のらり 大好評連載中   
 
■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第632回:堕胎禁止法とハリウッド映画界

更新日2019/10/31


ジョージア州の知事ブライアン・ケンプ(Brian Kemp)が堕胎禁止法を発令しました。ハートビート法と呼ばれ、胎児の心臓が脈を打った時点はおよそ妊娠6週間ほどだそうですが、それ以降の堕胎は殺人とみなすというものです。これには強姦や近親相姦による妊娠、胎児がエイズなどの病気、障害を持っている可能性がある場合などの例外も全く認めないというのです。アラバマ州ではより厳しい堕胎禁止法が州議会を通過しました。ちょうど150年前に逆戻りした法規制です。

私たちがスペインに住んでいた頃、かれこれ40-50年前になりますが、スペインでもカトリックの強い影響下で堕胎が禁止されていましたが、不本意に妊娠したセニョリータらは法的規制の緩いイギリスへ行き、堕ろしていました。

アメリカでも南部の保守的な州でいくら規制を厳しくしたところで、隣の州、北部の州へ行けば堕胎できるのですから、自分の州だけで禁止したところであまり意味があるとは思えません。シカゴのクック郡病院だけで年に5,000件の堕胎を行っています。

来年の大統領選挙を目指して、民主党内の予備選挙活動がニギヤカになって来ました。同時に行なわれる地方選挙の売り込み、運動も始まっています。そしていつものことですが、堕胎が政争の大きな焦点の一つになります。主に南部の共和党の政治家がこぞって堕胎反対派(“プロライフ”と呼んでいます)なのは、それだけで保守キリスト教系の票を大量に得ることができるからです。

同じ人命を尊重するなら、アメリカ国内の堕胎件数より遥かに多い戦争での虐殺反対運動をするべきなのですが、それは全く別の思考回路のようなのです。もっとも、アメリカ人の誰が、中近東、アジア、アフリカでの虐殺を気にするもんですか…。それに、アメリカで外交が選挙に結び付いた例はありません。

堕胎に反対するなら、不幸にも妊娠してしまった女性、そして生まれてくる赤ちゃんに対する偏見をなくし、彼らを受け入れる社会を、母親になった女性が経済的にも社会的にも胸を張って子育てができる制度をつくるのが先決だと思うのですが、政治家は法律で禁止し、保守派の票を確保するだけです。あとは臭いモノには蓋をしろ…ということなのでしょう。

ジョージア州の堕胎禁止法へ意外なところから経済的圧力が加わり始めました。それがなんと、ハリウッドの映画界からなのです。ジョージア州がカリフォルニア州のハリウッドに次ぐ、大映画産業の基地だとは知りませんでした。ジョージア州の映画産業は2018年に920億ドルあり、9万2,000人が映画づくりに携わっています。アメフトスタジアムのような大きなスタジオがすでにいくつもあります。それを新興の映画製作会社、Amazon、Netflixが堕胎禁止法反対の立場から、ジョージア州ではもう映画を作らないと言明し、それに続き、ディズニー、ユニヴァーサルもジョージア州から引き上げる方向で動いています。数あるテレビ映画の撮影もジョージア・ボイコットに加わりそうな形勢です。

映画製作会社は当然のことですが、営利事業ですから、人件費が安く、今まで築いてきたスタジオや映画づくりの人脈があるジョージア州を一挙に切り捨てることは難しいはずなのですが、映画は他の産業と違い、監督、プロデューサー、それになんと言っても主演格の俳優の意向を無視できません。堕胎が政治的な問題だけでなく、実際のお金の問題にまでになってきたのです。

テレビで大ヒットしているシリーズドラマ『The Power(権力)』は、第5シーズン目に入っています。すでに建設済みの壮大なセットもあるのに、スタッフやスターの多くはサヴァンナ(ジョージア州の港町)に家を購入しているににもかかわらず、急遽他の州に引っ越すことになりそうな気配なのです。プロデューサーの一人キャシー・ベリー(Kathy Berry)は、「私たち、映画関係者はパニックに陥っています。州の堕胎禁止法のおかげで晴天の霹靂だわ」と語っています。

一番大変なのはプロダクション・デザイナー、大掛かりなセットを作ったり、ロケ地を選び、時代に合った建物などに化粧を施す仕事です。一朝一夕に引越しなどできませんから、ほかの地が舞台になるようストーリーの展開を変える他ないのでは…と言われています。それほどの障害があっても、映画界は断固ジョージア州をボイコットする意思を固めています。

慌てたのはジョージア州の観光、経済界です。堕胎問題がこれほどまでに州の経済にかかわると想像もしていなかったのでしょう、今度は州議会がどこかアタフタした様子で、知事がサインした堕胎禁止法案の批准をはじめ、堕胎禁止法を緩和しようと動き出しました。

それに対し、キリスト教保守派のプロライフの人たちは“お金のために、人命を売るのか”と禁止法支持のデモを行い、保守派議員に働きかけ、断固堕胎禁止法を施行すべしと騒ぎ立てています。

宗教と政治がこれだけ結びついている国は、イスラム教の国々とアメリカぐらいのものではないかしら。 

堕胎などが大きな政治問題になること自体、アメリカ人の政治意識の低さをよく表わしていると思うのですが…。

-…つづく

 

 

第633回:キチガイに刃物、オマワリに拳銃

このコラムの感想を書く

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Grace Joy
(グレース・ジョイ)
著者にメールを送る

中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

■連載完了コラム■
■グレートプレーンズのそよ風■
~アメリカ中西部今昔物語
[全28回]


バックナンバー

第1回~第50回まで
第51回~第100回まで
第100回~第150回まで
第151回~第200回まで
第201回~第250回まで
第251回~第300回まで
第301回~第350回まで
第351回~第400回まで
第401回~第450回まで
第451回~第500回まで

第501回~第550回まで
第551回~第600回まで

第601回:車がなければ生きられない!
第602回:メキシコからの越境通学
第603回:難民の黒人が市長になったお話
第604回:警察に車を止められる確率の件
第605回:日本と世界の浮気事情を比べてみる
第606回:寄付金と裏口入学の現実
第607回:狩猟シーズンと全米高校射撃大会
第608回:アルビーノの引退生活
第609回:人間が作った地震の怪
第610回:チーフ・エグゼクティブ・オフィサーとは何か?
第611回:ホワイトハウス・ボーイズの悲劇
第612回:Hate Crime“憎悪による犯罪”の時代
第613回:ルーサー叔父さんとアトランタでのこと
第614回:“恥の文化” は死滅した?
第615回:経済大国と小国主義、どっちが幸せ?
第616回:“Liar, Liar. Pants on Fire!”
(嘘つき、嘘つき、お前のお尻に火がついた!)

第617回:オーバーツーリズムの時代
第618回:天井知らずのプロスポーツ契約金
第619回:私は神だ、キリストの再来だ!
第620回:両親の老後と老人ホーム
第621回:現在も続く人身売買と性奴隷
第622回:高原大地のフライデー・ナイト・フィーバー
第623回:山は呼んでる? ~100マイル耐久山岳レース
第624回:ウッドストック・コンサート
第625回:セクハラ、強姦、少女売春、人身売買
第626回:学期始めのパーティー
第627回:西洋の庭、日本の庭
第628回:引退前の密かな楽しみ
第629回:ご贈答文化の不思議
第630回:グレード・パークのコミュニティー活動
第631回:“煙が目に沁みる”

■更新予定日:毎週木曜日