最終回:チャレンジ・スピリット~日本の若者たちへ
更新日2003/04/24
リュック一つで米国に飛び出した時の目標は、“アメリカで一旗揚げる”というただ漠然としたものだった。しかし、見知らぬ場所へ旅すれば、ほんの少しの判断が自分の人生を大きく変えることが分った。
あの米国大陸横断の時、灼熱のアリゾナ州でバイクが壊れなかったら、そのままニューヨークで生活していたかも知れない。ヒッチハイクで、ビル爺さんと会わなかったら、ラスベガスへ行くこともなかっただろう。ベガスのバスステーションで見知らぬ黒人からサンフランシスコ行きのチケットを買わなかったら、射撃教官の仕事にも出会えなかっただろう。
そんな運命的出会いの延長で、今の自分の生活がある。それは、どんな人でも起こり得ることではあるが、旅先での偶然性は、特に人生への影響力がある気がする。
今年で渡米13年目になる。まだ米国生活者としては、まだまだ中堅選手である。商売も少しは軌道に乗り、ミード湖の川魚を食べなくても生活できるようになった。奇跡的に永住権を取得し、結婚して、マイホームも手に入れた。すべてを自分一人の力で築き上げたわけではない。妻、友人、協力者が支援してくれたお陰で今に至っている。
私と同じ時期に日本から米国へやってきた友人たちは、同じ夢を持ち合わせていながら、色々な事情から夢半ばでの帰国を余儀なくされた。日本に残してきた問題、ビザの問題、金銭的問題、滞在中の事故など、自分がいくら努力しても、どうにもならないことは沢山ある。ふと気付けば、周りには誰も残っていなかった。それは、私に他人より卓越した特別な能力があるわけでなく、所詮はラッキーだっただけだ。だから、その人たちのためにも米国で頑張りたいと思っている。
今の生活に不安がないと言えば嘘になるが、食事さえ困らなければ充分である。別に大金持ちになって、部屋が何室もあるような屋敷に住みたいと思わない。人間、小金が貯まると、ろくなことに使わないことは、金持ち連中を見れば分るはずだ。
日本の若者たちの中には、就職難やリストラなどの暗い現状を見ると、海外に飛び出して、何かを見つけたいと思う人もいるだろう。逆に、こんな時期だからこそ、何かにチャレンジするチャンスが生まれるかもしれない。もし、貴方に自由な時間があれば、そんなゲームのような成り行きに身を任せても面白いかも知れない。後は、『若さ』という行動力を武器に動き廻れば、貴方を楽しい冒険にも導いてくれるだろう。
しかし、米国で知り合った日本の若者たちの多くは、何事も人に頼ることしか頭にない人が多いかった。身寄りのない外国では、人に世話になって当たり前という風に考えている。それどころか、最初から私を頼って米国を訪問して、上手くいかなかったことを人の責任にする者までいた。一人で何かを切り開いて突き進むようなガッツを見せてくれる人間は、まずいない。日本が余りに裕福になり過ぎたのだろうか…。
「アメリカに住むなんて羨ましい。」とよく日本からの観光客の方に言われることがある。それは、世間体を気にしない生活習慣や、まるで映画の世界のような派手なカッコよさからくる憧れなのかも知れない。実際のところは、たまたま居住して仕事をしているのが米国という環境であるだけで、日本となんら変わりはないのだ。
私から見ると、米国で暮らすすべての人たちが幸せには見えない。未だ貧富の差は大きく、米国で100万人規模の街のダウンタウンを歩いて見れば、「タバコや小銭をくれ。」と必ず浮浪者に言われるし、プロジェクトと呼ばれる治安の悪い貧困層の集団住宅へ近付くことを誰もが敬遠している。
サービス業の先進国でありながら、ろくなサービスも期待できない。多民族国家といっても、生活していて他の人種を差別していないと胸を張って答えることもできない。
米国の犯罪率は日本の50倍以上といわれている。自分が極端な小心者であるとも思えないが、誰かに狙われているのではないか? いつか陥れられるのでは? という身の危険を忘れることもない。
高額な税金や消費税を支払いながら、国からの健康保険さえも出ない。何かにつけ、すぐに意味のない告訴をされ、それは結局、莫大な弁護士費用へと消えていく。近くに身内がいないので、いざという時に頼れるのは自分自身だけである。
また、米国で観光業をしていると、日本の不景気や戦争・テロなどの問題にどうしても影響を受け易い。米国政府の妥協のない中東政策は、米国に住んでいても大きな不安要素である。
20代後半から頭髪にやたらと白髪が目立ち始めたが、それは予想以上に米国で生活すること自体がタフなことの証かも知れない。楽しいことも多いが、辛いことはさらに多いのだ。
最近は、指導員で教えるばかりで、射撃の腕もなかり落ちてきた。仕事柄、拳銃(ピストル)の射撃を教えることが多いが、たまには米国人と肩を並べて、自分の好きなDMC(軍用ライフル競技)にも出てみたいと思っている。犯罪の道具扱いされるGUNでも、スポーツとしてなら爽快で実に楽しいものだ。
自分の将来の目標は、米国で自分の射撃場を持つことである。誰もが日頃のストレスを癒すことができる、楽しい空間を自分の手で作りあげて見たいと思っている。
「アメリカで一番楽しかった。」と一言聞けるような、夢を売ることができる仕事をやりたい…。13年前、日本にある自分の四畳半の部屋を飛び出した時の、あのチャレンジ・スピリットを思い出して…。
完
中井 クニヒコ

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