七尾駅12時03分着。サンダーバードは次の和倉温泉まで行くけれど、私は七尾で降りた。ここが“のと鉄道”の起点であるし、全線乗り降り自由の乗車券“のと一日のんびりきっぷ”を発売する駅だからである。終点まで片道切符を買うと1,950円もかかるけれど、一日きっぷなら1,700円で全線乗り放題である。片道切符より安い。
しかし、このきっぷは和倉温泉駅では発売されていない。和倉温泉駅はJR西日本の管轄であり、のと鉄道の窓口がないためだろう。実は、のと鉄道七尾線の線路や駅はJR西日本が所有している。のと鉄道は列車の運行のみ営業しているのだ。上下分離式というが、このあたり、少々ややこしいので説明を要する。
"JR"と"のと鉄道"の境界。
もともと、北陸本線の津幡から穴水を経由して輪島に至る路線は国鉄七尾線だった。また、穴水から分岐して蛸島に至る能登線も国鉄が所有していた。しかし両線とも赤字路線であり、特に能登線は国鉄再建法による第三次廃止対象路線だった。廃止決定を受けて、沿線自治体は鉄道を残すため、第三セクター法人を設立し、能登線の運行を継続した。これがのと鉄道の発祥である。
一方、七尾線は廃止対象にはならなかったものの、非採算路線であることに変わりはなかった。そこでJR西日本は採算が取れる和倉温泉まで列車を運行することとし、電化工事を実施して特急電車を走らせた。私がここまで乗ってきた「サンダーバード」もそのひとつである。
そして、旅客需要の少ない区間の営業権は“のと鉄道”に移管した。このとき、線路設備はJR西日本が保有したままとし、列車の運行だけを“のと鉄道”が受け持つ形になった。中途半端な形だが、線路を保有すれば保線費用を負担する必要があるし、固定資産税もかかるから、のと鉄道にとっては都合が良かった。共同運営というと聞こえは良いが、要するに痛みを分ける形で落ち着いた。
だから、のと鉄道は駅の設備もJRからの借り物である。和倉温泉はJRが力を入れているので、のと鉄道の切符の販売も委託された。そこでは割引きっぷは扱わない、という取り決めのようだ。
七尾からのと鉄道方面へ向かう列車は12時54分発。50分も待ち時間がある。のと鉄道の往復に時間がかかる理由は、列車の速度が遅いだけではなく、乗り継ぎ時間が長いからである。長い路線を分割して、それぞれの区間で最適な時刻に列車を走らせるためで、終点まで乗り通す人は少ないのだろう。金沢から能登半島の先端までは、北陸鉄道が特急バスを走らせている。料金は鉄道より安く、所要時間も短い。鉄道のような乗り換えも不要。勝負にならない。
昼食。肉まんを揚げたドーナツ? と、ロールドッグ。
しかし、この50分は好都合だ。昼食にしよう。駅を出ると正面に商店街が続き、その左手にショッピングセンターがある。商店街巡りはおもしろそうだが、収穫がなければ時間の無駄になってしまう。私はショッピングセンターに向かった。どこでも食べられるファーストフードがあるだろう。空腹のせいか無難な選択をしている。幸いにも焼きたてパンの店があり、ちょっと変わった調理パンをみつけた。ブリ照りへの思いはきっぱりと断ち切っていた。
駅に戻り、のと一日のんびりきっぷを買った。発車まであと15分。ほかにすることもないので改札を通る。駅の外でぼんやりするよりも、鉄道の風景を眺めていたい。同じように考えている人が他にもいた。ホームの端でカメラを構えている。何を撮っているのだろう。私は青年に近づいた。京都から来た鉄道ファンだった。
「もうすぐ、のと鉄道の車両と特急が並びますよ」
それがカメラを構える理由だった。大都市から颯爽とやってくる特急電車と、地元の足として親しまれるディーゼルカーが並ぶ。その対比は、確かに対照的でおもしろい眺めかもしれない。私も彼の隣でカメラを構えた。私がこれから乗るディーゼルカーをファインダーに入れ、右側を開けて待っていると、白い特急列車が到着した。シャッターを押す、いや、まだだ。この特急も次の和倉温泉まで行くのだろう。ならば、発車するとこちらに近づくはず。私たちはカメラを構えながら、静かにシャッターチャンスを待った。
特急とローカル列車。
液晶画面で結果を確認すると、私たちはディーゼルカーに乗り込んだ。1両で運行されるワンマンカー。意外にも乗客は多く、私たちは座る場所を見つけられなかった。私は運転席の真後ろに立った。乗り継ぎ駅の穴水までは約40分。立ちっぱなしは少々キツイが、前方の眺めを見ていれば退屈しない。ここから先、列車は七尾南湾、七尾北湾に沿って走るはずだ。ここは日本地図ではひとつの湾に見えるけれど、中央にデンと構える能登島によって仕切られ、それぞれの海を南湾北湾と呼び分けている。だから小さな南湾を過ぎた後、能登島のそばを通り、北湾をなぞりながら能登島が遠ざかる、という眺めになるはずだ。平凡な海の景色ではないだろう。
そんな期待は曇った窓ガラスに遮られてしまった。雪は少ないとはいえ気温は低い。しかし車内は暖かく人も多い。だから湿気が多くなり、冷たい窓ガラスが曇ってしまう。いや、理科の授業のおさらいをしている場合ではない。のと鉄道には乗ったけれど、景色を見なかった、では、記憶に何も残らないではないか。私が切符の代金を支払うときは、移動の費用だけではなく、そこから見える車窓の鑑賞料という意味も込めている。私の勝手な思いこみだが、ようするに景色を見たい。本当に乗客が少ないローカル線なら、最後尾で窓を開け、曇りを飛ばすところだ。しかし、幸か不幸か乗客は多い。
運転席の窓ガラスは曇っていなかった。景色は見えるけれど、窓枠が小さいので、小型テレビで映画を見ているようなもどかしさがある。しかもその窓は、私のような鉄道好きたちのベストポジションだ。私と京都の青年は、ほかの鉄道好きたちと適時入れ替わりながら前方を眺めた。その立ち位置をほかの誰かに譲ったときは、お互いの旅について話をした。
彼はこれから、能登半島の小さな旅館に泊まり、明日の朝に帰途につくという。旅館に泊まれるとは羨ましい。私は生魚が食べられないので、食事付きの宿は避けている。畳の部屋に布団を敷き、外の音に耳を傾けながらくつろぐ、というスタイルは好きだ。しかし、日本では、どんな山奥でもマグロの刺身が出てくる。要らないというと困った顔をされる。ずいぶん前に角館で旅館に泊まったとき、刺身は要らないというと、その代わりに目玉焼きが出てきた。皿の数を合わせればいい、という問題ではないと思う。だからといって、予約するたびに献立に注文を付けるのも気が引ける。
そんなたわいのない話を乗り継ぎ駅の穴水まで続けた。穴水の手前はかなり乗客がいる。では、乗客が少なくて廃止されるという穴水以北は、いったいどんな状況なのだろう。私たちにわかっていることは、少なくとも、運転台の後ろでカメラを構えている人々は、これから先も行動を共にするということだった。
小さな窓から景色を眺める。
第95回以降の行程図
(GIFファイル)
-…つづく