第786回:アメリカのそっくりさん
もう20年以上前のことになりますが、一度くらいは話の種にラスベガスに行ってみようと言うことになり、出掛けたことがあります。ホテルやレストランなどは存外安い所もあり、大人のディズニーランドを思わせました。
その時、エルヴィス・プレスリーを見かけたのです。オヤ、プレスリーの亡霊かと思ったほど、ソックリでした。少し太めだったようにお見受けしましたが、プレスリーも晩年には肥満していましたから、あんなモノかもしれません。太めのプレスリー、例の金銀ピカピカの金具を付けた真っ白な衣装で闊歩していたのです。その後、少しばかり細めの別のプレスリーが自分のショーの宣伝ビラを町行く人に配り、気楽に観光客と写真に収まったりしていました。街にプレスリーがたくさんいたのです。
おそらく、アメリカのそっくりさんの筆頭はエルヴィス・プレスリーでしょう。髪型をオースバックにしてピカピカ光らせ、モミアゲをこれでもかというくらい長くし、あのギンギラ衣装に身を包めば、プレスリーに変身できる人が相当数にのぼるのでしょう。でも、ただ容姿が似ているだけでは、プレスリーのそっくりさんとしてラスベガスのステージに立つことはできません。ジェスチャーもプレスリーの記録映画をツブサに研究し、マイクロフォンやギターの持ち方、指先から目付きまで、ピタッと決めなければそっくりさんのショーに出場できません。
でも、何と言っても難しいのは唄だそうで、あのように、甘く、かつパンチのある歌声は誰にでも真似できることではなく、多くのそっくりさんショーは、本物のプレスリーのレコードを使い、ステージに立つそっくりさんは声を出さずに口だけ開く“口パク”だそうです。プレスリーに肖像権があるかどうか知りませんが、未だに音楽の著作権料で稼ぎまくっているそうです。
プレスリーに次ぐそっくりさんの人気者は、アブラハム・リンカーンです。こちらの方は著作権の利益は全くないでしょうけど、2番人気のそっくりさんと言明して良いでしょう。
ウチのダンナさん、「オレ、リンカーンには恨みがある」と申し立てています。話は高校に入学した後、歓迎テストと名付けた英語のテストに“Lincoln”とあり、“リンコロン”とは誰だ、さっぱり判らず、散々な成績だったと言うのです。英語にもっと通じている友人に“リンコロン”て、ありゃ一体誰だと聞いたところ、「ありゃ、リンカーンと読むのだぞ…」とバカにされたそうです。
私の弟のトムは、長身、細面で意識的にかどうかリンカーンと同じような顎髭だけ残し、口髭を剃っていました。これで、黒いシルクハットを冠り、黒いフロックコートを着せれば即100%のリンカーンそっくりさんができ上がりそうな風貌でした。
リンカーンのそっくりさんの方は協会まで作り、ALP(Association of Lincoln Presenter)と命名し、全米と言っても南部の州からの人はいませんが、32州から95人のメンバーがいます。集まる場所は、もちろんリンカーンの生まれた丸太小屋のあるイリノイ州のデカトー (Decatur, Illinois)です。リンカーン全員集合の時、北軍の英雄的将軍グラントのそっくりさん3名も名誉参加し、唯一の女性ストー夫人(『アンクル・トムの小屋』の作家)のそっくりさんまで特別参加しています。
このリンカーンのそっくりさんグループは、皆が皆リンカーンを尊敬しており、リンカーンの自伝、生涯、思想をよく知っており、小中学校の文化行事にゲストとして出演し、有名な演説の一節を読み上げたりするパフォーマンスで、結構引く手あまたの人気だそうです。ですが、ラスベガスのショーからのお呼びはないと言います。そりゃそうですようね、ラスベガスに来て誰が「人民の人民による人民ための政府」(government of the people, by the people, for the people )なんて演説を聞きたいと思うもんですか…。
人間、誰それに似ていると言われ、それが尊敬を集める歴史上の著名な人物だったりする場合、そっくりさんはそれだけでかなりの影響を受けるようです。その著名人がそっくりさんに乗り移ったかのように振る舞うようになる傾向があるのだそうです。リンカーンの後光にあやかろうとするのでしょうか、雑誌の『ナショナル・ジオグラフィック誌』に載っている2012年のリンカーン全員集合の時の写真を見ると、頬のこけた本物とどこがリンカーンに似ているの?と見える丸顔で栄養満点の人がそっくりさんとしておさまったりしています。きっとそっくり演説が巧みだったのでしょうね。
弟のトムは、ある日、リンカーン髭を剃り、本来のトムに戻りました。彼曰く「リンカーンにそっくりだと言われ続けることが嫌になった、煩わしくなった」と告白しています。彼のようにはっきりと独自の自我を持っている人間は、そっくりさんでいることができないのでしょうね。
私は、一生に一度くらい、オードリー・ヘプバーンやマリリン・モンローに似ていると言われてみたいものだと思っています。ゴリラ、チンパンジーの研究家ジェーン・グドール(Jane Goodall;イギリスの動物行動学者)に似ているとはよく言われのですが……。
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