第818回:“I love you!”
打ち明けてとまでは言いませんが、元日本人、最近トミに老人性硬化症の兆しを見せてきたウチのダンナさんの口から“I love you”という言葉を聞いたことがありません。
逆に、「オメーたち、頻繁に何処でも、誰にでも“I love you”を言いすぎるんじゃないか?」とノタマッテいます。「ありゃ、マイケル・ジャクソンが大スタジアムに入っている10万人のファンに向かって、指を差し、“I love you”と叫び、ファンの一人ひとり、全員が自分に向かってマイケル・ジャクソンが告白、宣言したととり、絶叫するイメージだぞ、それに今始まった次期大統領選挙戦の候補者の演説で繰り返される“I love you”、これにはもううんざりだ」と言うのです。
確かに、私の父方の方は誰に電話しても“I love you”を連発します。毎回、電話での会話の最後に必ず“I love you”と言います。単に「さようなら、元気でね…」くらいの感じです。日本にはとても便利な言葉“よろしく”がありますが、米語には“よろしく”は“say hollow to 誰々”しかありませんから、近い人、兄弟、従姉妹、親類みな、“give my love to 誰々”となります。
母方の方は、そんなに気楽に“I love you”を連発しません。というか、母方のお爺さん、お婆さんの口から“I love you”を聞いた記憶がありません。そうかと言って、父方より愛情がない、薄いと云うのではありません。そんな言葉を一々口に出して言わなくても、母方の方の祖父母、叔父叔母から充分以上に愛情を感じとることができたと思います。
ナ~ンか古いタイプの元日本人であるウチのダンナさんによれば、“I love you”は手垢の付いた汚れた言葉になってしまい、意味がなくなってしまったのではないか…ということになります。日本でも若い世代の人なら、恥ずかしげもなく“I love you”と言うのでしょうけど、ダンナさんの同級生や同年代の人たち、男性も女性も「愛しているよ」などとつぶやいたことなど、生涯一度もなかったのではないかと思います。私もダンナさんの口から聞いたことがありません。
私たちが出会い、長い間住んでいたスペインは情熱的、アモールのお国柄ですから、老いも若きも盛んにアモール(“te amo” “te quero”)の大バーゲンを展開します。アモールがなくてはこの世が始まらないのです。セニョリータと恋愛、結婚しているダンナさんの日本の友人がたくさんいますが、彼らはなんの抵抗も見せず、素直に人前で“te amo” “te quero”と言い、そしていかにも手慣れた風に挨拶の、愛情の表現なのかしら、のキスをしています。もっとも、そうでなければスペイン人女性とは結婚できなかったし、一緒に生活できないのかもしれませんが…。
老夫婦の間の愛情のあり方は、若き日、初恋の時と全く異質のものです。ロミオとジュリエットは情熱の国イタリアを舞台にし、12~15歳同志の初恋の激しさがあればこそ悲劇として成り立っていますが、もしこれが50歳、60歳、70歳の老人の恋愛なら、誰れも見向きもしないでしょうね。そう言えば、シェイクスピアの劇で最も人気がないのは中年同士の恋愛劇『アントニオとクレオパトラ』だそうです。
老人に恋愛はない、というのではありません。今、父のいる老人ホームでも、爺さん、婆さんの恋愛は日常茶飯で、それはそれはとても賑やか、華やかなことです。私の父も、母が亡くなり、アレっつ、もう恋人ができたの? という素早さで愛人、恋人を作りました。相手は92歳の少しボケがかかってきた未亡人です。父は彼女のところで日に14-15時間は入り浸っています。
こちら、西欧の老人たちはなかなか枯れないのです。
でも、父と恋人の関係を10代の初恋と比べるわけには行きません。それを英語では“love”という同じ言葉で言い表すしかないのですが、およそ違った語感になると思います。英語、米語の“love”はイエスの愛、宗教的な聖愛、母性愛、情愛、友情、性愛、愛国、人類愛、自分が働いている会社への忠誠愛、通っている学校にまで及び、大好きな食べ物に対しても“I love Sushi”のように表現するのが当たり前になってきていますから、確かにウチのダンナさんが言うように、あまりに広範囲に使われすぎて、ありがたみのない汚れた言葉になってしまったのは事実でしょう。
老夫婦がいかに互いに寄り添って生きているかは、50年以上連れ添った夫婦の片方が死ぬと、後を追うように残された方も亡くなるケースが多く、特に男性の場合、一人では長持ちしないことに驚かされます。逆に夫を亡くした奥さんは、とたんに元気になり、若作りになるケースが多いのはショックなほどですが…。
神様は長年連れ添った夫婦を同時に死なせてくれません。確かゲーテの『ファウスト』だったと記憶していますが、理想的な死に方として、フェレモンとパウキスを同時に死なせるテーマをギリシャ神話の中から引き出していました。それが夫婦の極限の幸せだとしているのですが、とは言っても、それを書いたゲーテの方は死ぬまで色気が多く、とても、とても枯淡の境地に入ったとは思えません。
こんな話をウチのダンナさんとしていたら、日本人で老齢の夫婦愛を表現した句を探し出し、読んでくれました。
英文学者、翻訳家でダンナさんの評価がとても高い中野好夫で、彼は英語の理解も大変なものだけど、何よりも日本語の表現能力が素晴らしい、と絶賛している人です。彼の父だったか祖父が妻を亡くした時、“おみさおらねば餅つく気もせず”と詠んでいるのが、日本的な夫婦のあり方を表しているとダンナさんは言うのです。“おみさ”は老妻の名です。きっとこの夫婦も“お前、愛してるよ”などと、歯の浮くような愛情表現はしなかった…と想像していますが、長年の夫婦の結びつきは硬く、強かったのでしょう。
私もウチのダンナさんの口から“I love you”を聞くことなく人生を終わりそうですが、私の方もかなりダンナさんの感化を受け、チマタに溢れている安っぽい表現で言われるよりも、今のまま、実生活の中で寄り添い、行動の中に愛情を感じる方がズーッと良い、自然だと思うようになりました。
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