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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第347回:トンネルと鉄橋と歯車レール -大井川鐡道井川線1-
更新日2010/09/16


大井川鉄道、千頭駅。山奥の駅にしては構内が広く、何本もレールが並んでいた。大井川鉄道はもともと、大井川水系の発電所建設のために作られた鉄道であるから、この規模は当時の機械輸送や土砂の搬出のために必要だったのだろう。都会の鉄道なら、余った土地の線路を剥がしてアパートでも建ててしまうところである。往時の面影を残す構内に、井川線の小さな客車や機関車がゆったりと佇んでいる。奥に、今まで本線で活躍したであろう古い電車たちが並んでいた。この景色に記憶があるようなないような。もし高校時代にここまでSL列車に乗ったとすれば、私は当時の記憶を喪失している。それはちょっと悲しいけれど、そのおかげで景色が新しく楽しめる。


千頭駅構内。古い電車と井川線用の小さな貨車。

井川線の終点、井川駅までの往復きっぷを買った。2,560円。昔ながらの硬いきっぷだ。往復券だからちょっと横長で、片道ぶんを乗るとその部分を切り離せるようになっている。もっとも、記念に持ち帰りたいという客が多いらしく、終点・井川駅の改札では係員に見せるだけ。切り取られることはなかった。帰りも千頭駅の外へ出なかったので、このきっぷは丸ごと手元に残った。きっぷは売上帳票のひとつだから、昔は記念に貰おうとすると渋い顔をする駅員が多かった。最近は列車内における正規乗車証明書という意味合いが強いようだ。もっとも、フリーきっぷなどは用済みの際に返却しない人が多い。


井川線の井川行き列車。こちらが前向き。

井川線は"南アルプスアプトライン"という愛称が与えられている。路線延長は約25キロ。線路は本線と同じ幅だ。しかし車両は小さい。この路線も発電所や井川ダムの建設資材輸送用に作られた。険しい山道になることと、トンネルをたくさん掘る必要があったため、トンネル断面を小さくして、建設コストと施工期間の短縮を図ったのだろう。ちなみに、運行は大井川鉄道が行っているものの、線路や用地の所有者は中部電力だという。


井川線のディーゼル機関車。こちらが後ろ。

井川線のホームにはすでに列車が待っていた。機関車と客車が数両。トロッコ列車といわれる客車はどれも小さく、向かい合わせの座席は片側が一人用、もう片側が二人用になっている。発車時刻が近づいて、お客が集まり、空席を埋めていく。客車は形式がばらばらで、どれにしようか迷っているようだ。車掌が窓の大きな車両が涼しいと薦めている。清流、大井川のほとりではあるけれど、この夏の猛暑は上流まで達しているらしい。


井川線の客車。3列のボックスシートだ。

機関車が金谷駅側に連結されているから、ほとんどのお客が機関車のほうを向いて座っている。しかし、井川線の出発方向は逆だ。機関車が後ろになって、客車を押し上げていく方式である。その先頭にあたる客車にはヘッドライトや小さな運転席がしつらえてある。これは動力集中式といって、日本では珍しいスタイルだ。製造費の高い機関車と製造費の安い客車をつないでいくため、電車よりもコスト効率が良く、客室が静かというメリットがある。欧州では山岳路線でも平坦な路線でも用いられている。もっとも、アプトラインはトンネルと鉄橋が多く、窓を開けて走るので、静けさのメリットは享受できない。


私が客室に座っていると、SL列車で向かいに座っていた親子がホームを歩いていた。あちらもこちらに気がついて、会釈を交わす。SL列車に比べると乗客は少なく、1両に1グループか2グループ程度。私は遠慮なく4人がけボックスを独り占めできた。通路の反対側には20代と思われるカップルが座った。向こうの景色を見るふりをして様子を窺うと、なかなかの美男美女である。4人がけの席がまだいくつも空いていて、そっちのほうがゆったりできると思うけれど、"二人だけの専用席"のほうが居心地がいいらしい。さっそく缶ビールのふたを開けて談笑している。うらやましい。


川根両国駅付近の車庫。

大音量の車内放送で発車の知らせがあって、列車が動き出した。ゴトゴトと大きな音を立てている。何本にも分かれた線路が収束して1本になる。遊園地の乗り物のようでもあるけれど、しばらく走っても元の場所に戻らない。右は谷間、左は山。この山は南アルプスの裾である。次の駅、川根両国で上り列車とすれ違う。あちらの客車は賑わっていた。前日に寸又峡の旅館に泊まり、朝食後に出発するとこの列車になるのだろう。川根両国を発車してすぐのところに、黒い無蓋貨車がいくつか留置されていた。これが井川線のもうひとつの役目、井川ダムへの資材輸送に使われる貨車だ。車体はピカピカに磨かれている。


大井川には吊り橋も多い。

大井川に寄り添うようで、川に近づくとトンネルに入ってしまう。車内放送によると、井川線には61箇所もトンネルがあるそうだ。車内放送が大音量の理由は走行中の音で消されないためだったようで、よく聞こえる。土本駅付近には4軒の民家があり、そのうち3件が"土本家"だという。この付近は1991年まで道路が無く、民家への物資輸送も井川線が担っていたとのこと。郵便も新聞も宅配便も列車で届いたらしい。それにしても、こんな所に住み続けるとはどういうご職業かと思う。営林関係だろうか。


鉄橋とトンネルの連続。建設の苦労が忍ばれる。


大井川と支流2本が合流するポイント。

線路は谷に沿って曲がりくねっている。大井川はかなりねじ曲がった川で、川根小山駅付近から東に大きく迂回し、岬のような山を避けて6キロ以上も蛇行する。列車のほうはトンネルをくぐり、1.7キロで奥泉駅に到着する。川に沿うか、トンネルにするか。建設した人々は悩みに悩んだだろうと思う。しかしすべては鉄道を通すため、そもそも発電所を造るためであった。発電所を造るためにはダムも必要になる。大井川水系は16のダムが連なる"ダム銀座"だ。井川線はダムを造るために建設された。そして、新たなダムを造るために線路を移設した区間もある。この一部が日本で唯一の「アプト区間」になっている。


このような景観がいくつもある。

-…つづく

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。月刊文藝春秋「乗り鉄うまい旅」連載。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。

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