第342回:流行り歌に寄せて No.147 「夢は夜ひらく」~昭和41年(1966年)
昭和41年9月5日、園まりの歌でポリドールから発売されたものが、『夢は夜ひらく』が世の人々に知られた最初のものだった。
もともとは練馬少年鑑別所(いわゆるネリカン)で少年受刑者たちによって歌われていた曲を、曾根幸明が採譜・補作したものである。
その後、何人の人々によって、詞を替え、曲調を変えて歌われたことだろう。昭和41年だけでも、
緑川アコ:歌 水島哲:作詞 クラウンレコード
藤田功、愛まち子:歌 大高ひさを:作詞 テイチク
梅宮辰夫:歌 日本コロムビア
バーブ佐竹:歌 藤間哲郎:作詞 キングレコード
とそれぞれのレコード会社による競作になっている。ちなみに藤田功は、曾根幸明の歌手の時に使う芸名である。
さらに昭和45年には藤圭子による大ヒット、46年の三上寛のアングラ的なヒットをはじめ、数十名の歌手により歌われてきている。藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』というタイトル以降は、新しい詞が提供されたものには、その歌手名が冠されたものがおきまりのようになっていった。
例えば『芽衣子の』『亜紀の』『おミズの』『ちあきの』『バタヤンの』『ひろしの』『ミーコの』といった風にである。ご存知の通り、梶芽衣子.八代亜紀、水原弘、ちあきなおみ、田端義夫、五木ひろし、牧村三枝子による歌唱、それぞれが別の詞なのだ。
七五調を3回繰り返す。最初の2回を受けて、もう1回、そして「夢は夜ひらく」と結ぶ。確かに詞を載せるには、最適な曲かもわからない。
「夢は夜ひらく」 中村泰士、富田清吾:作詞 曾根幸明:作曲 園まり:歌
1.
雨が降るから 逢えないの
来ないあなたは 野暮な人
ぬれてみたいわ 二人なら
夢は夜ひらく
2.
うぶなお前が 可愛いと
云ったあなたは 憎い人
いっそ散りたい 夜の花
夢は夜ひらく
3.
嘘と知りつつ 愛したの
あなたひとりが 命なの
だからひとりに させないで
夢は夜ひらく
4.
嘘と誠の 恋ならば
誠の恋に 生きるのが
切ない女の こころなの
夢は夜ひらく
5.
酔って酔わせた あの夜の
グラスに落ちた 水色の
忘れられない あの涙
夢は夜ひらく
6.
恋して愛して 泣きました
そんな昔も ありました
思い出しては また涙
夢は夜ひらく
夢は夜ひらく
昭和41年に出されたものでは、園まりが最もヒットしているが、緑川アコ版も多くの人々の心を掴んだようである。先に書いたように、水島哲の詞によるものだが、1番だけ挙げてみると―
いのち限りの 恋をした
たまらいほど 好きなのに
たった一言 いえなくて
夢は夜ひらく
このような詞になっている。園の方が、柔らかく甘い声で、拗ねたような大人の色気を漂わせるものならば、緑川はドスを効かせた恨み節といった趣を持っている。その後の藤圭子や梶芽衣子に通じる歌い方で、出てきたのが時代的に少し早かったのかもしれない。もう少し後だったら、さらにヒットしていただろうと指摘される方もいる。
さて、私は小学校時代、園まりのファンだったから、昭和41年の第17回NHK紅白歌合戦で彼女がこの曲を歌った時、とてもうれしかったが、できれば家族みんなとではなく、一人でこの曲を聴きたいと思っていた。まもなく11歳になろうとしていた少年時代の、気恥ずかしい想い出である。
-…つづく
第343回:流行り歌に寄せて No.148「勇気あるもの」~昭和41年(1966年)
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