第581回:オーティズム(自閉症)と人生相談室
教職に就いてから40年近くになります。17、8歳の生徒さんから見れば、ほとんど彼らのお婆さんと同じ年齢になりました。
この40年で生徒さんが大きく変わりました。精神的、心理的な問題を抱えた人が多くなったのです。一昔、イヤ四昔というべきでしょうか、以前は“オーティズム”(Autism;自閉症)の人は全くいなかったのでしょうか? それとも、まだ“オーティズム”という一種の精神病が認められていなかっただけでしょうか? 少なくとも、大学までは進学しなかったのか、教室にはいませんでした。
今現在、25人の教室に“オーティズム”、もしくはそれに類する生徒さんが5人はいます。“オーティズム”ははっきりとした精神病で、時折理由なしにパニックに陥ったり、極々些細なことで感情が爆発したり、狭い自分の世界に閉じ篭る傾向があります。
自分の好きなことには異常な集中力をみせ、天才的な記憶力を示すこともあります。昔なら社会性、協調性のない、すぐにブチギレするどうしようもないヤツ、使いものにならない人としてまとめて片付けられていたグループです。とんでもない我がままで、自己中心的な子供として仲間外れにされていたのでしょう。
それが、一種の精神病だと認められ、本人の意思ではとてもコントロールできないパニックに突然襲われたり、外からの刺激を一切シャットアウトする症状になることが判ってきたのです。
親が自分の子供が“オーティズム”ではないかと疑い、精神科医のところに連れて行き、その子供も親も“オーティズム”を理解し、受け入れていれば問題を抑えることができるし、子供の将来も開けてきます。しかし、世の大半の親は、自分の子供が何らかの精神的ハンディキャップを負っていることをなかなか認めようとしません。隣の子供や同じ教室の生徒と同じだと思いたがるのです。当の本人は、学校でも近所でも馬鹿にされ(実際には全くバカではないのですが…)、協調性が全くないので、イジメられ、引き篭もることになります。
今、私の授業に出ている生徒さんで、3人が始業の前に事務所に来て、自分は“オーティズム”だから、急にパニック・アタックになった時、教室を離れることを許してもらいたいと、きちんと言いに来ました。今までのところ、授業を離れたのは3、4度、しかも5分以内に戻ってきています。パニックになった時は外から見ても、それとはっきり判るほど顔色が変わり、文字通り真っ白になり、手が震えていました。
ナタリーは初めから自分は“オーティズム”だと言いに来たました。それは良いことで、私にとってもとても助かります。しかし、しかしなのです。その時、ナタリーは自分の生涯をすべて微に入り細に入り、親兄弟のことを延々と語り、いかに偏見とイジメの中で育ったのかを3時間半に渡って語ったのです。
“オーティズム”の症状として、全く周りの空気が読めず、自分だけの狭い環境がすべてと思い込んでいる場合が多いのですが、ナタリーはその典型でしょうか、それとも、自分の話を聞いてくれるカッコウの相手が出てきたとばかり、語りに語ったのかもしれません。その日、私の仕事は全くできませんでした。
そして、ナサニエル君がいます。彼は相当な自閉症で、何か私に伝えたいこと、言いたいことがあって事務所に来るのでしょうが、人と目を合わせることを全くせず、こちらから質問しても、彼の口から返事らしきものが出てくるまでに、3~5分かかります。
さらに、スティーブン君が来ます。彼が私の授業に来るようになって8年以上になると思います。彼は黒人で、ゲイです。人当たりもよく、良い社会人になれそうだと思うのですが、被害妄想というのでしょうか、寮のルームメイトが自分を殺そうとしているとか、誰それは黒人に対して強い偏見を持っていて差別するとか、これまた長々と語るのです。
カリーさんは髪の毛をピンクに染め、丸々とした体にタトゥーだらけの明るい人です。ところが、自分が何よりも可愛いと信じきっている小型犬を抱いて教室にやってくるのです。それまで、私はカリーさんと、とても良い関係だったと思うのですが、私が教室にペットを連れてくるのは止めるよう注意してから、授業にさえ出てこなくなったのです。
学内で偶然出会った時、もう私のクラスを辞めたのかと尋ねたところ、「私のペットを連れて行けないところは、どこにも行かない。だって、盲導犬も、時々赤ちゃんを連れて来る生徒もいるのに…」と言うのです。確かに、私は何度かやむを得ない事情で子供、赤ちゃんを授業に連れて来ることを許したことがありました。赤ちゃんが泣き出したり、騒ぎ出したら、すぐに教室を離れることを条件にしてのことでした。
カリーさん、目の不自由な人が必要に迫られて盲導犬を使う、人間の子である赤ちゃんと自分のペットの犬を比べること自体が狂っていることに気が付かないのです。
それから、すでに卒業した生徒さんも定期的に事務所にやってきます。そんなこんなで、私の事務所は静かに新しい論文を読むことなど全く不可能で、研究室とは名ばかりで、精神病、心理病、こもごも人生相談室のようになっています。事務所の前の廊下にあるベンチに順番待ちの生徒さんがいつも数人座っているのです。
ナタリーさん、ナサニエル君、スティーブン君、それにジェシカさん、ニック君は常連で、その他にも飛び入りが入りますから、それはそれは膨大な時間が潰れます。そして、彼らは勉強の質問をするのではなく、ただ自分のことを聞いて貰いたいだけで私のところへ来るのです。
元はと言えば、私の気の弱さ、同情し過ぎる性向から、こんな風になってしまったのは承知のうえのことです。学内にコンサルタントがいるし、多少は精神医学の知識を持っているお医者さんもいるのですから、こんなことは私の仕事ではないと思わないではありません。でも、マア~、引退間近なことではあるし、どう転んでもこれから偉い論文を書く可能性はないし、問題を抱えた生徒さんを少しでも助けることができればそれでいいか…と、思っています。
精神的に至極安定しているかのように見えるウチのダンナさん、毎日のように私の報告、愚痴を聞き、「そのウチ、お前の方が、精神科医が必要になってくるぞ」と言うのですが…。
-…つづく
第582回:報道の自由、言論の自由
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