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第644回:簸上鉄道と木次線 - 奥出雲町・雲南市 -

更新日2017/08/24


三井野原で奥出雲町の電気自動車に乗せていただき、向かったところは絲原記念館だった。絲原家は広島の武家で、9代目の忠三郎が広島から奥出雲に移り帰農した。その後、奥出雲地域の発展に寄与し、国政にも人材を送った。現在も地域の政治、経済の核となる家系だ。つまり、絲原記念館は絲原家だけではなく、地域の歴史館でもある。

9代目忠三郎は才能のある人だった。当地で採れる砂鉄と木炭による“たたら製鉄”に注目し、製鉄業で松江藩に認められ、鉄師頭取も務めたという。しかし明治以降、近代製鉄が普及し始めると、良質だが量産に向かない“たたら製鉄”は不利な状況になった。武家社会が終わり、近代化によって、切れ味の良い繊細な刀の需要は潰えた。そして重厚長大な蒸気船、蒸気機関車の時代になりつつあった。

01
奥出雲視察から戻り、いったんホテルにチェックイン

地域の経済を支えてきた絲原家は危機感を察知し、製鉄から林業に転じた。同時に鉄道による地域振興を計画、官営鉄道の宍道駅から木次までの鉄道を開通させた。これが木次線の前身、簸上(ひかみ)鉄道である。簸上鉄道は営業成績も良く、地域の発展に寄与した。さらに政府は簸上鉄道の延長線上に陰陽連絡鉄道の建設を決定する。簸上鉄道の後年は木次から山間へ続く官営鉄道工事の資材輸送でも利益を上げた。

その後、政府は簸上鉄道を買収して、官営鉄道木次線を成立させる。絲原家にとって簸上鉄道は我が子のような存在だ。自ら立案し建設の発起人となり、利益を上げていた鉄道である。手放すには惜しいはず。しかし、それを引き合いに出し、良い条件を引き出したのだろう。

02
雲南市役所 カッコいい

絲原記念館には簸上鉄道に関する展示もある。しかし広い展示室の中では、ささやかな区画である。そこに色あせた報道写真が掲げられていた。政府が簸上鉄道を買収した時の調印式だ。絲原家当主と政府代表が出席している。
「わかりにくいですが、このとき絲原家の当主は笑ってるんですよ」
15代当主の息子さん、つまり16代に案内していただいた。写真をよく見ると、なんとなく口角が上がっているようにも見える。16代の顔と写真を見くらべて、こんな笑顔だったのかな、と思う。

もっと見たかった。売店も食堂も気になった。しかし、これからが私の本番、講演会であった。まさに後ろ髪を引かれる思いで辞した。いずれ個人的に訪れたい。木次線の未来を語り合う場に参加するにあたり、木次線のルーツを知る機会があって良かった。そういう意図で、私ひとりのために計画してくださったのだろう。ありがたい。

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予想より大がかりな催しになっている
(雲南市Facebookページより)

私が奥出雲を巡っている間、雲南市役所では「木次線開業百周年記念事業実行委員会」の設立総会が開催されていた。JR西日本米子支社木次鉄道部、島根県、沿線の自治体と商工会、観光協会が参加したという。実行委員会のキックオフイベントが「これからのJR木次線を考える会」であり、私はその基調講演の大役を仰せつかった。広大な会議室に80名以上が参加するという大規模な形になっていた。

客観的に見た木次線の魅力、全国で続々と誕生しつつある観光列車の歴史と成り立ち。それを踏まえた、木次線の新たな観光列車のアイデアなどをお話しした。JR西日本から廃止方針が示された三江線の例を出し、木次線はJR西日本にとって必要な路線にならなくてはいけない。地域だけではなく、JR西日本にとっても必要な観光列車を導入すべきだと結んだ。じつは、三江線の存続運動に関わる方々もいらして、この後のご挨拶のときに知って冷や汗をかいた。

名刺交換の段になって、雲南市長、奥出雲町長、商工会など、地域の政官財界の主要人物とご挨拶させていただく。島根県議会議員の絲原徳康氏もいらした。絲原家15代当主である。静態保存の蒸気機関車を整備している会のメンバーもいらして、もっとお話を伺いたかった。次の機会があるだろうか。

04
焼鯖ずし。焼いてほぐした身を混ぜ込む

この後、木次駅近くの料理屋で実行委員会主要メンバーと懇親会が開催された。人数は少なかったけれども、市長も町長もいらして恐縮しきりである。営業マン時代は接待する側だったから、もてなされる作法を知らない。なんとか失礼のないように心がけつつ、サバの焼寿司、鶏のモツ煮込みなど名物に舌を打つ。下戸と告白しつつ、進められるままに呑んだ。タクシーに乗せられてホテルに帰ったところまで覚えている。

05
モツ煮込み。細かく切って煮詰めている

翌朝は6時に目覚めた。二日酔いもなくスッキリしている。たぶん、昨夜の宴席が早く終わり、たっぷりと眠ったからだろう。シャワーを浴び、1階のレストランで朝食をしっかり食べて部屋に戻り、ポメラで原稿を書く。2時間を有意義に使って、9時に迎えのクルマが到着。雲南市役所の小会議室で少人数の会議。メンバーは斐伊川サミットの参加自治体だ。出雲市の担当者が加わっている。老朽化している奥出雲おろち号の次の展開を考えよう、という話だ。

06
翌朝は斐伊川サミットの自治体各位と

11時半頃に会議が終わり、すべての課程が終わった。N氏が、帰りの列車に乗る前に、もうすこしご案内したいという。なんと丁寧なことだろうか。そして、この約2時間のドライブも良かった。まずは松江自動車道を約20kmほど南下して、雲南吉田インター付近の“道の駅たたらば壱番地”へ。ここの名物はたまごかけご飯だ。

2002年に吉田ふるさと村が“たまごかけごはん専用醤油おたまはん”を売り出した。世界初のたまごかけごはん専用醤油だ。これが話題となり、TKG(TAMAGO KAKE GOHAN)ブームが起きた。たまごかけご飯の全国大会も開催されているという。雲南市名物である。もともと鶏卵業が盛んという背景があったそうだ。

07
たまごかけご飯、300円

カウンターでたまごかけご飯を注文すると、茶碗に盛ったごはんと玉子がひとつ提供される。玉子を割り、ごはんにかける。殻はカウンター備え付けの専用ゴミ箱に捨てる。醤油は“おたまはん”の関東風と関西風が置いてあり、好きなほうをかける。あとは混ぜて喰らう。

ふだんの朝食ではジュルジュルと流し込んで終わりだけど、ゆっくり味わって食べてみた。玉子のこくみ、飯の甘み。醤油の風味が引き締める。新鮮な玉子とごはん、ご馳走であった。

木次駅に戻り、線路を渡って丘を上がっていく。次の目的地は葡萄園だった。日当たりの良さそうな場所にブドウ畑がある。小さなワイナリーがあり、ログハウス調の洒落た建物である。地下に貯蔵庫、地上に即売所とレストランがある。ワインを買って、発想手続きをする。冷蔵ケースの中にチーズがあり、製造元を見ると木次乳業と書いてある。ワインもあって、チーズも地元で作っている。これはいい観光列車に使える。

08
奥出雲葡萄園の畑

木次乳業についてN氏に聞くと、日本で初のパスチャライズ(低温殺菌)牛乳を商品化したメーカーだという。パスチャライズは食中毒菌だけを殺菌し、乳酸菌など風味に必要な菌は殺さない。ほとんどが地元の消費ながら、高級食品通販サイトで取り扱っているという。あ、そうか。映画『うん、何?』で、パッケージを誤植してヤマタノオチチ牛乳を作った会社だ。

日本初の醤油、日本初の牛乳。すごい。ローカル線の沿線というだけの認識を改めた。車窓を眺めているだけでは、わからないことがたくさんある。おそらく、全国のローカル線にもこんな発見があるのだろう。
「時間の都合で、木次乳業さんには行けません。すみません」
N氏が済まなそうに言う。もっと誇りたいところがたくさんあるのだ。

09
奥出雲葡萄園、欧州の雰囲気

昨日の講演で、全国の観光列車の事例を紹介した。それを聞いて、彼の心には小さなライバル心が起きたに違いない。だから私に「もっと地元を知ってほしい」と時間を作ってくださった。ありがたい。

木次駅に戻った。13時55分発の上り列車で木次線とお別れである。N課長ともお別れ。握手。「お世話になりました」と互いに礼を交わす。列車が動き出し、N氏の姿が遠ざかる。私が講演で伝えた情報よりも、得る知識のほうが多かった。木次線、雲南市、奥出雲町と、これからも縁が続きそうだ。地縁も血縁もない路線や地域で深く関わる。私にとって初めての、良い経験となった。

10
さよならNさん


-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
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『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』 ~日本全国列車旅、達人のとっておき33選~』

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