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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第121回:ハンブルゲッサ “ミモ”のこと その1

更新日2020/06/11

 

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バルで出されるタパス(参考イメージ)

イビサだけではないが、スペイン全土に“バル(Bar)”文化とでも呼びたくなるほど、どこに行っても“バル”に行き当たる。日本的なバーとはおよそかけ離れたもので、市場の近くや下町では朝早くから買い物帰りのオカミサンや仕事に向かうサラリーマンが、コーヒーにクロワッサンの朝食を摂るのがバルで、軽食も出す。

カウンターの上にはその店独自のタパス(tapas)やツマミが並び、カージョス(callos;豚の胃袋を辛く煮込んだモノ)とプルポ(purpo;酢ダコのサラダ)、それに輪切りにしたバーラ(barra;棒状のフランスパン)だけで、十分一食になる。チェーン店のような企業化された店はなく、どこのバルは海産物タパスが美味いとか、ボリュームならあっちのバルだとか、狭く薄暗いバルにも独特の味わいがあるのだ。スペインを安ペンションに泊まりながら旅行しても、食べ物に困ることはない。

これだけバラエティに富んだバル文化のところに、アメリカ的なハンバーガーにフライドポテトだけしかない店が流行るわけがない、一体誰が食べるのだ、と思っていた。イビサの港、船着場近くでルーフィーが『ハンブルゲッサ “ミモ”』(Hamburguesa MIMO)を始めた時、何というアイディアだ、どこの誰があんなもの食うものか、すぐに潰れるさと、イビサ雀たちはウワサした。

ルーフィーは十代の息子と、5、6歳の娘を持つ一人身だったが、この二人の子供の父親、ルーフィーの夫が死んだのか、生き別れなのかは知らない。私がルーフィーと知り合いになった時、すでに彼女は一人だった。ルーフィーは親から引き継いだ狭い倉庫を改造し、鉄板グリルだけの台所、脇に冷蔵庫、そしてカウンターだけのスペースしかなく、室内にはテーブルも椅子もなく、お客は小路に広げた白いプラスティックのテーブルと椅子の屋外に陣取ることになるという、一種屋台に毛の生えたような店構えでハンバーガー屋を始めたのだった。

ゲイのジョルジュは、数あるイビサのレストラン、ブティック、土産物屋の看板を一手に引き受けている芸術家だった。彼は色々な書体を巧みにこなし、下書きもせずに見事な看板を描いた。また、達者なレタリングの技能を生かし、レストランのメニューも書いていた。『ミモ』の看板を描いたのもジョルジュで、楕円形の白く大きなバックに明るい水色の文字を入れ、下の方に小さく“ハンブルゲッサ”となければ、エレガントなブティックと勘違いするような看板だった。

ジョルジュの仕事は、レストラン、ブティックが開店する前、セマナサンタ(イースター、復活祭)前が忙しく、いざ観光シーズンが始まってしまうと、ピタリと仕事が来なくなる。女手一人のショーバイを見ていられなかったのだろうか、ジョルジュは当初、次の人が見つかるまでという条件で、鉄板の前でハンバーガーを焼き始めた。これは俺向きの仕事ではないと言いながらも、ゲイ独特と言っていいのだろうか、繊細さをみせ、肉屋が持ってくる挽き肉にも目を光らせ、脂身が多すぎるとか、肉屋に注文をつけ、ハンバーガーも厚めにして肉汁が溢れるように焼き、文字通りアッと言う間に大流行の店にしたのだった。

「ジョルジュよ、ひょっとすると、お前、絵や文字よりも台所の方に才能があるんじゃないのか? そこまでやるなら、イモも冷凍品を止めてフレッシュなのを切り、揚げなきゃウソだ…」と冷やかしたら、「オイ、止めてくれよ、そんなことを始めた日には、身体が幾つあっても足りなくなるぞ…」と、油で濁ったジョン・レノン風丸メガネ越しに笑うのだった。おそらく『ミモ』がイビサで最初のハンバーガー屋だったと思う。それを成功させたのはジョルジュだった。

スペインの家庭料理で挽き肉を使うことはまずない。肉屋はクズ肉をサルチッチャ(salchicha;細めのソーセージ)かチョリソー(chorizo;パプリカの粉末を大量に入れた太いセミドライのソーセージ)に加工して、店先に吊るして売っていた。どうしてもクズ肉が余計に出て余ってしまうし、ソーセージ類も夏場には売れ残ってしまう、クズ肉を挽いて、大量に買ってくれるなら大歓迎だったのだろう、驚くほどの安値で挽き肉を卸して貰っていた。大きな20kg入りのバケツで配達されてくるケッチャプはすべてケミカル合成で、トマトは一粒も入っていないシロモノで、マスタードもシカリ、「これで化学合成の肉、人造粉末のイモを使えば本格的な21世紀、宇宙食ハンバーガーになるんだけど…」とジョルジュは言うのだった。

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当時、スペインではハンバーガーの人気は高くなかったのだが…

『ミモ』の顧客はスペイン人の若者が圧倒的だった。イビサの主客である北ヨーロッパ、イギリスからの避暑客は全く見かけなかった。美味しいタパスがフンダンにカウンターに並べているバールがあるのに、どうしてハンバーガーなのだ…と思ってしまうのだ。値段は大きな要素であることは間違いない。旧市街、港のファッショナブルなバーのテラスに座り、一杯のビールを飲むより安く、ハンバーガー、フライドポテトそしてビールを摂れるのだ。

『ハンブルゲッサ“ミモ”』は外国人避暑客に独占されていた旧市街、港に地元の人が行ける店という楔を打ち込んだ形になったのだった。数年を経ずして、何軒ものハンバーガー屋が現れたが、『ミモ』で街路のテーブルに着けるのは奇跡と言われるほど、いつも満員だった。 

看板に“グランシェフ・ジョルジュが焼くハンバーガー”とでも書き入れるべきじゃないかと冷やかしたところ、「オイ、止めてくれよ、こんなところで働いていたら、自分の脂分も抜け落ちてしまうぞ。サウナの中でバーベキューをやっているようなもんだぞ…」と言い、「もう今年限りでこんな仕事は止めるんだ」と宣言していたが、翌年もジョルジュはサウナの中で焼けた鉄板の前で脂を被っていた。

夏場でもルーフィー、ジョルジュ、それに機敏なルーフィーの息子の三人だけで切り盛りしていた。もっとも、メニューがハンバーガーのみ、それにフライドポテトを付けるかどうかだけだったし、飲み物もビールは“サンミゲル”か“ボーダム”、ミネラルウォーター、コーラだけだったから、単刀直入、これ以上あり得ないくらいのシンプルさだった。

2年目のハイシーズンの真っ最中に忽然といった感じでペドロという男が現れた。ルーフィーと前から因縁があったのか、猫の手も借りたい忙しい時期だったから、ラッシュアワーの時だけアルバイト的に働き始めたのかわからない。

出身地、血筋をあけすけに言う傾向がスペインにあり、私は“ハポネース”(日本人)と呼ばれることが多かったし、ヒターノ(ジプシー)、ヴァレンシアーノ(ヴァレンシア人)、マドリレーニョ(マドリッド人)と呼び、それに肉体的特徴をなんの衒いもなく直接的に言うのだ。「オイジェ、バヒート!」(Oje! Bajito!;チョット、そこのチビ)というように、ゴルド(bordo;デブ)、モレーノ(moreno;色黒)、カルボ(calvo;ハゲ)と、平気で呼ぶのだった。

ペドロはモレーノもモレーノ、あんなに浅黒い肌を持ったスペイン人は見たことがないほど浅黒い肌を持っていた。アフリカの黒人やアラブ人のツヤヤカな黒さではなく、くすんだ灰色で、おまけに目の周りが一層黒ずんでいたから、何かの病気、肝臓障害でも持っているような顔色に見えるのだった。周りの人たちも、私も、ペドロはヒターノだと思っていたが、彼はアリカンテ出身のカステリャーノ(スペイン人)だった。

 

 

第122回:ハンブルゲッサ “ミモ”のこと その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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