2004年は災害の多い年だった。
その夏。友人たちと磐越西線のSLに乗ったとき、雨でダイヤが乱れていた。その雨は私たちが帰宅して以降さらに激しくなり、のちに新潟福島集中豪雨となった。その直後に上陸した台風10号、11号の影響で福井県に豪雨が発生。足羽川が氾濫決壊。越美北線は5つの鉄橋が流されて一乗谷と美山の区間が不通となった。その後日本列島は台風の上陸が続き、8月に台風15号、16号、9月に台風18号、10月に台風21号が上陸。その次の台風22号は伊豆箱根鉄道駿豆線を止めた。台風23号によって高山本線の飛騨古川と猪谷の区間も不通となった。そして2004年10月23日。新潟県中越地震が発生。死者46名、家屋被害11万9,445戸の大災害となる。この影響で上越線、上越新幹線の一部区間が破壊された。
これほど鉄道の被災が多い年も珍しく、私の旅にも影響を与えた。次の目的地のひとつが北陸方面で、そこへのルートとして地震や豪雨の被災地を経由する。線路破壊で物理的に行けない、というだけではなく、心理的にも足が遠のく。夜行バスは迂回路経由で復旧していたし、空路で向かう手もある。しかし、必死に復興努力が続く中、あるいは避難生活が続く人もいるそばで、のんびりと車窓見物などしておれない。
私は鉄路復旧のニュースを待ちながら、関東の私鉄ローカル線や和歌山へ向かった。しかし、行けないと思うほど北陸への思いは募る。待ちたいと思う一方で、早く行かなければという焦りもある。私にとっての厄災が近づいているからだ。のと鉄道能登線は2005(平成17)年4月1日の廃止が確定した。JR西日本の富山近郊のローカル線群は北陸新幹線開業と同時に経営分離の方針と噂されている。神岡鉄道も2006年3月で廃止の意向があるという。突然の災害の辛苦には遙かに及ばないけれど、私の厄災は病魔の足音のように、じわりじわりと近づいてくる。
上越新幹線が復旧し、上越線も単線で運行が再開された。それと同時に、私が使おうとしていた『北陸フリーきっぷ』の発売が再開された。これで北陸へのルートが復活した。目的地のひとつであった越美北線はまだ復旧していないが、JR西日本と福井県が河川改修と越美北線復旧工事について合意に達したと報じられた。不通のまま廃止、という事態にはならなかったと安心する。もう待ちきれないと旅立ちを決心し、抱えている仕事を半ば放り出して、2005年2月26日早朝の京浜東北線のホームに立った。奇しくも鉄道紀行作家宮脇俊三氏の命日であった。
2月26日は、私の仕事にとっても重要な日だ。この日、パソコン用ゲームソフト『A列車で行こう7』が発売される。和歌山へ旅立つ日に東京駅ステーションホテルで記者発表があって、その場で私は雑誌に紹介記事を書く約束をした。発売後は攻略記事を執筆することになっていたから、仕事に熱心なライターなら発売日にパソコンショップで入手し、ぶっ続けで遊ぶべきだ。私はそんなに仕事熱心ではないけれど、仕事でなくても遊びたい。私がもっとも愛するゲームの最新作だ。しかし発売日が決まったとき、すでに私は予定を組んでおり動かせなかった。
少し早めに家を出た理由は、せめて『A列車で行こう7』の広告をあしらった電車を見ようと思ったからだ。鉄道会社を経営するゲームだから、ゲームメーカーが電車の広告枠をすべて使った記念列車を走らせている。その時刻はメーカーのWebサイトで発表されていた。旅立ちの駅に着くと、私はさっそくカメラを構えた。予定通りその列車はやってきて、シャッターを押したとき、もしかしたら記事のどこかに使えるかもしれない、と思った。なんとなく免罪符を得たような気分だ。
ゲームソフトの広告電車を見る。
これからの旅に期待する気持ちと、やらなければならぬことの気がかりが心中を交錯する。しかし東京駅に着くとそれどころではなくなった。東北新幹線のホームは大混雑だったからだ。いったいどうしたことだろう。早朝の東京駅新幹線ホームは意外と混むものだ。それにしても人が多すぎる。理由は人々の荷物でわかった。スキー客だった。私は学生時代を松本で過ごしたが、スキーには興味を持たなかった。
そんな私でも、スキーとはクルマやバスで行くものだと思っていた。長野ではそれが常識だった。大きな荷物を抱えて、ギュウギュウ詰めの新幹線で出かける。都会に住む若者にとって、スキーとはそれほどまでに魅力的な遊びなのだろうか。どうにも理解できないことが多すぎる。渋滞が嫌だからといっても、クルマの中なら座っていられるではないか。
指定券はどれも満席……。
2階建て車輌のMAXとき305号に乗り込むと、客室には入れずデッキの階段の下に押しやられた。幸いにも通勤電車とは縁のない生活をしているため、こんな混雑に遭遇するのは10年ぶりだ。スキー客たちは大宮からも乗ってきた。もう無理だ、と思うけれど、押し込まれると不思議なことに収まってしまう。通勤電車と同じである。おそらく彼らの目的地は私と同じ越後湯沢駅だろう。それまでの約1時間、私は景色も見えない位置で耐えている。苦行だな、と思う。この列車は2階建てで座席を増やしているとはいえ8両編成である。これにも腹が立つ。新幹線は最大16両編成で運行できるはずだ。スキー客などは毎年いるのだから、8両編成をふたつ繋いで16両にすればいいものを。いったいJR東日本はなにを考えているのだろうか。
そして大混雑。
しかし周囲を見渡せば、なぜか楽しそうなグループが多い。話し相手がいる1時間は早い。むしろ男女のグルーブは密着を楽しんでいるようでもある。仕方なくという理由で嬉しそうに密着できるから、ダンスホールのチークタイムのようなものらしい。
そんな中、客室から階段を押し分けて動いてくる人がいる。トイレに行きたいのだ。誰かを押しのけ、何かを踏みつつ、緊急目的のために必死で進む。押しつぶされて漏らしてしまわないかと心配しつつ、これはいささか非常識な行為だとまた腹が立つ。しかも、用が済んだらまた元の位置に戻ろうとするのだ。1時間もないのだから、そのままじっとしていればいいのに!
私の焦燥は表情に出ていたらしい。そんな私を胡散臭そうに見る目もあった。どう見てもスキーに行かない風体で、たったひとりの中年男。確かにこれは怪しい。そう意識したとたんに身動きできなくなった。私がスキーヤーたちの行動を理解できないように、彼らも私の旅を理解できないだろう。不遇な1時間。じっとあきらめるしかなかった。
第95回以降の行程図
(GIFファイル)
-…つづく