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第16回:そして大虐殺が始まった その2

更新日2023/04/27

 

旧フォート・ライアンを11月28日の夜、850名の中から選ばれた675名の騎兵隊と4台の12ポンド大砲を引かせた大隊は、北極星に導かれるようにして、サンドクリークに向かったのだった。砦からサンドクリークまで直線距離にして40マイル(約64Km)少々だ。

フォート・ライアンを出ても、シヴィングトンは攻撃目標を明かさなかった。サイラス・ソウル大尉に率いられた第一義勇騎兵隊も、上官であるシヴィングトン大佐の命令に従うほかなかった。サイラスが率いる第一義勇騎兵隊の方が遥かに訓練の行き届いた、かつ命令が下々まで行き渡っている軍隊だった。

夜明けのまだ暗いうちに、騎兵隊はサンドクリークに到着した。
生き残ったシャイアン族の女性は、遠くから地響きが伝わってきて、砂ホコリが立っているの見て、バッファローの大群が押し寄せてきたと思った、と語っている。それが騎兵隊だと見極めが付いた後も、サンドクリークに食糧、水、毛布を運んできたと思い込んでいた。この時点、おそらく白々と夜が開け始める時まで、部落の住民は白人が無差別の殺戮を始めるとは想像もしていなかったに違いない。

シヴィングトンは、サンドクリーク部落の絶滅を図っていた。布陣し、インディアンの逃亡を防ぐための配置に小1時間もかけている。逃亡を防ぐには、逃亡用の馬を彼らの手の届かない所へ追い込む必要がある。どのようなキャンプ地でも、馬は離れた一角に簡単な囲いロープを張り巡らし、そこに収容する。その時、何頭の馬がいたのかはっきりした数は掴めていない。200頭から500頭と、かけ離れた推測がなされている。

平原シャイアン族、アラパホ族にとって馬は生命線だった。テントを畳んで移動するにも、狩りをするにも馬は欠かせなかった。サンドクリークの若者たちは当然馬を駆って狩りに出かけていたから、その分、優れた馬はキャンプ地に残っていなかったと思われる。それにしても、200頭以上の馬がいたのは驚きだ。 
 
馬追いを仰せつかったのは、ジョージ・ピアースという第一義勇騎兵隊の中でも最下級の兵士(private solder)だった。西部にあっては、馬泥棒は現代の自動車泥棒とは比較にならないくらいの大罪で、時には縛り首にも値した。大平原で馬を盗まれたら死ぬしかないのだ。シャイアン族は、いち早くジョージが馬を追い込んでいるのを見つけ、ライフルで撃ったのだ。この銃声が響き渡り、騎兵隊の突撃が始まったと言われている。また皮肉なことに、白人の騎兵隊員、ジョージ・ピアースが、サンドクリーク虐殺の最初の死者だった。

ジョージ・ピアースが銃声とともに倒れてから、シヴィングトンの攻撃命令が下されるまで、永遠とも感じられる沈黙があった。実際には数秒だったであろう。ここでシヴィングトンは張りのある大声で、「我々の妻や子供たちに、奴らがプラット、アーカンソーで何をしたかを忘れるな! お前たちの母親、父親、兄弟、姉妹は虐殺され、プラットの大地は血で染まったのだ!」とやった。

兵士たちを奮い立たせるのは、往々にしてこのように感情に訴える方が、具体的な作戦を指令するより効果があるらしい。アラモの砦を守っていたデイビー・クロケットなどが、メキシコ軍の前に全滅した。“リメンバー・アラモ”(アラモの砦を忘れるな!)を合言葉に、それを盾に戦争を始め、広大なテキサス、ニューメキシコをアメリカの領土にした。“リメンバー・パールハーバー”(パールハーバーの奇襲を忘れるな!)とアメリカの議会さえ、反対はたったの一票で日本開戦に踏み切った。宣教師上がりのシヴィングトンの最も得意とする、まさに絶頂期の演説だったろう。

そして、第三義勇騎兵隊がなだれ込むように部落を襲い、動くモノは何でも撃ち殺す文字通りの虐殺が始ったのだ。

No.16-01 
手描きの地図、騎兵隊の配置図を再度載せます。
このように乾いた川床に散らばってブラック・ケトルのシャイアン族、
ホワイト・アンテロープのアラパホ族はティーピィー・テントを張っており、
南西のバンク、12、3メートルの高さがあろうか、そこに第三義勇騎兵隊、
対岸の北東に第一義勇騎兵隊を配置した。

今となってはどちらでも良いようなことだが、騎兵隊がなだれ込んだ時、ブラック・ケトルはすでに騎兵隊の侵攻に気付いていて、前もってアメリカの国旗と白旗をティーピーの上に掲げていたとするものと、もう一方で騎兵隊は全くの急襲、騙し打ちで、インディアン部落では誰もそんなことが起こりうると想像もしていなかった、騎兵隊が叫び声を上げながら銃を乱射し始めてから、あわてて星条旗と白旗を上げたという見解を示す歴史家がいる。

インディアンはすでに迎撃の準備をしていた、ジョージ・ピアースを撃ったことがその証明になるとしているのは、騎兵隊、白人側だ。星条旗と白旗は戦況がインディアンにとって絶対的不利になってから、自分の保身のために挙げたと語っているが、それは明らかに騎兵隊員のその後の凄惨な殺戮を合法化、正当化するための方便だろう。加えて、インディアンは重装備で布陣し、騎兵隊を迎え撃ったとさえ証言している。部落に重装備など存在し得なかったのだが…。最強のインディアンを勇敢な俺たちがブチ破ったと誇張、宣伝しているのだ。それがそのままデンバーの新聞に載った。
 
地元新聞『ロッキーマウンテン・ニューズ』には、大きな見出しで、「対インディアンの偉大な戦い! 蛮族どもを四散させる。インディアン500人を殺し、当方はわずか死者9人、負傷者38人」と誇らかに書き立てている。もちろん、この数字はデタラメとは言わないまでも、不正確だ。サンドクリークは戦い、戦闘ではなく、一方的な殺戮なのだ。 
 
攻撃目標をシヴィングトンは最後まで明かさなかったから、ブラック・ケトルや他の酋長、部落民が事前に騎兵隊が攻撃を仕掛けることを知りようがない。だが、いくら夜明け前とはいえ、600騎以上の騎兵隊が地響きを立て部落に向かってきていることは、インディアンは気づいたに違いない。ブラック・ケトルや主だったシャイアン族、アラパホ族の酋長たちは、和平協約を結んでいるのだから、攻撃を受けることはあるまい、私たちは、この部落は跳ね返りインディアンのテログループ、ドッグ・ソルジャーではなく、ここはドッグ・ソルジャーの基地でないことを示すために星条旗と白旗を掲げたのではないか、と思う。

No.16-02
サンドクリーク国立史跡モニュメント

-…つづく

 

 

第17回:そして大虐殺が始まった その3

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第1回:消えゆくインディアン文化
第2回:意外に古いインディアンのアメリカ大陸移住
第3回:インディアンの社会 その1
第4回:インディアンの社会 その2
第5回:サンドクリーク前夜 その1
第6回:サンドクリーク前夜 その2
第7回:サンドクリーク前夜 その3
第8回:サンドクリーク前夜 その4
第9回:サンドクリーク前夜 その5
第10回:シヴィングトンという男 その1
第11回:シヴィングトンという男 その2
第12回:サンドクリークへの旅 その1
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