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■西部夜話~酒場サルーンと女性たち

第10回:酒場サルーンと女性たち その10

更新日2025/09/25

 

■ラウラ・ブリヨン、あるいはデラ・ローズ、あるいはフリーダ その2

ラウラがカーヴァーを捨て、ベンと一緒になったのは1890年の初め頃だから、彼女はまだ14~16歳だった。ラウラの父親もブッチらのワイルドバンチのメンバーでこそなかったが、南西部のアリゾナ、テキサス、ニューメキシコを舞台に活躍していた“ブラックジャック・ケッチャム”グループの主要メンバーだったから、アウトローに憧れるところがあったのかも知れない。加えて、ラウラはファザー・コンプレックスがあり、逞しいアウトローたちに父親のイメージを求めていたのではないかと深読みする史家もいる。
 
1890年の半ば頃から、この早熟で血気盛んな少女ラウラの記録が多く現れるようになる。それというのも、ワイルドバンチの面々との繋がりというか、犯行に関わり始めたからだ。彼女がファニー・ポーターの娼館で客を取っていたことは確かだが、彼女は客の中でも男らしいアウトローに惹かれていたようだ。ワイルドバンチの面々がラウラを“デラ・ローズ(バラの花)”と呼び習わしていたのはこの頃だ。

ラウラは多感、多情だった。ベンの元を去り、カーヴァーと寄りを戻したが、1901年4月1日にカーヴァーがシェリフに撃ち殺されると、またベンと一緒になっている。ラウラは天性の娼婦だったのか、男なしには生きることができない体質も持ち主だったのか、ただ単にご都合主義で男の間を渡り歩いたのか判断しかねる。

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この写真からはラウラの魅力は伝わってこない
本物は生き生きとしたチャーミングな乙女だった

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ベン・キルパトリックはテキサスのノッポと愛称されるくらい
背が高く、おまけにマッチョないい男だった

はっきりとした記録に現れるは1901年11月6日のことで、警察に逮捕されているからだ。同年の11月1日にベンとラウラは列車でミズーリーのセントルイスに降り立ち、市内のラクレーンホテルにMr.& Mrs. J.W.Roseの名前でチェックインした。

一連の列車強盗事件を捜査していたピンカートンの探偵は、血眼になってベン・キルパトリックを追っていた。ベンは背丈だけでなく容貌も際立っていた。おまけに同伴者のラウラも小柄ながら眼を引く容姿の持ち主だった。

11月5日の夜11時50分と逮捕の時が報告書にある。場所はジョージー・ブラッキーのリゾートで、ベンが一体なんのためにそんなところに行く必要があったのか分からない。大掛かりの捕物であったことは事実で、地元のシェリフに加えてフェデラル・マーシャルも加わっていた。

ベンのポケットにラクレーンホテルの鍵を見つけたシェリフは、翌6日早朝にホテルに向かった。一方、ラウラはベンがその晩帰って来なかったことに異変を感じ、即座に荷をまとめ、朝一番でチェックアウトするところだった。30分、いや15分早ければ、ラウラは逃げおおせたことだろう。

捕まったのはホテルのロビーでだった。ラウラのトランクを開いたシェリフは、そこにぎっしりと詰まったドル札、8500ドルを見つけたのだった。その場でラウラは逮捕された。午前9時15分のことだった。

その当時、紙幣は合衆国の造幣局で印刷されていたが、大量の現金、紙幣は、輸送時の盗難の危険を排除するためだろか、各州の中央銀行にサインなしで送り、そこで頭取が紙幣一枚一枚にサインをしていた。普通に紙幣を使う時、そんなサインなど誰もチェックしなかった。それらしきサインが書かれてあればそれで通用した。

ラウラは自分でサインをした紙幣を大量に持っていた。これは州の管轄ではなく、立派に合衆国政府に対する犯罪だった。今でも偽のサインをするのは大きな犯罪とみなされる。

ラウラは懲役5年の禁固刑を言い渡され、服役した。ベン・キルパトリックは20年の刑だった。

ラウラは3年と6ヵ月で出所した。ベンの方は1911年まで刑務所暮らしだった。それでも20年の刑を9年で出てきているから、よほど刑務所内でお務め態度が良かったのだろう。この間二人は頻繁に手紙のやり取りをしている。

ラウラが小学校の何年までマジメに通ったのか分からないが、なかなかキチンとした英語を書いている。残されたアウトローたちの自筆の手紙を見てショックを受けるほど驚くのは、ブッチ・キャサディー、サンダンス・キッズ、ビリー・ザ・キッド、ボブ・フォードらは、どこで教育を受けたのだろうと思わせるほど、立派な英文を書いていることだ。

ラウラが牢屋を出て、まだベンが牢にいる間も手紙のやりとりは続いた。互いに強い恋愛感情を抱いていたように見えるが、爪楊枝で重箱の四隅をほじくるように洗いざらい経歴を探し出すのが歴史家の特性なのか、ラウラはベンが牢中にいる間、少なくとも4人の男と関係を持ち、同居してたと明かしている。

ベンが牢獄を出た後、ラウラとよりを戻すことはなかった。1911年の出所後、いくばくも経っていない1912年3月13日にベン・キルパトリックは列車強盗を働き、その現場で撃ち殺された。

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列車強盗で撃ち殺された際の記念写真?
右側の男がベン・キルパトリック

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ラウラ・ブリオンがベンとの獄中愛を記した新聞記事

ラウラはテネシーのメンフィスに居を構え、家政婦、仕立て屋、はたまた今で言うインテリア・デザイナーのような仕事をこなしていた。布地の卸し、小売のようなこともしていたようだが、10年毎に行われる1940年と1950年の国勢調査で職業は仕立て屋とあるが、数度引っ越している。もちろん、徐々に場末に移っている。そして、1959年には電話帳にも彼女の名はなく、278番コッシットプレイスで死ぬまでそこにいた。
 

1961年12月2日、多感で行動的なラウラは永眠の途についた。享年をスッパと言い切りたいところだが、何分にも生年月日がはっきりしないから、85歳もしく88歳かその間としか言えない。いずれにしても長寿だった。

と同時に、私がまだティーンエージャーだった時まで、ラウラが生きていたことに奇妙な驚きを抱くのだ。私が西部劇を観まくっていた時代に、ラウラはまだ生きていたのだ。そして、ラウラはファニー・ポッターの娼館に出入りしていたブッチやサンダンスなどをよく知っていたに違いない。

私が映画の中でしか知らない西部開拓時代の世界に生きていた人物が、実際に私の人生(まだヒヨコだったにせよ)とオーバーラップしていることにショックに似た感情が湧くのだ。

晩年のラウラに、時間をかけた丁寧なインタヴューをした者がいなかったことを残念に思う。と言っても、虚言癖が多分にあったラウラの独白から事実をふるい出すのは不可能だったかも知れないが…。

 


第11回:酒場サルーンと女性たち その11 ■エッタ・プレイス その1

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第2回:酒場サルーンと女性たち その2
第3回:酒場サルーンと女性たち その3
第4回:酒場サルーンと女性たち その4
第5回:酒場サルーンと女性たち その5
第6回:酒場サルーンと女性たち その6
第7回:酒場サルーンと女性たち その7
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