「さて次は、スペインから届いた、珍しい『牛追い祭り』の映像です」
狭い道の向こうから、白の上下に赤いネッカチーフを首と腰に巻いた男たちの大群が、雪崩れのように走ってくる。追いかけてくるのは、これも数頭で一群となった黒い闘牛。黒光りする体を揺らし、頭を低く下げて立派な二本の角を突き出し、逃げ惑うひとの群れに向かって突進する。あぁ、コーナーを曲がり損ねたひとが転倒した! 容赦なく襲いかかる牛、丸めた新聞紙で気を逸らせようとする人々……。
「いかにも情熱の国、スペインらしいお祭りですね」とかなんとか。
そんなニュースを、見たことはないだろうか? これ、実はスペインの北部、ナバラ州はパンプローナの町で行われる、サン・フェルミン祭での光景なのである。
パンプローナは、ナバラ州の州都。この州はフランスとの国境であるピレネー山脈あり、豊かな水量を誇るエブロ川があって、隣のリオハ州に次ぐワインの産地としてとても名高い。また、ゲルニカと同じバスク文化の地でもあり、バスク語も話されている。なんせ町の名前自体が、バスク語と併記されているくらいだ。バスク語では、ここは「イルーニャ」。ちなみに標準スペイン語での州名、ナバラのスペルは"NAVARRA"なので、最後の「ラ」は大いに巻き舌を用いて「ナバーゥルアァ」とやってほしい。
町は紀元前1世紀にローマ将軍ポンペイウスによって建設され、4世紀からナバラ王国の首都となった。日本で馴染み深いフランシスコ・ザビエルの出身地であるこのナバラ王国は、スペインが統一されるまで存続し、その後も19世紀初頭までは王家と独自の通貨を維持してきた……というなかなか興味深い歴史があるのだが、今回はサラリと触れるに留まっておこう。テーマはひとつ「サン・フェルミン祭」、通称「牛追い祭り」!
サン・フェルミンとは、パンプローナの町の守護聖人である。その謂れについてはいろいろあるのだが、まぁこれも詳しくは触れない。とにかく重要なのは、毎年7月6日から14日まで、この「サン・フェルミン祭」という名のもとに、町中が沸騰したような騒ぎになるということだ。期間中は、人口20万人足らずのこの町に、それ以上の観光客が世界中から押し寄せるとも言われている。
パンプローナの菓子箱より
祭りの期間中は、初日を除いた7日から14日まで、「牛追い」が行われる。といっても、冒頭に書いた様子からすると、「これって『牛追い祭り』じゃなくて、『牛追われ祭り』じゃねぇの?」という疑問が湧いてくる。こない?
「牛追い」と訳されている単語「エンシエロ」は、本来、闘牛用の牛を牧場から町外れの柵の中へ、あるいはその柵の中から町の闘牛場まで、囲って追い込むことを意味する。なるほどそれなら「牛追い祭り」という名前がぴったりだ。ところが、それがいつの間にか、おそらく度胸試しで牛の前に飛び出した若者でもいたのだろうと言われているが、群集が牛の前に飛び出して牛に追いまわされるのを楽しむようになってしまったらしい。かくして「牛追い」という名のもとで牛に追われる祭り、になってしまった。
ちなみにエンシエロのスペルは"ENCIERRO"なので、これまた大いに巻き舌を用いて「エンシエーゥルオォ」とやってほしい。
パンプローナのエンシエロは午前中に行われ、午後には町の闘牛場で、この牛を用いた闘牛が行われる。だが、エンシエロはパンプローナだけのものではない。「スペインではどの町にも、教会とサッカー場と闘牛場がある」と言われるほどにここでは祭りに闘牛がつきものであり、そして闘牛には闘牛場まで牛を追い込むというプロセスが必要になるので、実はエンシエロは、全国各地で楽しまれているのだ。でもここパンプローナのサン・フェルミン祭のエンシエロが、規模も知名度も危なさも熱狂も、おそらくこれまでの犠牲者も、群を抜いていちばんである。
この熱狂的『牛追い祭り』は、パンプローナの伝統ある地域の祭りであるものの、誰もが参加できるという。これを小耳に挟んだ私は、思い立った。「そうだ、『ジカタビ』読者のみなさんに、参加方法をお知らせしよう!」
思い立ったのが、夜10時。すでにバス会社の電話予約受付時間は過ぎていた。なので、満席ならば引き返すだけさと覚悟を決め、腰痛対策コルセットにデジカメにノートに資料に歯ブラシに目薬に、愛用の「長崎おくんち(祭り)・魚の町特製手拭い」をバッグに詰めはじめた。時刻表によるとパンプローナ行きのバスは8時出発。うーん、6時半起きだな。
翌朝、バスの出発10分前に無事チケットを購入。マドリードからパンプローナまでは約400km、東京からだと岐阜あたりになるという。バスの予定所要時間が約4時間半と思ったよりも長いのは、旅程のちょうど半分くらいが、片道1車線対面通行の県道クラスになるからか。料金は片道22.19ユーロ(約3000円)で、途中で運営するバス会社が変わるから往復割引なしとのこと。ちぇ。
8時ちょうどのあずさ2号、じゃなくてバスはマドリードのターミナルを出て、1度だけ休憩を挟んだあと、ナバラ州に入ってカーブの多い道をポクポクと進む。さすがワインの産地だけあって、ぶどう畑の緑が美しい。連続する緩やかな起伏がしっとりとした緑に覆われていて、なんだかとても優しい雰囲気。つられて運転手もなごんでしまったのか、予定時間をだいぶオーバーして昼の1時前に、バスはようやくパンプローナに着いたのだった。