第291回:自殺王国?…日本
6、7年も前のことになりますが、客員教授と呼ぶのかしら、東京の大学で1年間教えていたことがあります。JRには本当によく乗りました。私鉄、地下鉄と併せ、あれだけ便利な公共の乗り物がある大都会は世界中にまずないだろう、と感心しました。 運賃が高いだけが欠点ですが…。
駅のホームで列車を待っている時、「人身事故のため列車が遅れております」というアナウンスを再三聞きました。これだけ2、3分おきに電車を走らせているから、踏み切りの事故が当然多くなる…と思っていたところ、踏み切りのない地下鉄でも時々同じアナウンスを聞かされ、元日本人らしいダンナさんに尋ねたところ、「オメー、アリャ飛込み自殺のことだぞ」と教えられました。
人身事故には変りありませんが、「只今、またまた飛び込み自殺者が出ましたので、列車が遅れております。列車への飛び込み自殺は通勤を急いでいる方々に非常に迷惑がかかります。自殺する方はどうぞ、別の方法をお選びください」などとやらないあたりが日本的…というのでしょうか。
西洋人が書く日本人論に必ずと言ってよいほど、日本の自殺率の高さを一つの文化として捉えた、お座成りな意見が出てきます。これは“ハラキリ”、“神風”のイメージの残照でしょうね。そして、日本では自殺を美しいものとして捉え、仏教では是認していると、トンチンカンなことを書いています。どこの国のどんな人種でも、喜んで死ぬ人なんかいませんよ。
仏教…ウンヌンには即身仏や捨身(シャシン)の思想からの演繹があると思われます。自ら断食してミイラになる即身仏や、誰がどう見ても小さな前線通過で即沈みそうな船、渡海船に一人で乗り、しかも身体に石を108個も縛り付けて沖に流す捨身行は外から見ると自殺行為です。抗議の焼身自殺を仏教のお坊さんが行うことも、仏教徒は自殺を崇高なものとして認めている……図式の偏見を増長しています。
仏教に比べ、キリスト教はほとんどの宗派で自殺を禁止していることが、自殺の抑止力なっていると言われています。しかし、これもおかしな話で、一体全体、西欧にどれだけ熱心なキリスト教徒がいるのでしょう、それに自殺するまで精神的に追い込まれた人が、“はて、キリスト教では自殺は禁止事項だし、天国に行けなくなるから止めておこうか”と考えるものでしょうか。
自殺は禁止事項だけど、他の人を殺すのは、聖書にはっきりと“汝、殺すなかれ”と謳っているのに、西欧でとりわけアメリカで人殺しが多い説明がつきません。
キリスト教で自殺したものは破門し、天国に行けないと決めたのは693年のトレド会議でのことで、それまで殉教者が余りに多く出すぎたうえ、フランスではデシメーションといって10人に一人は死ね…と決め、選ばれた(決められた)人は自殺しなければならない風習が残っていました。
元々聖書にも自殺禁止条項はありません。私のニワカ知識ですが、自殺を全面的に否定したのは聖トマス・アクイナスで、明確に“神のみが生と死を司る”と言い出してからではなかったか…と思います。
仏教徒だから、キリスト教徒だから、自殺が多い少ないの議論は凡そ不毛です。はっきりと自殺を禁止しているイスラム教に、自爆自殺テロが多いのはイスラム原理主義者のご都合主義的な解釈によるものだそうです。
統計の年代が異なるのですが、自殺率ナンバーワンはお隣の韓国です。韓国は日本の4、5倍のキリスト教徒がいる国ですし、常に上位を占めているリトアニア、ベラルーシュなど、旧共産圏の国々もやはりキリスト教国です。
日本では毎年3万人以上の人が自殺しています。交通事故の死者は5千人未満ですから、自殺者はおよそ6倍以上いることになります。日本の自殺者の特徴は、中高年層が多く、明らかに不景気の時にグンと増えることです。
そして、男性の自殺率が女性よりはるかに高く、70パーセントは男性なのです。男性の方がストレスに弱いのでしょうか、それとも社会的にも家庭でも大きな責任を一人で背負わされているからでしょうか。
人身事故が自殺だと知ってから、朝晩、駅のホームや電車の中で見るサラリーマンの顔に生気がなく、疲れ切って脂の浮いた表情を、同情的に見るようになりました。どこか、皆、いつホームからフラリと飛び降りてもおかしくない、自殺候補者に見えてきてしまいました。
第292回:アメリカのPTSDと殺人自殺
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