第340回:流行り歌に寄せて No.145「こまっちゃうナ」~昭和41年(1966年)
福岡は小倉の上富野出身。父親はアメリカ人、母親は大阪生まれの日本人で、昭和26年の3月4日に生まれる。本名は山本あつ子(現在は結婚をして稲葉姓)。リンダは可愛がってくれた父親によって付けられた愛称だが、その父親は彼女が1歳の時に、朝鮮戦争で戦死する。
その後は、母一人、娘一人の貧しい生活を強いられた。貧困のみならず、当時は「合いの子」と呼ばれ、差別によるいじめを受ける。4歳の年には九州を離れ、横浜市の神奈川区に移住するが、周囲からの冷たい視線は変わらなかった。
そのような環境で自立心も早く芽生えたのだろう。母親を少しでも楽にしてあげたいという思いから、11歳の年に『装苑』のモデルオーディションに合格し、その可憐さから人気モデルへと成長していく。そして定時制高校である横浜市立港高校の、1年生の2学期を迎えて間もなくの昭和41年9月20日、まだ15歳にして『こまっちゃうナ』(タイトルの表記で「ナ」は小文字を使っているようである)で歌手デビューを果たした。
私は、今回初めて山本リンダという人の生い立ちを知った。この曲の「ママに聞いたら」などという詞のイメージから、何かもっとフワフワっとした穏やかな家庭の出身の人だと思い込んでいた。実際のリンダの母親は、関西出身らしく、お好み焼きを、それも醤油味のものを作るのを得意としている庶民的な女性だったのである。その後、人気が落ちかけても何回もカムバックを果たす彼女の強さは、小さい頃から育まれたものかもしれない。
「こまっちゃうナ」 遠藤実:作詞・作曲・編曲 山本リンダ:歌
1.
こまっちゃうナ デイトにさそわれて
どうしよう まだまだはやいかしら
※うれしような こわいような
ドキドキしちゃう 私の胸
ママに聞いたら 何にも言わずに笑っているだけ
こまっちゃうナ デイトに誘われて
2.
こまっちゃうナ お手紙来たけれど
悪いかなァ お返事出さなけりゃ
うれしいような こわいような
ふるえてしまう 何故でしょうね
ママに聞いたら 初めはみんなそうなんですって
こまっちゃうナ お手紙来たけれど
(※くり返し)
今までも島倉千代子の『からたち日記』、北原謙二の『若いふたり』、舟木一夫の『高校三年生』、千昌夫の『星影のワルツ』と何曲か遠藤実作品をご紹介させていただいたが、この『こまっちゃうナ』は、少し異色の作品のように思える。
「君はボーイフレンドはいるの?」と遠藤が初対面のリンダに訊ねたとき、彼女が「困っちゃうな」と答えたことがヒントになってできた曲だと言われているが、今までの落ち着いた曲調とは異なり、少女の戸惑い、揺れ動く心情をポップなリズムに乗せて、彼女に跳ねるように歌わせている。当時大流行していたミニスカート姿が、この曲にぴったりと合っていた。
その翌年の第18回NHK紅白歌合戦で、初出場のリンダによってこの曲が披露されたとき、バックでご機嫌に踊っていた金井克子、仲宗根美樹、弘田三枝子、黛ジュンもみなミニスカート姿だった。一緒にいた梓みちよと佐良直美は、パンタロンなどのいわゆるパンツ・ファッションだったが。
そしてこの『こまっちゃうナ』は、苦戦を続けていた新生レーベル『ミノルフォン』の最初の大ヒット曲になった。ミノルフォンは遠藤実の後援者だった太平住宅創業者、中山幸市が立ち上げた太平音響が起源になった会社である。その後、このレコード会社の社長となる遠藤実にとっても、大変に喜ばしい初ヒットだった。前回の日本クラウンの『星のフラメンコ』の話に、よく似ている。
さて、私たち小学校高学年の当時の反応はというと……。どこにでもいるお調子者の男の子は、声を真似て「リンダ、困っちゃう」と連発して、みんなの顰蹙を買い、最後には担任の先生に叱られていた。
女の子たちの反応は、どこか恥ずかしげで、まだ自分たちとは縁のない世界のような控えめなものだった。それからちょうど10年後に登場するピンクレディーの振り真似が、当時小学生の女の子たちの間で大流行となったが、まだまだ時代はおとなしめだったと言えるのだろう。人前で歌ったり、踊ったりするような女の子は皆無だった気がする。
-…つづく
第341回:流行り歌に寄せて No.146「女のためいき」~昭和41年(1966年)
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