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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第346回:帰国子女、夏の川根路を走る -大井川鐵道本線 2-
更新日2010/09/09


SL列車の発車時刻が近づいて、新金谷駅にお客が集まってきた。改札口から伸びた列は駅舎に収まらず、私はかろうじて庇のある位置になった。SL列車に乗る客は、東海道線と接続する金谷駅から乗るものと思っていた。しかし実際は新金谷駅までクルマで来る人が多いようだ。線路沿いや土産物屋の周囲に十分な駐車場があって、駐車料金は乗用車が1日700円。1泊2日で1,200円。これは安い。いつまで続くか知らないけれど、週末の高速道路1,000円均一料金の時代でもある。家族やグループ客にとってはクルマのほうが便利かもしれない。鉄道好きは列車で来るけれど、SL観光客はクルマでやってくる。


本日の登板はC56タイ国鉄仕様。

私の列の前にいる家族が、大きなズタ袋を下げている。その袋がもそもそと動く。なんだろうと思ったら、ひょっこりと犬が顔を出した。フレンチブルドックだった。かわいい。しかし気の毒でもある。この暑さは鼻の短い犬種にとって辛いはずだ。車内はともかく、せめて駅舎では外に出してあげたらいいのに。あるいは袋の中に冷凍したペットボトルを放り込んであげないと。鼻の短い犬種は、夏は航空機の預かり輸送も断られてしまう。空港作業スペースの暑さで体調を崩し、死に至る場合もあるからだ。それはともかく、クルマで来られるなら犬と一緒の旅も楽だ。次は私も飼い犬を連れて来ようか。

SL列車の到着5分前にホームに入場した。留置線の客車の写真を撮ったあと、私は新金谷方向のホームの端に立った。金谷からやってくるSLを迎えるためだ。私の周りにもアマチュアカメラマンが立っている。カメラの半数がビデオカメラである。SLは、誰もが撮影したくなる機械らしい。私は左手に3Dカメラ、右手に普段のデジカメを構えた。待っているは時間は長い。腕が痛くなってきたところで、遠くからぼーっと汽笛が聞こえた。横丁から顔を出す子供のように、建物の影からSLが現れた。シュシュシュという音が近づき、ドドドという音が大きくなって、緑色のSLが目前を通過。列車がホームに横たわった。


大井川鐵道のほとんどのSL列車は最後部に電気機関車の補機を連結する。
この機関車は大阪セメントで活躍した"いぶき501型"。

先頭の機関車はボイラーあたりが緑色に塗装されている。世界的にも蒸気機関車といえば黒が普通で、日本の蒸気機関車も黒かった。この蒸気機関車はC56形といって、製造時も国鉄時代も黒だった。それが緑色になっている理由は、この機関車の第二の故郷、タイ国鉄時代の塗装を再現しているからである。この機関車は太平洋戦争時代に製造され、戦線が南方大陸に拡大されたときに、補給線路に使われるため海を渡った。そして終戦後、日本軍が引き上げるときに現地に取り残されてしまった。そうした多くの機関車を、ミャンマーやタイの人々が大切に使ってくれて、現地の復興と発展の一助とした。やがて彼の国でも鉄道が近代化され、蒸気機関車が廃車になった。それを大井川鐵道が引き取った。つまり、このC56形機関車は戦争の証人であり、帰国子女でもあるというわけだ。

このC56は大井川鐵道で復旧したとき、いったん国鉄仕様に戻された。そして、日タイ友好年を記念してタイ国鉄塗装に復元された。しかし、それも今月限り。9月の車両検査のときに国鉄仕様に戻されるという。出自を物語る塗装だからそのままにして欲しいという思いもあるけれど、後ろにつながる客車が旧国鉄色だから、国鉄色のほうが落ち着くかもしれない。大井川鐵道のSLは、テレビドラマや映画の昭和時代の場面に使われるから、なるべく状態のよい機関車を、国鉄時代の姿に復元しておきたいだろう。


冷房無し。みんな窓を開けて!

私の指定席は2号車だ。4人がけの箱席の向かいに先客がいた。少年とその母親だ。私は進行方向に向いた窓側。彼らは私より早く予約しただろうに、後ろ向きの席。気の毒だなと思う。
「いやあ、暑いですね。夏に来たことをちょっと後悔しました」と挨拶。
「そうですね。まさか冷房がないとは」と母親。
そう、大井川鐵道のSL列車に使われる客車は、戦中戦後生まれの国鉄客車で、冷房装がない。後年にJR各社が走らせているSL列車には、冷房つきの客車があてがわれている。昔のままの旧型客車自体が残っておらず、冷房つきの客車が余剰となっていたからでもある。大井川鐵道は昔の客車のままだ。もちろん、それがSLにもっとも似合うと誰もが認めるところである。ゆえに夏は暑い。

くたびれた扇風機が回っているけれど、気休めにしかならない。それでも、列車が走り出すと、窓から入ってくる風が心地よい。ああそうだ。窓から入る風を浴びるなんて久しぶりである。これがSL時代の夏の汽車旅。今となっては貴重な体験だ。さっきまで噴き出していた汗が風に飛ばされていく。こんな暑い季節にもかかわらず、座席は満席である。高速道路料金1,000円という政策で、JRは悲鳴を上げている。しかし地方の観光鉄道はクルマで訪れる客で賑わっているという。この状況を見る限り、そのとおりかもしれない。乗客も暑いけれど、運転士や釜炊き掛は毎日この暑さと戦っている。この賑わいがその努力に応えている。


自然の植栽と茶畑に囲まれて走る。

車窓は金谷の町を抜けた。住宅が散在し、水田や茶畑が見える。さすが静岡。茶畑が多い。ちょっとの隙間も、山の斜面も茶の畝である。その緑の美しいこと。大井川鐵道の魅力は、季節感をはっきり見せてくれるところだ。秋の紅葉、冬の荒涼、春の花咲く様子は季節を感じやすい。しかし、夏の夏らしさは難しい。それがここでは茶畑の緑である。民家の庭には夏みかんの黄色い玉がある。夏の空は青いぞ、夏の雲は白いぞ、夏の山は濃い緑だぞ、茶畑も緑だぞ。そして暑いぞ。これが夏だぞ。もう、降参したいくらいに夏を感じさせてくれる。そして、ちょっとだけご褒美として、大井川の水面を渡った涼しい風を届けてくれる。

向かいの親子はSL好きではなく、少年がダムのファンとのこと。今回は奥大井湖上駅からダムの景色を眺めたいという。私はダム好きではないけれど、昨秋は九頭竜ダムに行った。友人にはダムの放水見物が好きな男がいる。そんな話を紹介しつつ、しばしダム談義。ダムの放水には観光用の放水と実用重視の放水があるとか、ダムの形とか、いろいろ教わった。自分の知らない分野の話を聞くと、知識を得したようで楽しい。


もと京阪特急とすれ違い。

SL列車には観光ガイドが乗務しており、案内放送や客車をめぐっての講話や民謡披露などで活躍している。しかし真夏で窓を全開にしているから、よく聞き取れない。断片的に聞こえるところで、なにやら有名なつり橋があるとか、日本一短いトンネルがあるとかという内容だ。つり橋は見えたけれど、トンネルは見逃した。そもそも日本一短いトンネルはJR吾妻線に合ったのではないかと思う。

後に調べると、やはり短さでは吾妻線の7.2mのトンネルが日本でもっとも短い。大井川鐵道の「日本一短いトンネル」は約10メートルだ。しかも、山をくりぬくトンネルではなく、かつてあった作業用ロープウェーと鉄道の架線が接触しないように覆った建物らしい。これはトンネルといえるのか怪しいけれど、地元の人々には日本一と信じられているらしい。もっとも、吾妻線のほうはダム建設によって線路が付け替えられ、日本一短いトンネルの線路は廃止されてしまう。するとこちらが正真正銘の日本一になるかもしれない。あれが建物ではなくトンネルだと言うならば、である。


カーブ区間では身を乗り出して機関車の写真を撮る人が多い。

大井川鐵道は文字通り大井川に沿っている。その大井川はかなり蛇行しており、川幅は広い。その川幅に対して、水の流れはかなり少ない。上流のダムで水量を制御する以前はかなり暴れたと思われる。上流に遡るにつれて、まっすぐに敷かれた線路の下、大井川は右へ左へと振れた。枝を伝う蔓草の如し。鉄橋も多い上にトンネルも多く、大井川鐵道の車窓は忙しい。乗客もまた忙しい。トンネルを通るたび、乗客たちは窓ガラスを下ろす。それを何度も繰り返すうちに、誰ともなく「窓ガラスを上げ下げするよりも、ブラインドスクリーンを下ろしたほうが楽で、煙をよける効果も変わらない」と気づく。


大井川をのぞみながら。

大井川鐵道は単線だから、途中の駅で上り列車とすれ違う。SL列車は元近鉄特急と、元京阪特急を待たせた。古参の貫禄である。電車に乗っている子供が手を振る。きっとこちらでも誰かが応えているのだろう。沿線の畑や水田の作業をする人もSL列車に手を振っている。毎日走る列車に対して、いつも手を振るのだろうか。いや、SL列車の通過をきっかけに体を起こし、姿勢を伸ばし、ついでに手を振っているかもしれない。毎日決まった時間に走る列車が、沿線の人々の時計代わりだったり、何か行動を起こすきっかけだったりする。それがこの地域ではSLだとすれば、なかなか楽しい毎日だと思う。


千頭駅に到着。"緑の機関車"は8月で終了した。

SL列車は11時26分に千頭駅に到着した。新金谷を出てから1時間15分。真夏の昭和のSL列車体験としてはちょうどいい時間である。家族連れが機関車を背景にして記念写真を撮っている。私は対向側のホームから機関車全体を撮った。山奥に来たような気がするけれど、まだ気温は高く、30度を超えていると思われる。涼気はトロッコ列車までお預けらしい。私はひとまず、駅前の土産物屋で静岡茶ソフトクリームを食べた。茶の葉の粒が練り込まれて、確かに緑茶の香りがした。


千頭駅構内の保存車両。

-…つづく

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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