取材は無事終了した。予定していた時刻より大幅に遅刻し、待ち合わせた編集長には呆れられてしまった。それでも閉場時間までに見るべきものはすべて見た。書くべき記事の目処も立ったし、内容には手応えも感じられる。後は家に戻って書くだけだ。私は急いでビッグサイトを出た。夕刻の曇天の空から雨が落ちていた。
大田区在住の私にとって、ここから自宅へのルートはたくさんある。普段はスクーターだから、城南島と中央防波堤を結ぶ海底トンネルを走る。今回は交通機関を使うとして、ゆりかもめで新橋に出て京浜東北線、あるいはりんかい線で大井町乗り換えの京浜東北線、変わったところでは水上バスで浜松町に出て京浜東北線、バスでそれぞれの駅に向かう方法もある。すぐに戻って記事を書く、と編集長に約束した手前、最も早いルートを選ぶとりんかい線の大井町経由になる。
青海駅方面。
しかし私はビッグサイトに一番近いゆりかもめの駅、国際展示場正門へ向かった。傘を持っていないから、が建前。久しぶりにゆりかもめを乗り通したい、が本音だ。ゆりかもめから見る夜景が楽しい。東京の鉄道車窓のなかでもAクラスである。普段はバイクで来てしまう場所だから、今日はゆりかもめを楽しみたい。本音を言うと、お台場で降りて携帯電話で友人を呼び出し、遊んで帰りたい。また心の中に悪魔が現れたが、そこまでやると仕事を失うから踏みとどまった。
国際展示場正門の次は青海。展望席から前方を眺めれば、東京レジャーランドの向こうに船の科学館が見える。その手前をゆりかもめの水色の線路が横切っているけれど、あそこへ向かうまでにはいったん左折して、テレコムセンターを迂回することになる。新橋へ急ぐ人は青海から右折してお台場に向かってほしいと思うだろう。しかし、ゆりかもめは巡回路線が基本方針である。埋立地のすべての街を経由するのだ。車窓右手にはお台場のシンボルともいえる観覧車がネオンを光らせている。反対側の車窓左手には港があって、貨物コンテナ船が泊まっていた。今日の荷役は終わったらしく、ひっそりとしていた。
ひっそりとした港。
雨の埋立地は幻想的な眺めを見せてくれる。青海から先は空き地も少なく、すでに開発しつくされたようだ。それでも都会のようなギラギラした明かりは少ない。間接照明やスポットライトのような小さなライトが点在する。白くて大きなプレハブのイベントスペースがあって、そこにはたくさんの人が並び、傘の花を咲かせている。期間限定開業のライブハウスかクラブかと思われる。そこも照明は最小限で、並ぶ人の衣装が派手なことを除けば、お通夜のように見えなくもない。適度な暗さで、ささやかな夜の楽しみを守ろうとしていた。
私が乗った列車は満員だ。すでにビッグサイトからイベント帰りの大勢の客を乗せている。さらにテレコムセンターからも乗ってくる。帰宅ラッシュを迎えたようだ。車窓にコンテナ埠頭の赤いクレーン群が通り過ぎた。しっとりした景色とは対照的に女性の声が元気だ。私は彼女たちの取り留めのない会話を聞きながら、幻想的な湾岸風景を眺めている。次の駅は船の科学館である。もうすぐこの車窓に私の青春を記念する船が映る。私はなんとなく背筋を伸ばした。
何のイベントだろう?
船の科学館は船の形をした白い建物だが、その手前にライトアップされた実物の船が係留されている。英文でYOUTEIMARUと書かれており、控えめにライトアップされていた。これが私の思い出の船。元青函連絡船の羊蹄丸だ。私の高校時代はまだ青函トンネルが開通していなかった。高校時代、北海道ワイド周遊券で北へ向かえば、かならず青函連絡線を利用することになった。当時の国鉄は4隻の連絡船を就航していた。私は時期を変えて3度ほど青函連絡船に乗ったけれど、なぜかいつも羊蹄丸だった。座敷席で見知らぬ人と会話したり、食堂で会社員と間違われたり、いくつもの思い出が浮かんでくる。
いつからか知らないが、その羊蹄丸がここにいる。初めて見たときはかなり驚き、そして再会を喜んだ。私の旅の思い出だ。現在は船の科学館のパビリオンのひとつとして青函航路の歴史を伝えているそうだ。レストランもあり、船を丸ごと借り切って結婚式にも使われるという。まずまずな余生じゃないか。と声をかけてやりたくなる。
なつかしの羊蹄丸。
首都高海底トンネルの入り口も夕方のラッシュを迎えていた。ヘッドライトとテールライトが無数に輝いている。車窓前方には高層ホテルが黒々と聳え立ち、そのふもとを過ぎると銀玉を抱えたフジテレビの建物が見えてくる。台場駅の周囲は少し明るくて、ゆりかもめ沿線の商都という雰囲気。お台場はゆりかもめ沿線の中心街で、ここだけは照明もやや華やかだ。ここでは乗客が入れ替わる。いままでは乗る客ばかりだったけれど、ここで食事をしようという人々も多いようだ。女性のグループが元気よく降りていく。アフターファイブを台場で過ごすか、新橋で過ごすか。そこに世代の違いがあるらしい。
日が落ちて、車窓に景色が映らなくなってきた。列車はレインボーブリッジを渡り、その高低差を克服するためのループ線を下っていく。芝浦ふ頭、日の出は倉庫街で暗いけれど、竹芝あたりのビルは明るい窓が並んでいる。ようやくビジネス街に入ったようだ。しかし、この明かりで驚いてはいけない。次の汐留はまるで光り輝く未来都市である。まばゆいばかりの光に心が洗われるようだ。この景色、以前にゆりかもめに乗ったときは見なかった。当時の汐留は再開発の真っ最中で、周囲に建物はなく、駅も用意されていたけれど開業していなかった。あのころの列車はすべて真っ暗な汐留駅を通過していた。
お台場駅は商都。
それがこの変わり様はどうだろう。電通、ソフトバンク、日本テレビなど日本を代表するメディア企業がここに社屋を構え、煌々と明りを灯している。空き地の汐留から、誰がこんな光景を予想できただろうか。そして元をたどればここは日本の鉄道発祥の地、その後汐留貨物ターミナルがあった場所なのだ。景色はどんどん変わっていく。私は市場前駅の広大な空き地を思い出した。あそこも今はまだ空き地だが、やがて建物が並び、築地以上の活気ある場所になるのだろう。
そこに思い至って、豊洲駅の線路延長部分を見て落胆した自分を反省した。どうせ延長するならそのときに乗ればよかった。いま乗ったら二度手間になってしまう。いや、それでいいではないか。別の機会に二度も乗れることをどうして喜べなかったのだろう。鉄道に乗ることを趣味とする私にとって、何度でも乗る機会があるということはうれしい事ではないか。次に乗る機会は何年後だろう。そのときの景色はいまと同じだろうか。乗客のファッションはどうだ。景気はどうだ。同じではない。二度とない景色になっているはずだ。それを楽しみにすることが私の本来の旅のありかたではないか。
全線踏破は旅の目標である。しかし楽しむことを忘れて効率を求めてはいけない。雨の日のゆりかもめで、私は大事なことに気づいた。
汐留の賑わい。
第196回~ の行程図
(GIFファイル)
2007年4月11日の新規乗車線区
JR:0.0Km
私鉄:2.7Km
累計乗車線区(達成率)
JR(JNR):17,099.3Km (75.48%)
私鉄: 4,468.3Km (67.21%)
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