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■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想


更新日2022/07/21 


 

第29回:戦争の悲惨



父親の死を受けてカロはパリからナンシーに帰りましたが、ナンシーは悲惨な状態にありました。ペストが大流行していたからです。父の死因もペストでした。ペストは父の死の翌年、1661年にも収まる気配を見せず、しかもそんな最中(さなか)であったにもかかわらず、悪いことに、フランス国王の座を奪い取る妄想を捨てきることができずにいたロレーヌ大公シャルル4世の野望に再び火を付ける人物がロレーヌに庇護を求めてやってきました。

ルイ13世の母マリー・ド・メディシスが自らの三男、13世の弟ガストン・ドルレアンを焚きつけて王宮からリシュリューを失脚させようとした陰謀が失敗に終わったため、さすがに処刑はされなかったものの、マリーはフランスから追放されてベルギーに追いやられ、共謀者とされたガストンが、シャルルを頼ってロレーヌに逃亡してきたのだった。

身の程知らずの二人は早速、リシュリュー打倒の作戦を練り始め、オーストリアのフェルディナント2世と組んで憎っくきリシュリュー率いるフランス軍を打ち破るべく、まずはなけなしの金をはたいてフランスとの戦いに負け戦を続けていたフェルディナント2世に軍資金を送って鼓舞し、自らも旗を挙げますが、ペスト禍にあり、しかも飢饉にも襲われていたロレーヌ軍は、病人が続出するなどして戦をする前に壊滅状態にあって、まともに戦えるわけがなく、たちまちフランス軍に占領されてしまう始末。

つまりその頃のロレーヌ公国は、ペスト、飢饉、戦争という、人間の暮らしにとって最も遭遇したくないことが三つも重なり合った極限的に悲惨な状況下にありました。そしてこの状況の中で戦争まで起こして他国軍に占領される事態を招いた原因の多くは、愚かなシャルル4世にありました。今も昔もそうですけれども、民にとって、愚かな治世者に統治されることは疫病に匹敵するほどの、あるいはそれ以上の禍害かもしれません。

その頃カロは教会などから頼まれて宗教的な版画をつくったり、精巧な技術を見込まれて混乱した世の中で必要になっていた、貨幣の真偽を見極めるためにも必要なコインの裏と表をリアルに描いた版画をつくる以外は、カロらしい仕事をほとんどしていませんでした。

もとよりロレーヌ公国の敵であるフランスから依頼されて、戦勝記念版画『レ島攻防戦』『ラ・ロシェル攻城戦』の大版画を制作したカロに公国からの依頼などくるはずもなかったわけですけれども、そのような大仕事の対価もあり、また所蔵する版画もそこそこ売れていたこともあって、カロ自身は生活に困ってはおらず、逆にこの頃、ナンシーや近郊の土地や家屋を盛んに買う余裕さえありました。

もしかしたら、すでにシャルル4世統治下のロレーヌ公国を見限っていたカロは、フランスに占領されて、ゆくゆくはフランスに併合されれば、むしろ状況は安定して、その頃暴落していたであろう不動産の価値も安定するだろうと冷静に見ていたのかもしれません。あるいは国や国王などという存在そのものに幻滅していたのかもしれません。

そんなカロでしたけれども、ロレーヌの悲惨な状況を目の当たりにして、画家としての本能に突き動かされたのかもしれませんが、1633年、突如、それまでどんな画家も描かなかった、というより描き得なかった戦争画を一連の版画に描きました。『戦争の悲惨』という作品です。これはまさに画家として経済的に独立していたカロにしかなし得なかった、視覚表現史に特筆されるべき画期的な作品でした。

いうまでもなく画家はそれまで、王宮であれ教会であれ金持ちであれ、そうした依頼主から注文された絵を描くことで生計を立てていました。したがって画題《テーマ》やそれに付与すべき空気感などは自ずと、多かれ少なかれ依頼主の要望に添わざるを得ません。ましてや戦争画は、わざわざ負け戦を描かせる国王などはいませんから、戦争画は必然的に戦勝画でした。

先の二作品や『ブレダ攻城戦』も、カロ風のアレンジが施されてはいるものの、やはり戦勝画でした。ところが『戦争の悲惨』には、戦争という人間が犯す最大の愚行であり凶行である戦争がもたらすさまざまな悲惨と悪行が描かれていました。

『戦争の悲惨』には18点からなる大きな版(1633年、約8.2㎝×18.7㎝)と6作品からなる小さな版(1635年、5.4㎝×11.5㎝)の二つのシリーズがありますが、そこに描かれているのは殺戮や掠奪などの極限的かつ非人間的な暴力であり醜悪な悪行です。そしてそれが戦争というものの現実だということが画面を通して痛々しく伝わってきます。勝利や勇気や栄光や大義や正義などといった、しばしば戦争というものと共に用いられる言葉がもたらす勇ましい響きのようなものは、そこには微塵もありません。

では18点の、入隊から報酬の分配までを描いた大版の『戦争の悲惨』から6点の作品を見てみましょう。


29-01
大きな農家の略奪


29-02
修道院の破壊


29-03
吊るし刑


29-04
絞首刑


29-05
銃殺刑


29-06
農民たちの復讐


『大きな農家の略奪』ではかなり大きな農家が襲われています。戦争では昔も今も略奪が繰り返されます。兵士の多くが食い詰めた連中を金で雇った傭兵だった当時はなおさらだったでしょう。食料や物品を盗られるだけならまだしも、画面には殺されている人、襲われている女性、さらには炎の中に逆さ吊りにされている人さえいます。まさに非道の極みです。

『修道院の破壊』でも、修道院から金目のものが盗み出され、馬車で運び去られようとしています。空になった修道院にはもう用はないとばかりに火が放たれ、中から炎が吹き出しています。修道院の屋根に飾られた聖者たちの立像もやがて炎のなかに崩れ落ちるでしょう。人々の心の支えだったはずの教会、また質素な暮らしをして神に仕えることを務めとする修道院さえもが略奪の対象となる戦争。祭壇を壊されることに抗った修道僧たちは殺されてしまったのかもしれません。戦争の中では人の心を救うものとしてある宗教さえ無力です。神はどこへいったのか、このままこの無法を許し置くのかと嘆く悲痛な声が聞こえてきそうです。

『吊るし刑』では一人の男が処刑のためだけに造られた高い柱のような処刑台から吊るされています。普段なら人々が集い、市場やお祭りなどが開かれる広場での処刑。それを見上げる多くの兵士たち。死が待ち受ける場所へ自らの足で上るための長い梯子階段。画面の右端には、おそらく次の処刑者と思われる人物が引き出されてきています。戦争においては、敵は悪魔と同じ、ただ殺すべき存在と見なされます。戦う相手から見てもそれは同じです。通常時の社会においては処罰は悪事に対して行われます。しかし戦争では、敵に向かって鉄砲を撃つことができず、上官の命令に従わずに銃を下に向けることさえ処刑されるべき悪とされます。そこでは人としての常識は無意味となって、敵を一人でも多く殺すことが善とされる狂気がまかり通ります。

次の『絞首刑』はさらに悲惨です。ただ殺すだけではなく、その遺体を人目に晒すために木に吊るす惨さ。それを見る多くの兵士たちがいます。もちろん明日は我が身です。それが酷さを増幅させ、殺し合いがさらなる憎悪と敵意をかきたてます。殺さなければ殺される状況の中で、人の心も感覚も麻痺してしまいます、というより、通常の人としての感覚を捨て去らざるを得なくなるのが戦争です。家族や国を護るためだなどという虚妄が、そこではまかり通ります。何もかも理不尽きわまりなく、そして無残です。もしかしたらカロは、国などというものの存在そのものに、あるいは人間と人間とが敵と味方に分かれて殺しあう愚行を起こす王などという存在にも、底知れない虚しさのようなもの、もしくは絶望的な怒りのようなものを自らの体の内で感じていたのかもしれません。そうでなければ誰に頼まれたのでもないこんな絵を書き遺すはずがありません。

『銃殺刑』では一人の男が銃で殺されています。その向こうにはすでに殺された人たちが横たわっています。画面の手前には、まるで見物でもするかのように座って、犬を指差して何かを話している二人の男の姿も見えます。犬ならばともかく、この二人には、そして引き金を引く兵士には、それが何を意味するかが分かっているはずです。分かってなおそうするところに、そうせざるを得ないところに、人間にとっての戦争の酷さがあります。

人間は、自然界にはないものを自分の手でつくりだす不思議な力を持った存在です。その力を働かせて家をつくり街をつくり、食器をつくり楽器をつくり衣服をつくり花輪をつくって人の心を育んできました。

けれどその手で鉄砲などという、人を殺す武器という物をつくりだしたのもまた人間です。愚かです。そしてその武器を、敵に打ち勝つために、もっと多くの人を殺傷するために競って強化してきたのも人間です。戦争は家や街や人の心など人間が営々として築き上げてきた大切なものを一瞬にして破壊します。それによって勝者が得るものといえば権力者たちの利権や、取るに足らない私的な満足でしかありません。その愚かな競争を止める知恵を、人はいつになったら見い出すことができるのでしょう。

ところでこの『銃殺刑』の画と同じような場面を、カロがこの作品を描いた180年ほど後に描いた画家がいます、フランシスコ・デ・ゴヤです。ゴヤが苦労して宮廷画家にまで上り詰めたとき、隣国フランスで革命が起き、王が民の手によって処刑されたことを知ります。それは王侯貴族が社会を治めてきた長い治世の権力のありようの歴史を逆転させるものでした。

これからは民衆の時代だと思ったゴヤは、王侯貴族から依頼されて描くのではなく、自らが描くに値すると思った画題《テーマ》を版画に描いて、それを民衆に売ることで画家としての自立の道を歩めないかと考え版画集『ロス・カプリチョス(きまぐれ)』を制作しました。

ところがその革命を引き継いだナポレオンが、なんと自ら皇帝を名乗って歴史の時計の針を逆に回し、さらにベラスケスが命をすり減らしてお膳立てしたルイ14世とフェリッペ4世の娘との結婚と引き換えに得た相互不可侵条約を破り、大軍を擁してスペインに攻め込み、それに対して為すすべがなかった王に代わって、スペインの民衆が戦うという悲惨な戦争が始まりました。それに直面したゴヤは密かに版画集『戦争の悲惨』を制作しました。

ことさらに民衆の勇敢さを讃えるのではなく、またフランス軍の非道さを責めるのでもなく、ひたすら戦争というものがもたらす悲惨な現実を直視し、それを描いた版画集は、当時とても発表できずにゴヤの手元に私蔵され、ゴヤが死んで初めてその存在が明らかになりましたが、その版画集の15番に『そしてなすすべもなく』と題された作品があり、そこでは今まさに銃殺されようとしている一人の男が描かれています。

ゴヤの『戦争の悲惨』は当時出版されることはありませんでしたけれども、カロの『戦争の悲惨』は出版され、パリのアンリエの店から販売もされました。このような作品を発表したところに、カロの先進性が垣間見れますけれども、現在のプラド美術館にある当時の王家のコレクションを版画にする仕事をしていたゴヤは、当然のことながらカロの作品を知っていたでしょう、といより、それに先立って制作した『ロス・カプリチョス』もまた、カロがフィレンツェ時代に創った『きまぐれ』にインスパイアされたものでしたから、『戦争の悲惨』もまた、カロの版画集の存在を知った上での作品でした。

つまりもしカロとその作品がなければ、近代的表現の扉を開いたゴヤの傑作版画集も存在しなかったかもしれないということです。そこにこそ、表現者が自らの心が命ずるままに作品を創って遺す意味があります。カロのように聡明で緻密な観察力と理解力を持ち、それに自らの解釈を加えて画面に描き表すことができるアーティストが見たこと感じたこと、表したことのなかには、そのようなことに献身した優れた表現者でなければ為し得ないような、人間と社会に関する普遍的な何かが宿っているからです。

自らが描きたいと思うことを描くこと、戦争のような、たとえ醜く悲惨な現実であっても、それもまた人と人の社会にまつわる一つの現実として描き遺すこと、それこそがゴヤがカロという先達から学んだことでした。

『農民たちの復讐』では逆に、農民たちが兵士たちを襲っています。その犠牲になって吊るされている人もいれば、死んだ兵士の足から靴を奪っている人もいます。これもまた、戦争がなければ起きなかった殺し合いです。ただ、こんなことが、しかも大量の農民による反乱というようなことが、戦争とペストと飢饉に苦しむ当時のロレーヌで、本当にあったのかどうかはわかりません。もしかしたらこの画には、散々な目にあってばかりいる農民への、カロの肩入れのような気持ちが働いていたかもしれません。ちなみにカロはこの頃、遠からず自らの命を奪うことになる重い胃病に苦しむようになっていましたけれども、このような情景を日常的に見聞きすれば、それも無理もないことのように思えます。

最晩年に、目の前で進行している戦争という現実を、それまでどんな画家も描き得なかったような、現在の戦争ドキュメンタリーのようなリアルな絵に描き遺したカロ。そこにはゴヤをインスパイアしたような、そして現代を生きる私たちもまた、重く受け止めざるを得ないような普遍的な問いが、描き表されています。

-…つづく


 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー
第1回:ジャック・カロを知っていますか?
第2回:カロの最初の版画
第3回:ローマでのカロ
第4回:フィレンツェでの幸運な出会い
第5回:最初の公的な仕事
第6回:地獄絵図
第7回:愛のキューピットがトスカーナにやってくる
第8回:祝祭都市フィレンツェ
第9回:ジャック・カロの発見
第10回:独自の路を歩み始めたカロ
第11回:劇的空間
第12回:聖アントニウスの誘惑
第13回:版画集『きまぐれ』
第14回:トスカーナの風景
第15回:三人の役者
第16回:聖地巡礼報告書
第17回:トスカーナの暮らし
第18回:ボヘミアン
第19回:スフェサニアの舞踏
第20回:異形の人々
第21回:男爵大将
第22回:ロレーヌ公国での仕事
第23回:ロレーヌの貴族たち
第24回:三点の大判版画
第25回:宮廷槍試合
第26回:ブレダ包囲戦
第27回:修道院の光
第28回:パリの景色

■更新予定日:隔週木曜日