■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)
第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)
第9回:素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)
第10回:半分のオレンジ(前編)
第11回:半分のオレンジ(後編)
第12回:20歳。(前編)
第13回:20歳。(後編)
第14回:別嬪さんのフラメンコ人生(前編)
第15回:別嬪さんのフラメンコ人生(後編)

■更新予定日:毎週木曜日




第16回: 私はインターナショナル。(前編)

更新日2002/08/08 

アミーガ・データ
HN:HARU
1981年、サラマンカ生まれ。
1999年よりスペイン生活、現在3年目。

『トラウマの大安売りだ』、という。ロックバンド、THE HIGH-LOWS のマーシーがそう歌う。その通りかもしれないと思う。野郎っぱちゃ、どいつもこいつもいちいちピィピィ泣きやがって。でもその一方で、私はこうも思うのだ。「もしも私がHARU だったら、こうして21歳の春まで生き抜いてこれただろうか?」 インタビューの最中、目の前に座る彼女を、何度もまじまじと見つめてしまった。


1981年3月21日、スペインの大学都市サラマンカに、大きな瞳とくるりと巻いた長いまつ毛を持つ可愛い女の子が生まれる。母親はスペイン人、父親は日本人。春分の日に生まれたから、HARU という名前が付けられた。

故郷での里帰り出産を終え、娘を胸に抱いて日本へ戻った母は、当時24歳。HARU はそのまま東京の町田で育ち、やがて幼稚園に通うようになる。そこでいきなり、イジメに遭った。みんなで大きな机を囲んで座っているとき、こっそり机の下で蹴られた。お迎えに来た他の子の母親たちが、自分の子に「あの子のお母さんはガイジンだから付き合っちゃ駄目よ」と言っているのも耳にした。

もともと留学生だった父と故郷のスペインで知り合った母とは、スペイン語で会話していた。だから母は、あまり日本語ができない。一方で、日本の環境で育ったHARU は、母親のスペイン語は理解できても、日本語しか話せない。それでも家庭の中にいる分には、問題はなかったかもしれない。

ところが日本では、予防接種から幼稚園の送迎まで、子どもに関わることはほとんど母親の領域。異質なものを排除しがちなこの国で、外国人で言葉も通じにくい彼女が、娘ともども仲間外れにされてしまうのは、悲しいけれどありがちなことだったのかもしれない。そのうち、もともと強くなかった若い母は、神経を病んでしまう。


こうしてHARU が4歳半のとき、一家はスペインへ移ることになる。家族と笑顔で暮らすため、父も日本での安定した公職を辞めた。このときHARU は、お気に入りだったスヌーピーのぬいぐるみを、大好きだったおばあちゃんに預けている。すぐにまた日本へ戻ってくる、彼女はそう思っていたのだ。


日本で育ったためスペイン語はほとんどできなかったHARU だが、4歳の子どもが持つ適応力は本当にすごい。1ヶ月もすると、ふつうに会話できるようになったのだという。父の仕事の都合でスペイン各地を転々とすることになったが、例外的な学校を除いて、差別に遭ったことはなかった。読書好きな母の影響で本をたくさん読み、学科試験やディベート(討論)の評価では常にトップクラス。学校生活も家庭生活も、楽しかった。

母は、故郷に帰って元気になったものの、日本での出来事も追いうちをかけたのか、物事に対してとても悲観的な性格。一方の父は、とても楽観的。それは良いのだが、すぐに他人を信じてしまうため、騙されたり負債を背負わされたりすることもある。友人と共同でビジネスをはじめるために蓄えた資金を、その当人に騙し取られたこともあった。結果的にスペイン各地を転々とすることになったが、HARU は、いつも明るくて前向きな父のことが好きだった。


HARU が10歳になったときに祖父が亡くなり、一家は再び日本へ戻ることになる。HARU は、うれしかったのだという。日本には大好きなおばあちゃんがいて、優しい親類がいる。期待を胸に、「帰国子女を受け入れる」と銘打つ公立小学校の5年生のクラスに転入した。

学校に通いだして、彼女は愕然とする。日本語がまったくわからない。それはそうだ、日本を発ったのは4歳のときだったのだから。しかも小学校5年生ともなると、周囲は中学受験に向けて準備を進める頃。みんながカリカリと勉強をする中、HARU は言葉もわからないまま、机にポツンと座っていた。

日本の学校のシステムにも、戸惑った。たとえばスペインで得意だったディベートの授業が、日本にはない。それにスペインで生まれたHARU は、ほとんどの女の子と同じように生後すぐからピアスをしてきたのだが、それを外せと言われた。腕時計も、駄目。なぜだかわからない。もっともそう注意されていることさえ、当時のHARU にはまったく聞き取れなかったのけど。そしてもうひとつ、スペインの学校にはなくて、日本の学校にあった"システム"……イジメ。

このとき言葉のわからない10歳のHARU が直面したものと、その10年前に言葉のわからなかった母が直面して神経を病むに至ったもの、それらはまったく同じものであろう。異質を排除することでムラ的平穏を手に入れようとする、日本の社会そのものだ。HARU、ピンチだ。どうする? 敵は陰湿で残酷で結束力が強くて、しかもかなりしつこいぞ。

 

 

第17回:私はインターナショナル。(後編)

 
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