別なケーブル(衛星かもしれませんが)テレビの回線を契約していると言っていました。
しかし、お相撲は普通のアメリカ人にとって、太った大きな男が、永遠に続くようなにらみ合い(仕切りのこと)の末、やっと立ち上がったと思ったら1、2秒で勝負がついてしまう奇妙な格闘技という程度しか分っていないでしょう。
横綱のことを"グランド・チャンピオン"と英訳しています。場所の優勝力士、チャンピオンとは別にグランド・チャンピオンがいて(この頃は、横綱白鳳が優勝することが多いですから、
"グランド・チャンピオン"<横綱>が"チャンピオン"<場所の優勝者>のケースが多いですが…)、しかもグランド・チャンピオンが何人もいることがアメリカ的スポーツの感覚では分かりにくいのです。
チャンピオン、優勝者、金メダルはあくまで一人、最高の勝率、最後まで勝ち進んできた者だけの栄誉で、2位、3位の者とはかけ離れた存在であるべきというスポーツ観が強く、いかなる理由があろうとも負ければランキングが下がるのは当然、またがんばって勝ち進めば優勝できると単純明快に考えているようです。
ですから、もう何場所も優勝していない横綱がいたり、横綱より勝率の良い平幕力士がいるのがどうにも理解できないのでしょう。
一度横綱になったら、勝ち続けるか、後は引退しかない…というスポーツ、ゲームは非常にユニークでしょう。ウチの仙人に訊いたところ、碁や将棋にはイロイロな選手権があり、それぞれの優勝者がおり、チャンピオンが負ければ順位が下がるけれど、また挑戦してチャンピオンに帰り咲くことができるそうですから、相撲だけが日本独特のグランド・チャンピオン、横綱制度を編み出しているのでしょう。
負けが込んできた横綱には、引退しか残された道がなく、再起するチャンスがないのは本当に厳しい勝負の世界です。もちろん、横綱になれずに土俵を去る力士の方が圧倒的に多いのですから、相撲界自体が非常に厳しいと言えます。
相撲協会は、なんとかお相撲を世界的な競技にしようと、海外まで遠征の足を延ばしていますし、素質のある未来の力士を積極的にリクルートしています。番付けを見ると上位に外国人がたくさんいるので、お相撲が国際的になってきたな~と思わずにはいられません。
アメリカのプロバスケット、メジャーリーグのプロ野球の試合が日本で行われています。それはそれで日本や中国、アジアの国にバスケット、野球を広げる意味は大きいでしょう。アメリカだけに異常に人気のあるアメフトも来年3試合をイギリスで行うと発表しています。
日本の相撲協会とは別に、アメリカの相撲選手権が、アメリカスポーツの殿堂マジソンスクエアガーデンで開かれました。トーナメント方式で勝ち進みチャンピオンを決めるのですが、行司はトレーナー姿、拍子木の音もなく、呼び出しもなく、力士もなんだか妙にピカピカ、ハデハデしいマワシを締め、中にはボディービルダーそのもの、往年のシュワルツネッガーのような人が出てきたりで、かなりアメリカ的に演出されたシロモノでした。元横綱の曙が解説者として担ぎ出されてはいましたが、日本の本場所とは似て非なるものでした。
なんと言っても、日本の本場所とは雰囲気、盛り上がりが違うのです。白鳳と朝青龍の千秋楽での一番のような、ファンが作り出す熱気、緊張感がマジソンスクエアガーデンにはないのです。数々のボクシングの名勝負が行われたマジソンスクエアガーデンですから、ウツワ、会場の問題ではなく、ファンの質、ファンの成熟度の問題でしょう。
よくスポーツの選手が、「ファンあっての自分だ」とか分ったような、分らないようなことを言っている…と思っていましたが、マジソンスクエアガーデンの世界?相撲選手権を観て(テレビでですが)、お相撲は本当にファンと一体になって創り上げている伝統的スポーツ(と呼んでしまいましたが、他にどう呼んでいいのか分かりませんので…)です。
国際的な力士をたくさん産み出したとはいえ、まだ本場所を海外で行なうにはかなりの年月がかかるでしょう。伝統を守るといえば、何か古臭く、保守的に聞こえますが、お相撲は古くから引き継がれたヤリカタとファンのあり方を守っていかなければなりません。西洋のスポーツと同じレベルに落ちて、夢夢、オリンピックの競技種目に入ろう…などとしてはいけません。
柔道の良さは一本勝負にあると思うのですが、ヨーロッパが主導権を握り、レスリングと同じように時間を決め、ポイント制で優勢勝ちを取るようになってから、一挙に堕落したと信じています。相撲は決して柔道のような道を歩んではならないのです。
相撲はオリンピック種目にならず、世界選手権などなくてもいいのです。豊かな地方性、土着性、お国柄を崩さないことが、逆に普遍性を持つことに繋がり、世界から多くの力士志望者を呼び、結果的に国際的なファンを集めると思うのです。
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