宿毛の駅前は閑散としている。駅前のロータリーをぐるっと回ってみたけれど、家電のチェーン店と歯科医があるだけだ。鉄道の開業と同時にニュータウン開発を計画したのだろうか。何しろこの辺りの地名は駅前町である。駅ができるまでは地名がなかったのかもしれない。宿毛市役所は手前の東宿毛駅のほうが近いし、もう少し伸ばせば港町がある。九州の佐伯へ行くフェリーの乗り場もある。旧国鉄、いや日本政府は、なんでこんな場所に駅を作ろうと考えたのだろうか。
そのヒントは旧国鉄が建設を中止した路線という経緯にある。1922(大正11)年に制定された改正鉄道敷設法において、この路線は中村から宿毛を経由して、もっと先の宇和島まで延びる計画だった。つまり宿毛駅は終着駅ではなく、計画上は宇和島に至る路線の途中駅のひとつだ。終着駅の役割や風情を期待されては宿毛駅も心外だろう。
歴史館は文教センター内にある。
私はここから未成線ルートに沿ったバスで宇和島に向かう。次のバスの時刻は15時07分。あと1時間もある。ガイドブックを広げると、バスで7分の場所に宿毛歴史館をみつけた。戦後の日本を率いた吉田茂元総理の出身地が宿毛であるらしい。近いところなら見ておきたいし、そこしか見るべきものがないような気もする。
私は駅舎に戻り、観光案内所で詳しい場所を訊ねた。徒歩で往復するには難しく、この時間はバスの便もないそうだ。ただし、歴史館の前から宇和島行きのバスが出るという。これは都合がいい。
「宇和島へ行く途中で御荘公園に寄りたいんですが、通りますか」
「はい、通りますよ」
「よかった。ロープウェイに乗るには御荘バス停でいいんですね」
「ロープウェイですか? 確かやってないんじゃ……」
「えっ、運営会社のホームページには出ていたんですが」
私が宇和島へ行くバスに乗る目的のひとつに、御荘公園にあるロープウェイがある。全国にロープウェイはあるけれど、ここのロープウェイの特徴は海を渡ることである。地図でその存在を発見し、ホームページで確認して以来、四国に行ったらぜひ乗りたいと思っていた。今回の旅に出る前に、ホームページで営業時間や料金を確認している。案内所の女性は、土産物売り場の女性に確かめてくれた。しかし、二人とも詳しいことは知らないようであった。
「噂で聞いただけなんです。行ってみてください……」
リゾート公園のようだからクルマで出かける人が多く、駅から行く人はいないのだろう。ともあれ、ホームページに堂々と書かれているのだからバス停が判ればいい。私はタクシー乗り場に急いだ。
歴史館は単独の建物ではなく、宿毛文教センターの三階にあった。メインホールは小学校の教員が研修中のようで、マイクの声が漏れ聞こえてくる。一階の事務所の横に入館券の自販機があり、エレベーターで三階に上がった。歴代の偉人の似顔絵とプロフィールがあったけれど、吉田茂氏以外の名前は知らない。誰かの仕事机と筆、硯などがある。申し訳ないが、骨董品だな、という感想しかない。
城下町を紹介するジオラマは楽しかった。街作りの様子や、いまも残る道や商館などが紹介されていた。もうひとつ。宿毛の町が京からの支配を受けるようになった課程と、明治維新で宿毛の志士たちが倒幕軍に参加するあたりの歴史は興味深い。京からの支配者は現在の土讃線、中村線、宿毛線のルートでこの地に至っているが、志士たちもやはりそのルートを逆行して京都に向かっている。京を巣立った意思が、成長して京に戻った。まるで鮭の遡上のようである。
町のジオラマで歴史を解説。
展示をひととおり眺めても25分しか持たない。バスの発車まで20分ほどあったので、私はバス停のそばのベンチに腰掛けた。木陰になっており、老婆が居眠りしている。私がスケジュールを確認していると、老婆が話しかけてくる。どこから来なさった。東京です。仕事かね。いえ、旅です。お遍路さんかい。ただ四国をぐるっと回る旅です。
老婆もバスを待っているところだったらしい。お互いに退屈しのぎの話し相手が欲しかったところだ。吉田茂はこっちの竹田さんちの息子で、生まれは東京だった。後に吉田に養子に行ったんだ。竹田さんはこっちで活躍した人だったが、息子たちの教育のために、奥さんと息子を東京に住まわせていた……。そんな話から始まり、地元の名士の話、昔はこの辺りが街の中心だったという話へと、とりとめもなく話が続く。しかし、だんだん話がずれて、自分が交通事故にあった話や嫁の愚痴などが混ざってくる。辟易しかけた頃にバスがやってきた。助け船ならぬ助けバスだ。私は老婆と離れた席に座った。
歴史館前の広小路も名所のひとつ。
宇和島行きのバスは宿毛駅を経由した。私が乗る予定だったバスだと解ってホッとする。そしてバスは道を戻り、国道56号に入って山間部経由で西へ向かう。宿毛駅は海へ向かって止まっているから、この辺りは鉄道予定線とは違うルートになるのかもしれない。しばらく人里を離れた道を走ったと思ったら、急に開けて一本松という集落を過ぎる。川の分岐点にある町だ。さらに進んで城辺。ここは宇和島バスの営業所がある。
宇和島バスという社名からして、起点は宇和島、ここは辺境の拠点と言うことになるだろう。宿毛まで行くバスは最果ての地へ向かうローカル線ということになる。ここから先、沿道の建物の数が増え、それに比例するようにすれ違うバスの数も増える。南宇和島高校前のバス停からは大勢の生徒さんが乗って満員になった。
宇和島行きバスで山間を行く。
ふたたび海が見えて、バスの案内テープが御荘公園を告げる。後部座席の私は、生徒さんたちをかき分けてバスを降りた。時刻は16時少し前。降りた客は私だけだ。妙だな、と思う。大規模なリゾートパークにしては人が少ない。車で来る人が多いのだろうと思ったけれど、駐車場のクルマの数も少ない。平日の夕方だからだろうか。さて、ローブウェイはどこにあるのだろう? たいていの観光地では、人の流れや案内看板で、乗り場の在処がなんとなくわかるものだが。
バス停の前に建物がふたつある。そのひとつが営業していた。ホテルのようだ。ロビーに入り、ロープウェイはどこかと訊ねると、先月末で営業を終了したという返事だった。宿毛駅の案内所で聞いた話は本当だった。がっかりである。こんなことならバスに乗らず、宿毛線を折り返して窪川に戻り、予土線で宇和島に向かったほうが良かった。しかし、今となってはどうしようもない。
せっかくだからロープウェイの廃線跡でも眺めておこうと思う。最近、鉄道の廃線跡を歩く旅が注目されているけれど、私はあまり興味がなかった。まさかこんなところでローブウェイの廃線探訪ができるとは思わなかった。
ロープウェイの廃線跡。
人さらいが出そうなほど閑散とした公園内を歩いて、やっとロープウェイの駅を見つけた。残務処理なのか、建物内は蛍光灯が灯っている。私はロープを見上げつつ海に向かった。ロープを張る鉄塔があり、海へ向かってさらにローブが伸びている。海上にも鉄塔が建っており、ゴンドラは海を超えて対岸の展望台へ向かったようだ。なるほどこれは珍しいロープウェイだ。もっとも、ロープにゴンドラが架かっていないロープウェイというだけでも十分に珍しいけれど。
海から駅舎を覗くと小さなゴンドラが並んでいる。あんな小さなゴンドラだったのか。カップルで乗れば盛り上がるだろうな。しかし、いまはもう動くことはない。新しい建物には廃墟らしい風情もない。廃墟マニアに喜ばれるには、あと10年くらいの熟成が必要だろう。
それにしても腹立たしいのはホームページである。3月末に営業を終了したというのに、ホームページでは何事もないように営業案内が書かれている。ゴールデンウィークの案内が更新されていたので、放置されたわけでもない。私は4月から何度もWebサイトを確認してプランを作ったし、出かける前にもチェックした。インターネットの情報は信憑性が低いと言うけれど、運営会社の公式サイトが間違っているとはどうしたものか。南レク御荘公園は愛媛県が参画した第三セクターのようだ。結局、地方行政にとってインターネットに対する認識はこんなものだろうか。メインの目的ではなかったとはいえ、ここを訪れるために高知空港入りのプランになったというのに。
あれに乗りたかった……。
私はがっくりと肩を落とし、自動販売機でアイスキャンディを買ってバス停に戻った。ジュースの自動販売機のそばには黒いスーツを着たサングラスの男が二人いて、近くに銀色のベンツが停まっていた。ふいに利権の産物、バブルの遺産などというキーワードを連想する。予定より1時間早いバスに乗って宇和島を目指す。生徒の姿はなく、地元の人らしい乗客たちが不思議そうな顔でこちらを見た。
-…つづく
第144回からの行程図
(GIFファイル)