第900回:信用を失った最高裁判所
柄にもない政治の話になると、どうにも暗い面ばかり目につき、話は愚痴っぽくなってしまいます。
三権分立、立憲、司法、行政を分離し、政府の行き過ぎをコントロールする民主主義の基本的な政体がアメリカで崩れつつあります。確か三権分立の思想はモンテスキューが唱え始め、それを一番忠実にかつ高らかに謳ったのがアメリカ憲法ではなかったかと思っていました。
ところが、ギャロップ調査で大半のアメリカ人はもはや最高裁判所を信用していない、と出たのです。(まだ信用しているが47%、信用していないが53%でした)
政府の官庁の中で、他の省庁に比べ常にいつも一番信用されてきたのが最高裁判所でした。
アメリカで最高裁判所の判事は9人います。死んだり、病気になり本人の意思で退職しない限り、終身保証された職業です。終身雇用は一時的な政変、政局に左右されない立場であるために必要な処置なんでしょうね。
欠員ができた時、次の候補者を指名する権限は大統領にあります。その候補者を議会に呼び、様々な質疑をした上で決定しますが、もちろん多数を占める政党が決定権を持つことになります。この人選が最高裁に大きな影響を及ぼします。もともと政治的に中立な裁判官などいませんから、チェック・アンド・バランスが微妙に揺れ動きます。アメリカの三権分立の建前が交差するのが最高裁判所の判事の人選なのです。
そして今、トランプが前期大統領を務めた時に最高裁判所の判事に欠員ができ、送った判事が3人もいるので、共和党系保守派が6人、で古くから頑張っている民主党系が3人と、バランスが崩れてしまったのです。それまで振り子のように右、左に揺れ動き、辛うじて?民主主義の牙城を守ってきたと信じたいのですが、それが崩れてしまったようなのです。
アメリカで保守派というのはガチガチのキリスト教徒を指します。
一旦、堕胎は母体を守る意味でも合法化されていたのですが、最高裁判所がそれを取り消し、非合法にしたのです。そして、銃火器の規制を取り払い、オバマ前大統領がなんとかアメリカから銃による悲劇をなくすために規制を設けていたのを元の木阿弥どころか、前にも増して簡単に銃を購入できるようにしてしまったのです。
もう一件、私が関係していた教育関連のことですが、大学の教職員を雇用する時、学生を入学させる時、“アフィルマティヴ・アクション(affirmative action;積極的格差是正措置)”と言って、もし同じレベルの入職、入学希望者がいた場合、少数民族の方を採用、入学させなければならないという法律がありました。そうでもしなければ少数民族、アメリカの場合は主に黒人、ヒスパニック、インディアンですが、彼らが高等教育を受けるチャンスがなくなるからです。
この法案はいわば、少数民族保護のための第一歩、教育から始めようというものでしたが、これもトランプの意向を汲んだ最高裁判所が廃止を採決してしまいました。
どうにも最高裁判所まで政治色に染まってきたのです。こんな状態ですから、民主主義の牙城であるべき最高裁判所をもはや信用できないとするアメリカ人が多数を占めるようになって当然だと言えます。政権に左右される司法は信用を失って当たり前なのですが…。
日本では、現在の最高裁判所の判事の名前を知っている人は非常に少ないでしょう。選挙で投票する時、最高裁判所判事、長官の罷免の可否が問われるそうですが、ほとんどの人はこの人誰?といった認識しかないんじゃないかとウチのダンナさん、コメントしています。
ひるがえってアメリカでは、顔写真付きで四六時中マスコミに流れます。そして色分けもはっきりしていて、あの判事はトランプが送り込んだヤツだとか、アンチ・アボーション(堕胎反対運動の旗手)だとか知れ渡っています。果ては個人的なこと、スキャンダラスなプライバシーまでマスコミを賑わします。超然主義など存在しないのです。
多くの人が危惧してることですが、司法権の独立は失われ、大統領権が立法権を持つ議会と裁判所までセリ出しているのです。
信用されなくなった最高裁判所、行政権力に動かされる判事たち、票を得るためだけ堕胎絶対反対を唱える保守派キリスト教の議員たち、大統領様さまのイエスマンばかりで固めた側近たち、大統領法令を違憲だと知りながら、即座に対処しない最高裁判所判事たち、アメリカが信奉していいる民主主義が崩れ始めているように見えるのです。
第901回:マナーとエチケット
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