第746回:豪華なローカル線 - 京阪電鉄中之島線 -
淀屋橋駅でS氏を見送った後、私はもういちど京阪電鉄の改札に入った。京阪本線を2駅戻って天満橋駅へ。降りたプラットホームで向かい側が中之島線の中之島行きだ。私にとってはとても便利な構造だけど、この乗り換えを日常的に使う人はいないだろうと思う。本線と中之島線は近くて、本線の淀屋橋駅から中之島線に乗るなら橋を渡って大江橋駅に行けばいいし、本線の北浜駅と中之島線のなにわ橋駅も土佐堀川の橋の両側だ。

途中駅で気まぐれに降りた大江橋駅
京阪電鉄中之島線は2008年に開業した。新しい路線だと思っているけれど、もう10年も経っている。京阪電鉄本線の淀屋橋駅は1963年の開業で、二つの路線開業は45年の隔たりがある。大阪の私鉄としては1963年も歴史が浅いほうだ。
京阪電鉄の最初の起点は天満橋駅で、開業は1910年、明治43年だった。当時の天満橋はまだ郊外だったようで、京阪電鉄は堀川筋の高麗橋を起点にしたかったという。しかし当時の大阪市は公共交通を市営で計画しており、京阪電鉄の希望は叶わなかった。それから半世紀を経て1963年に地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅まで延伸が叶った。御堂筋線は梅田、心斎橋、難波、天王寺と大阪の中心部を貫く路線だ。1964年には東海道新幹線の開業と同時に新大阪駅に延伸する。京阪電鉄は沿線の人々にとって、とても便利な路線となった。

大江橋駅付近にある日本銀行大阪支店
ところがその便利さがアダとなり、ターミナル駅の淀屋橋駅は大混雑となってしまう。これは大手私鉄にとって共通の悩みだ。混雑緩和のために地下鉄と直通して乗り換えを減らし、あるいはターミナルの手前の駅で分岐して地下鉄と相互乗り入れする。東京では京王新線、西武有楽町線がそうだし、かつては東急東横線も中目黒から地下鉄日比谷線へ混雑を逃がした。
そのなかでも成功例は東武伊勢崎線だ。ターミナルの浅草駅は6両編成に対応するのみで、1本だけ8両編成に対応するけれども、プラットホームが狭くて2両はドアが開かない。10両編成の電車は曳舟駅で4両編成を切り離して対応していた。しかし、曳舟駅から押上駅へ分岐し、地下鉄半蔵門線に乗り入れる形で10両編成の列車を増やした。
京阪電鉄もこの方法で10両編成の電車を運行し、ターミナル側のプラットホームと線路を増やす計画を立てた。それが中之島線と中之島駅だ。京橋駅から分岐して、天満橋駅まで本線と並び、その後は中之島という、堂島川と土佐堀川に挟まれた島の地下を通る。終点の、というか正式には起点の中之島ほかの路線と連絡していないけれども、建設中のなにわ筋線が通る予定だ。

中之島の歴史 蔵屋敷が表示されている
船運が盛んだった江戸時代、中之島は商業の中心地で「天下の台所」と言われた。全国各藩の蔵屋敷が並び、とくに堂島は米の先物市場もできた。しかし明治維新後に各藩の蔵屋敷は消え、跡地は公会堂や図書館や大学になった。商業の中心は鉄道の開業などで梅田や船場に移転した。堂島の米市場は現在も続き堂島取引所となったけれども、場所は難波寄りの阿波座に移った。こうして中之島は対岸に比べてひっそりとした島になった。
中之島線は京阪電鉄の輸送力を高める手段にすぎない。もちろん大阪市は中之島地区の発展も期待したと思う。しかし中之島線の業績は芳しくない。開業時は快速急行を新設し、区間急行も乗り入れたけれど、翌年から減便が始まり、現在は快速急行が1本だけで、あとはすべて各駅停車になっている。

中之島駅の地上 対岸は公園のようだ

中之島駅の内陸側はグランキューブ大阪、大阪府立国際会議場とのこと

中之島駅コンコース
実際に乗ってみたところ、天満橋から中之島行きの電車は空いている。夕方の上り電車だからと思ったけれど、下り列車も空いていた。京橋駅から混みはじめるようで、淀屋橋発着の特急に人気が集中する。かく言う私も特急に乗り換えて、プレミアムカーのとなりの2階席に落ち着いた。丹波橋駅で降りて近鉄京都線に乗り換えて京都駅へ。今夜は南口のイオンモール近くにあるビジネスホテルを予約している。京都らしさのない、ギラギラとした明かりが見える。しかし、そのギラギラに飛び込む気力がなかった。

京都駅南口のイオンモール、同じ区画の小さなホテルが今日の宿
-…つづく
第746回の行程地図(地理院地図を加工)

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