第394回:流行り歌に寄せて No.194 「山谷ブルース」「友よ」-その2~昭和43年(1968年)
私が中学2年生だった時の担任のF先生は、まだ大学を出て教師になってから2、3年しか経っていない20歳代半ばくらいの女性で、知的で美しい方だった。
彼女はホームルームの時間になるといろいろと工夫を凝らして、私たちに考えるチャンスを与えたり、胸を打つ話を用意してくださったりした。但し、以前にも書いたが、かなり乾ききっている地域の中学生たちの中には、なかなか心を開かない者も少なくなかった。
ある時、F先生は太宰治の『走れメロス』を朗読してくださり、読まれている途中でご自分で感極まって涙を流された。そこで、「先生なんで泣いとるの、なんか悲しいとこあったんかなあ、この話に」「だれが泣かした。悪い奴がおるでかんわ」などと、茶茶を入れてくる者が数人はいるのである。
またある時は、テープレコーダーを重そうに抱えてきて、「今日はみんなに素敵な曲を覚えてもらいたいんだわ」と再生ボタンを押された。流れてきたのが、その前の年に発表された『友よ』だった。そして謄写版で印刷した歌詞のプリントを全員に配られ「歌ってみようよ」と言われて、自ら歌い出したのである。
中には「<夜明けは近い>って何回くり返し歌わせるの? もう、たるなるがや(疲れてしまうぜ)」と途中からやめてしまう者も何人かはいた。けれども、音楽の時間に教えてもらう歌とはかなり違う雰囲気であり、何か連帯感のようなものが生まれてくるような気がするのか、思いの外多くの生徒たちは、先生に合わせて声を出していた。
<夜明けは近い 夜明けは近い…>。当時、まわりとほとんど馴染めず、かなり屈託した思いでいた私は、「本当に夜明けは近いのかな。やっぱり、そんなに近いとは到底思えないけれど…」そう考えて、口を大きく開かずにぼそぼそと口真似だけをしていた。
しかし、今まで聴いたことのないメッセージ(後から知った言葉だが)のようなものが含まれた単純な詞に、少しずつ傾倒していった記憶がある。
「友よ」 岡林信康・鈴木孝雄:作詞 岡林信康:作・編曲
岡林信康、高石友也 ザ・フォークキャンパーズ:歌
友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの 炎をもやせ
*夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある*
友よ 君の涙 君の汗が
友よ むくわれる その日がくる
*くり返し
友よ のぼりくる 朝日の中で
友よ 喜びを わかちあおう
*くり返し
友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの 炎をもやせ
*くり返し
岡林信康と共に作詞者として名を連ねている鈴木孝雄は、ザ・フォークキャンパーズのメンバーの一人だった。ザ・フォークキャンパーズは、関西フォークキャンプに参加したシンガーによって結成された出入り自由な音楽ユニットのことである。
昭和42年夏に高石友也、ザ・フォーク・クルセダーズ、中川五郎らが出演し、歌と討論をあわせた催し、第1回関西フォークキャンプが、100人の参加者を集めて、京都は高雄の神護寺で開かれた。これは、その後全国各地で行なわれるフォーク集会の先駆けになったものである。
(私の頃は会場もかなりも近かったので、友人があの狂乱の「第3回中津川フォークジャンボリー」に行ってきたという、ただそれだけで彼は一時的にヒーローになったりしていた時代だった)
さて、インパクトの強い<戦いの炎をもやせ>というフレーズは鈴木孝雄によって生み出されたものだと、岡林は語っている。全体の詞の中でも、際立つ言葉である。おそらく、その後に展開する数多くの反戦や、公害阻止など、市民運動、学生運動で多く歌われた理由は、<夜明けが近い>ととともに、この歌詞に共感したことによるものだと思う。
この曲のコーラスに参加している高石友也は、岡林を歌の世界に誘(いざな)った人である。岡林が最初にコンサートで高石の音楽を聴いた時、自分の言葉で曲を作り、歌っている姿勢に、衝撃的なほどの深い感銘を受けたという。それと同時に、「この程度なら俺もやれる」と思ったことを、前回ご紹介した平成19年の日比谷野音でのコンサートでの中で、冗談っぽく語っていた。
岡林が同志社大学生時代に東京の山谷、高石友也が立教大学生時代に大阪の釜ヶ崎で働いていたことは、東西の大学と勤務地がたすき掛けになっていて興味深い。同じような体験をしたことが、二人の関係を深めたことは考えられると思う。
現在、岡林信康73歳、高石友也78歳。二人の友は、今でも<夜明けは近い>と歌ってくれるのだろうか。それとも、前回書いた、最近の岡林が『山谷ブルース』の最後の5番の詞を歌わなくなったように、もう既に封印をしてしまったのだろうか。その疑問を、今投げかけることは、もしかしたら大変無遠慮なことかもわからない。
-…つづく
第395回:流行り歌に寄せて No.195 「花の首飾り」「廃虚の鳩」~昭和43年(1968年)
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