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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第119回:アパートの隣人、キカのこと

更新日2020/05/28

 

地方性が豊かなヨーロッパの中で三歩遅れていた国スペインは、“ピレネー山脈の南はアフリカだ、アラブ文化圏だ”とも言われ、ヨーロッパではないと見なされていた。さらにスペインの中でも、バスク、カタルーニア、ガリシア、カスティーリャ、アンダルシアと言葉も文化も違い、俺は私はカタラン(カタルーニア人)だ、バスク人だとやる。私のような余所者から見ると、そんな些細な違いなんて、大したコトではない、お前たちは皆、闘牛、フラメンコのスペイン人ではないかと言いたくなる。

お国自慢で終わっていれば良いのだが、お国自慢は他国蔑視に繋がりやすく、偏狭な郷土愛、愛国心に結びつく傾向がある。とりわけ独裁者フランコが、国語を“カスティリヤーノ(castellano)”だけにし、他の言葉を禁止した反動で、その他の地方の人々は独自の言語、文化に固執したのだろうか。

provincia
スペイン州区分地図

バルセロナを中心にしたカタルーニア地方の独立運動が未だに衰えないどころかますます盛んになっていく背景には、カタルーニアが歴史上、マドリッドのカスティーリャに支配されたきた、屈折したヒズミがあるのだろう。ステレオタイプで、カタランは商売上手、自分の利益に敏感、演繹してお金に汚い、ケチとなる。カタルーニアの一部でしかないイビセンコ(イビサ人)からでもあいつはカタランだから…というのを何度耳にしたことか。

私は長いことキカ(Kika)はイビセンカ(イビサの女性)だと思っていた。と言うのは、キカはステレオタイプのカタラーナ(カタルーニアの女性)に全く当てはまらない性格だったからだ。キカは『カサ・デ・バンブー』の真上のワンルーム、それもゴメスアパートの中で一番小さな部屋に住んでいた。私、ギュンターそれにキカは、低いゲートと小さな庭を共有していた。増築を繰り返し、複雑怪奇な造りのゴメスアパートにあって、一体誰がどのようにして独立したユニットをひねり出したのか、キカの部屋は西に開けたテラスはあるにしろ広さは4~6畳程度の広さしかなかった。

シャワーはトルコ式(アラブ式)トイレと一緒で、ビニールのカーテンを閉め、両足を真ん中に直径15cmばかりのポッカリ開いた穴をまたぐようにトイレの足乗せ台に置き、シャワーを浴びるという、一種曲芸的技能を要求される造りだった。足を滑らせると、便器の穴に突っ込むことになる。台所は部屋の片隅にキャンプ用よりチャチな造りの電熱式の2口コンロがあり、一応水道、流しは付いてはいる。小さなベッド兼ソファーにしか座るスペースがなく、籐だか柳の低い丸テーブルがあるだけで、ギュンターは修道院の部屋と呼んでいた。

そんな狭い空間に、キカは隣人として私がイビサに住み始める相当前から、そして私がイビサを離れた時もそこに住み続けていた。想像するだけだが、キカはその狭い空間に自分の小宇宙を築いていたのだろう。キカは貧乏だった。それは彼女がお金に拘泥せず、最小限しか働かないからだ。

観光のピークシーズンには実入りの良い仕事がたくさんあるのだが、キカはチップが入るウエイトレスのような仕事に見向きもしなかった。動物好きな彼女は、最低賃金しか稼げない主にペットを扱う獣医のクリニックで助手のような仕事を、それも毎日ではなく、週2、3度だけ行っていた。イビサに動物医院は2軒あった。一つは馬、牛などの家畜専門の年取った獣医で、もう一軒は30代のロベルトがやっている犬猫病院だった。キカはその犬猫専門のロベルトのところで働いていた。

『カサ・デ・バンブー』に合気道仲間と一緒に来たことは何度かあるが、キカが客として来たことはなかったと記憶している。人はキカがカスミか、ドックやキャットフードを食べて生きているとウワサしていた。

キカがイビセンカではなくカタランだと知ったのは、彼女の姉がバルセロナからやってきた時だった。カタラン語をお姉さんと話すのが余程嬉しかったのか、少し舌を巻くようにしゃべるカタラン語がキカのテラスから聞こえてきたからだ。

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現在もイビサ道場は健在(写真はイメージです)

キカは変わった娘だった。合気道に打ち込んでいたし、友達も結構いるように見受けられたが、自分の生き方を変えなかった。男友達を彼女のアパートに連れてくるようなこともなかったと思う。私がイビサに移り住んだ時、キカは20代の初め頃だったと想像している。

麻色の薄い髪を無造作にオカッパにし、細めの小さな顔、よく動くとび色の目と魅力的な表情をしていた。ただ奇妙なほど下の方に重心がある体つきで、胸が薄い分だけデッチリで、そこから太く短いスネが外に向かって突き出ていた。富永一郎が描いたチンコロネーチャンの体型なのだった。日本から来た短足で有名な友人が、「西欧にもあんな短足がいるのか…」と感嘆したほどだ。

おまけにキカは服装に頓着しないのか、彼女独特のファッションセンスがあり、いつもダブダブのモンペ風のズボンで下半身を包み、上は洗いざらしの大きなティーシャツかインドブラウスだった。彼女の歩き方は柔道家のように思いっきり外股、すり足で、しかも万年ゴム草履なので、後ろから見ると、まるで男そのものだった。

そんな風貌からだろう、人はキカをトルティジェイラ(tortillera;レズビアン)だとウワサした。だが、本人は一向に気にせず、化粧し、流行のファッションで自分を美しく見せようという意図を全く見せなかった。一人でこのライフスタイルを貫き通し、一生を終えても誰も驚かなかったと思う。

ところが、忽然という風にベルギーから流れてきた日本武道に凝ったマルセロという男が現れたのだ。マルセロは小柄だががっちりした体躯の持ち主で、空手、柔道、合気道と何でもこなす器用な男だった。『カサ・デ・バンブー』近く、トンネルを抜けたところにあるピソ(日本風にいえばマンション)の一階にある道場で、初めは空手の臨時師範を勤めていた。そのうちに、柔道、合気道と教え幅を広げていった。

通りすがりに道場を覗いただけだが、マルセロは中々の教え上手で、子供の多い柔道初級クラスでは、まずは道場に入る時の礼儀、躾から始め、師範である彼が話す時には、全員きちんと正座させたり、合気道の時には、“これはファイティング・スポーツではない、相手との協調、ハーモニーがカギだ”とかなかなかヤルのだ。

マルセロはイビサの男どもの基準を超えるプレイボーイだった。達者な語学、彼はフランス語、英語、ドイツ語、オランダ語、スペイン語を生かし、駆使して、次々と避暑に来る女性を連れて歩いていた。

キカがマルセロと連れ添って歩いているのを見て、誰しもがエッ、あり得ない組み合わせだ…すぐに壊れるさ、捨てられるさ、と外野席の意見は満場一致したものだった。だがこの予想は見事に外れた。いつの間にかキカのお腹が膨らみ始め、そして珠のような赤ちゃんをキカが、時にマルセロが抱いているのを目にするようになったのだった。

外股歩きこそ変わらなかったが、赤ん坊を抱いたキカは全体が丸く、優しく、女性的になり、美しくさえなったように見えた。赤ん坊を挟むようにキカとマルセロが眼下の石ころビーチに座り、一粒ダネに日光浴させ、遊ばせているいるのは心和む光景だった。

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アパート下の石ころビーチ(夏の週末にはファミリーが多い)

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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