金沢駅。もうすぐ昼飯の時間だ。今日は朝から何も食べていない。2月の北陸と言えば寒ブリだ。私は生魚が嫌いだけれど、焼き魚は嫌いではない。むしろブリの照り焼きは好物である。少し町を歩けば、ランチタイムサービスで食べられるかもしれない。いや、そんなケチな心構えはよくない。多少値が張ったところでも構わない。美味いブリ照りを食べよう!……と、思っていたのだ。この時期に北陸に行くならば。
金沢駅。特急雷鳥号は"国鉄型"が健在。
しかし、どれほど日程を組み直しても金沢駅の滞在時間は捻出できなかった。なぜなら、これから能登半島を9時間もかけて往復するからだ。今回の旅の目的は"のと鉄道"である。金沢は能登半島の玄関だが、玄関から奥の間までが想像以上に広い。鉄道による片道の所要時間は約4時間半。いまから出発して単純に往復すると、金沢駅に戻る時刻は21時ごろになる。列車の本数も少なくて、終点の蛸島まで行く列車は1日に6本しかない。能登は遠い。だから魅力があると言えるけれど。
金沢に戻ってもどうせ寝るだけだから、もう少し遅く出発してもいい。そうするとブリ照りの可能性は高まる。しかし、そこで時間を使うと鉄道を往復するだけの旅になってしまう。せっかく能登半島に行ったなら、半島の突端までは行ってみたい。線路は岬までもうすこし、というところで途絶えている。そしてひと月後には消滅してしまう。じっくり能登の風景を楽しむためにも、現地の滞在時間が欲しい。ブリ照りか風景か。選択は簡単だ。ブリ照りはいつでも食べられる。おそらく。
金沢駅の改札を一歩も出ず、降りたホームと逆方向のホームに立った。そのタイミングに合わせたように白い車体が近づく。特急サンダーバード7号、冗談のような名前の列車である。大阪から約3時間かけて金沢に到達し、ここで編成を分割して片方は富山、片方は能登半島の和倉温泉へ行く。私は和倉温泉行きのほうに乗る。北陸フリーきっぷは自由乗降範囲で特急列車の自由席も使える。グリーン車ほどではないけれど、新しい車両だから居心地がいい。大陸の客車列車のように静かで揺れも少ない。
最新型特急車両"サンダーバード"。
それにしても"サンダーバード"とは茶目っ気のある名前をつけたものだ。もともと大阪と北陸を結ぶ特急列車の愛称は"雷鳥"だった。その由来は立山連峰に生息した天然記念物の雷鳥に由来している。"生息した"と過去形にした理由は、立山の雷鳥がすでに絶滅したと言われているからで、現在は飛騨、妙高、乗鞍などに存在が確認されているらしい。絶滅が危ぶまれる鳥なのだ。だから雷鳥という名は由緒正しい。日本の特急列車らしい名前である。
特急雷鳥は1日に20往復以上も設定された。1989(平成元)年、雷鳥のうちいくつかの列車が、サービス向上のために車体の室内と足回りを改良し、高速運転されるようになった。その列車は"スーパー雷鳥"と名付けられる。1995年、スーパー雷鳥には新車が投入されて、さらにスピードアップして室内設備も向上した。その新車の愛称がサンダーバード。現在はそれが列車名になった。雷と鳥だからサンダーバードというわけだ。しかし、雷鳥の英語名はプターミガンまたはグロウスである。テレビの人形劇としても知られるサンダーバードは伝説の鳥で、雷を引き起こす巨大なワシを指す。雷鳥を格上げしてサンダーバードと呼ぶなんて、白鳥をスワンと呼ばずにホワイトバードと呼ぶようなものだ。と、語学学者なら言うだろう。しかしサンダーバードのほうがかっこいい。速そうだ。
列車は津幡で七尾線に進入する。私にとって未乗路線の始まりだ。しかしサンダーバードは停まらない。北陸の鉄道は分岐点という役割だけの駅には特急を停めない方針らしい。私のような旅では分岐点こそ重要な区切りだが、多くの乗客にとってそれは関係のない話であって、スムーズに走ってくれるならそのほうがありがたい。高速バスだってインターチェンジで一時停止はしないのだ。
JR七尾線は津幡駅から4つめの宇野気から羽咋まで日本海沿いに敷かれている。生魚は嫌いだし潮の香りは苦手だが、車窓から見る海は好きだ。しかし海までは遠かった。私が持ってきた地図帳では縮尺が大きすぎて、いかにも線路が海のそばを走るように描かれているけれど、実際は海岸間際を並行する能登道路さえ見えない。やれやれ、景色までも鉄道では不利になってしまったか。
能登半島に多い"長い家"。
しかし車窓から見える街並みは退屈しない。どこにでもあるような民家と田畑の繰り返しだが、よく見ると、建物の形に特徴がある。間口に比べて奥行きの長い平屋建てが多いのだ。いや、平屋なのだろうか、それにしては屋根が高い。屋上の積雪対策として傾斜を付けているだけかもしれないが、広い屋根裏部屋が作れそうだ。倉庫かと思うと、道路に面して立派な玄関を構えた家もある。ほかには住宅メーカーのカタログのような家もあるけれど、"長い家"のほうが多い。目立つ建物ではないので探す楽しみもある。連れがいたら、お互いに見つけ合って盛り上がれたかもしれない。
羽咋から先、進行方向右側の車窓も良い眺めだ。平野の向こうに宝達丘陵の山並みが見える。あれが石川県と富山県の県境だ。宝達という景気の良い名前の由来は、江戸時代に金山発見されたことに由来するという。そういえば輪島塗と金箔模様は加賀名産品の筆頭である。標高637メートルの宝達山から、標高564メートルの石動山まで連なる低い山並みは、茶色の地肌に薄く雪化粧をしている。
その姿に、粉砂糖を降りかけたドイツのクリスマスケーキ、シュトーレンを連想した。シュトーレンに金貨チョコレートを添えて、宝達丘陵セットとして売り出したらどうだろう、甘党の土産に最適ではないか。連想が食べ物ばかりになると空腹の極みだ。金沢の駅弁にブリの照り焼き弁当はなかったか……なかった。景色で目は肥やせても、空腹は満たされない。もうすぐ12時になる。
宝達丘陵を眺める。
第95回以降の行程図
(GIFファイル)
-…つづく