第37回:ビノ・パジェスとお婆さんの手
オリーブオイル、ニンニク、しかも濃い味付けのごった煮はワインを、地酒ビノ・パジェスを飲みながら食べるものなのだ。地ワインの酸味の残った渋さが、油分を中和するのだろう。食卓の上のコモを被せた5リットル入り大瓶ワインの大半は胃袋に消えたと思う。
イビセンコが普段飲んでいる自家製ワインは“ビノ・パジェス”と呼ばれ、ブドウを搾って樽に保存はするが、1年で飲み切ってしまう若いワインだ。ブドウの種類、シャルドネ(Chardonnay)、ピノ・グリージオ (Pinot Grigio)、カベルネ・ソーヴィニヨン(Cabernet Sauvignon)、メルロー(Merlot)などと言うファンシーな名前はビノ・パジェスに存在しないし、知られていない。
イビサのブドウの木はもう何代にも渡って、接木され、剪定され、どういう種類のブドウなのか誰も知らないことだろうし、誰も拘泥しない。違いが出るのはブドウ畑の土と天候によるものだけだ。今年、ウチのは少し酸味が強すぎるとか、サン・ラファエル、サン・ミゲルの傾斜地の作柄がよくて良いワインが取れたとか、もっぱらブドウ畑と天候によってワインの出来、不出来が語られるだけだ。
彼ら自身、ビノ・パジェスが綺麗に瓶詰めされ商品になるとは思っていないし、そんなことをしようともしないだろう。ビノ・パジェスは自分の家族で1年飲む分があれば、それで充分なのだ。
コモ被りの大瓶で地ワインを保存(参考)
1年以上経って飲み残したワインは酢になる。樽の中で成熟させた何年モノのサンタ・ヘルツーディスワインなどは存在しない。政府も自家用のワインに、それがたとえ1,000リットルを超えたとしても、市売しない限り口を挟まないのだ。
地酒、自分の畑で採れたブドウを自分で搾り、醸造した渋みの残るワインを、私にしては目一杯飲み、満腹し、トイレを借りようと、場所を訊いたところ、トイレなどという近代設備がこの豪農の家に存在しないことを知った。外の畑どこでも良いから撒き散らして来い…と言うのだ。母屋から20メートルほど離れたところに小屋とも呼べない小さな離れがあり、女性と男性でも“大”の場合はそこを使うが、男たるもの小用は畑に撒くのが決まりらしかった。
私が初めて昼食に呼ばれた時、カルメンの三人の姉妹、弟一人、両親、父親の母のお婆さん、そしてカルメンの恋人ぺぺ、私を含めて総勢10人だった。そのお婆さんはイビセンコ(イビサ語)オンリーで、カステジャーノ(標準スペイン語)を理解できるが全く話せなかった。当方はイビサ語は全く理解不能だったから、お婆さんとの会話はカルメンとぺぺが通訳してくれた。
お婆さんは伝統的なイビサの未亡人コスチュームドレスに身を固めていた。黒が主体のゆったりとしたブラウスに、これも黒地の長くふんわりとした引きずるほど長いスカート、スカーフには多少白地が混ざっていたように思う。まるで街の土産物屋さんで売っている、イビセンコ人形のようだった。人形と違うのは、顔に深く刻まれたシワで、太陽と風に晒されてきた赤茶の皮膚の下に、ニッコリと微笑む時に覗かせるシワの奥は意外と白い。

イビサ島の伝統的な未亡人コスチューム(参考)
お婆さんは珍客に何かと気を使い、パンを回してくれたり、オリーブオイルにニンニクを潰したものを、パンにこれを付けて食べると美味しいと身振りで示し、ワインを勧め、鶏のごった煮を美味しいか、もっと食べろとジェスチャーで示すのだった。
私が日本人だと言ったところで、お婆さんには日本がどこにあるのか、マジョルカ島のもう少し向こうにある島と思っているのだろうか、何も分かっていなかったと思う。第一、海を見たことがないと言うのだ。イビサの町にも娘時代に2、3度行ったことがあるだけで、50年内外このフィンカ(農家)を離れたことがないと言うのだ。
食事中に目が合うと、深いシワを広げるようにニッコリと微笑み、軽く頷くのだった。昼食後、皆シエスタ(昼寝)に入るのを知っていたから、私は早々にフィンカを辞した。軽くハグし合い、こんな美味しい料理を食べたのは初めてだと多少のお世辞を込めて言い、向こうも、お前はもう家族の一員だからいつでも来てくれと言い、お婆さんとも握手、ハグした。その時、お婆さんの手、指が私の倍くらい太く頑丈なのに気が付いたのだ。
私は、おそらく日本人としては平均的な背丈、骨格を持っていると思う。手もしごく普通のサイズだ。その私の手がすっぽりとお婆さんの手の平に包み込まれたのだ。一体どれだけの労働、鋤きや鍬で土を掘り起こせば、こんな手、指になるのだろうかと思わずにいられなかった。
私がもう立ち去る直前に、お婆さんフッと思い出したように家の中に引き返し、乾燥させたイチジクをギッシリ詰めた、直径30センチはあろう広口瓶をお土産にくれたのだった。イチジクは放射状に綺麗に並べられ、何層にも積み重ねられていた。
シーズンオフに、時折、そのイチジクを取り出し、齧った。硬く乾燥させたイチジクの種のブツブツした歯ごたえと、甘さが口内に広がる時、お婆さんの笑顔と、無骨で生命力溢れた分厚い手を思い出したことだ。
-…つづく
第38回:イビサ商売事情~ウチの人とソトの人
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