長野電鉄のロマンスカー『ゆけむり』は、善光寺下駅の先で地上に出た。進路はほぼ真東で長野市の市街地を走り、信越本線と新幹線の高架をくぐった。長野新幹線はいまのところ長野が終点だが、この高架線路は長野駅の北にある車両基地に通じ、将来は北陸新幹線に転用される。
私の隣には自称"鉄道マニア"の男の子がいて、いろいろなことを教えてくれる。ゆけむりには2度目の乗車だそうで、彼の話を引き出してガイド役に見立てた。「もうすぐ単線になるよ」と彼が言うと、確かに朝陽駅で複線が終り単線になった。名ガイドである。
柳原駅を通過し、付近にリンゴ果樹園が増えてきた。するとガイド君から、「もうすぐ鉄橋だよ」との知らせ。前方に立派なトラス鉄橋の骨組みが見えてくる。「この橋は架け替え中なんだ」とガイド君が言う。たしかに私たちのレールが続く橋の横に、大きな新しい橋を建設中だ。古いほう、つまりこれから私たちが渡る橋は道路鉄道併用橋という珍しい形だ。線路と道路がぴったりと並んで同居している。
道路併用の村山橋。
この橋は村山橋といって、1926(大正15)年に架けられた。千曲川を渡るだけあって、落成当時は長野県でもっとも長い橋だった。以来82年、現在も長野県内で4位の長さ。架け替えの主な理由は道路部分が狭く渋滞の原因となっているからで、今年度中に道路がすべて新しい橋に移り、来年は鉄道も新しい橋を使う予定だ。真横の窓から建設中の橋を見ると、新しい橋も鉄道道路併用橋となるようだ。
村山橋を渡り終えると前方に山脈が近づいてくる。あの山の麓に行くのかと思わせて、線路は左へ曲がり列車は北に向かう。右手から長野電鉄の屋代線が近づいて、『ゆけむり』は特急停車駅の須坂に着く。ここには電車の車庫があり、展望席の窓には長野電鉄の電車たちが次々に現れる。長野電鉄では各駅停車用の車両に元営団3000系と元東急8500系が配備され、車庫は銀色が目立つ。丸みを帯び、クリームと赤に塗り分けられた長野電鉄オリジナルの特急車両もある。同じ型で茶色に塗られた編成もあった。私もガイド君もその光景に興奮する。
『ゆけむり』はここで対向列車を待つ。停車時間1分である。「もうひとつ、『ゆけむり』があるはずだけど、ここには居ないね」とガイド君が言う。「どこかで走っているんじゃないかな」と私。そんな会話をしていたら、前方から『ゆけむり』がやってきた。ガイド君が嬉しそうに、「来た。話していたら来たね!」と喜んでいる。時刻表を見れば判ることなんだけどな、と思いつつ、ガイド君と共に喜びを分かち合う。上りのロマンスカー『ゆけむり』は同じホームの反対側に停車した。「おじさん、こっちもあっちも『ゆけむり』だよ」に応えて、「そりゃあ大変だ。ゆけむりだらけじゃフヤケちゃうよ」とボケてみる。ガイド君はジュースを噴出し、嬉しそうに笑った。
須坂で上り『ゆけむり』に会う。
須坂を出た『ゆけむり』は、ひと駅だけ通過して小布施に停まった。小布施は栗菓子の老舗が多い街として知られている。歩いてみたい町ではあるけれど、小布施堂、竹風堂、桜井甘精堂などの有名店は長野県の土産物屋で定番だし、東京のデパートでも買える。だから通過しても悔いはない……と思ったら、ガイド君が、「あそこに昔の電車があるよ」と指差す。駅構内で古い車両を保存展示している。あれは見ておきたい。やはり帰りは小布施で降りると決めた。
不倫カップルは須坂で降りた。不倫か殺人かと妄想を膨らませていた私としては当てが外れた。空いた左側特等席には、その真後ろに乗っていたおじいさんと孫二人がスライドしてきた。中野にクルマを置いてきた、と言っていた人である。
展望席からの風景は畑と果樹園が増えてくる。リンゴの木が多いけれど、この時期は葉も実もなく、灰色の枝がいくつも分岐して、鹿の角のように広がっていた。長野市街からすこし標高が上がったようで、線路の脇に雪が目立ち始めた。
信州中野駅。
遠くを見やれば雪化粧をした山並みが近づいてくる。善光寺平の北ということは、あの山の向こうが木島平になるはずだ。学生時代の私は木島平でパラグライダーに挑戦し、肝を冷やした。布切れ一枚で空を飛ぶとは想像するだけでも恐ろしい。しかし、やってみると上昇気流が強く、意外にもしっかりと上に引っ張られるので怖くはなかった。遠い昔の記憶である。もう一度飛ぼうとは思わない。
横たわる山の中でも、ひときわ幅広の山があって威風堂々と佇んでいる。「あの山かっこいいなあ。なんていう山なんだい」とガイド君に尋ねたが「しらない」の一言で終り。それならと、隣でお孫さんとはしゃいでいるお祖父さんに訊いてみた。「高社山だよ。高い社と書くんだ。その右にある突起は猪の首だよ」と教えてくれた。
「きれいな山ですね。あそこは登れますか」「簡単さ、頂上までリフトがあるから」。なるほど、整った斜面に見えたところはスキー場らしい。聞いたままをガイド君に伝える。「ふうん」と応える。鉄道が好きなら鉄道以外のことには興味がないらしい。私がこどもの頃もそうだった。
特等席から高社山を望む。
雪が枕木を隠し線路が真っ白になった。『ゆけむり』は白い道に残された2本のレールを頼りに、しっかりとした走りを続けている。前方に駅が姿を現し、線路が右へ左へと分岐して信州中野に到着。お礼とお別れの言葉を交わしつつ、おじいさんと孫たちが降りていく。空いた特等席には小さな男の子がひとりで座った。親御さんは後ろにいるのだろう。あと10分で終点である。居場所を移すほどでもない。しかし、男の子は真剣だ。待ちかねた特等席にかぶりついていた。
上り勾配が続いている。線路脇の雪もだんだん深くなってきた。展望席からの雪景色。小田急ロマンスカー時代はめったになかったはずだ。「もうすぐ急カーブがあるよ。窓から電車の後ろが見えるよ」とガイド君が言う。「おじちゃんの席からは見えないけどね」とも。「なあに、こうすりゃ見えるさ」と、ガイド君を窓に押し付けるように身体を倒す。「うわー、やめろー、おもいー、しぬー」とはしゃいでいる。後ろの席からお祖母さんの笑い声が聞こえた。
湯田中駅に着いた。
-…つづく
第230回以降の行程図
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