■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)
第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)
第9回:素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)
第10回:半分のオレンジ(前編)
第11回:半分のオレンジ(後編)
第12回:20歳。(前編)
第13回:20歳。(後編)
第14回:別嬪さんのフラメンコ人生(前編)
第15回:別嬪さんのフラメンコ人生(後編)
第16回:私はインターナショナル。(前編)
第17回:私はインターナショナル。(後編)

■更新予定日:毎週木曜日




第18回: ナニワのカァチャンの幸せ探し(前編)

更新日2002/08/22 

アミーガ・データ
HN:Haruko
1968年、大阪生まれ。
1994年よりスペイン生活、現在9年目。
バレンシア在住。

「親の心、子知らず」という言葉がある。また、こうも言う。子に深い愛情を注ぐ親の心がわかるのは、自分が子を持って親となったときなのだ、と。


Harukoには、3人のとびっきり可愛い子どもたちがいる。進んでお母さんを手伝う美形のお兄ちゃん、巻き毛と欠けた前歯がチャーミングな女の子、そして愛嬌たっぷりの弟で、年齢はちょうど七・五・三。「ほんまに宝やねん。もしこの子らが死に直面したとして、私の腕の1本や2本で助かるんやったら、こんなもん『ハイハイどうぞ取ってってやー』ってすぐあげれるで。そんなん、当たり前や」 宙に腕を差し出すような格好をしながら、カカカカ、と気持ちよく笑う。

親心を知らない私は、まず驚いてしまう。母親とは、みんなそんなものなのか? そして彼女の曇りない笑顔に、心底惚れ惚れとしてしまう。なんて格好良いカァチャンなんだろう!


子どもたちに囲まれた現在の姿からはちょっと想像できないのだが、Harukoは10代の頃からずっと「子どもはできない体」だと言われてきた。強度のホルモン分泌不全による、生理不順。大好きだった祖母の死による精神的なショックが引き金になったのかもしれない。毎日薬を飲み続ける日が、8年間も続いた。医者の「今は体外受精などの手段もあるから」と慰める言葉も、かえってやるせない気分になるだけだった。

何も知らない周囲からの「Harukoちゃんにじきに子どもができて、」というような何気ない一言に、「あぁ、私は不良品なんや……」と落ち込み、劣等感に押しつぶされそうになる。20代、男女の交際となると、結婚の話になることも少なくない。そのたびに「私のことまだたいして知らんのに、なんで簡単に結婚って言えんの」という違和感があった。そして「不良品」な自分への劣等感。結婚への夢や希望など、なかった。


Harukoと移住先スペインとの出会いは、「なんとなく」だった。たまたま入ることになった大学で、たまたま第二外国語としてスペイン語を選んだ。理由はフランス語は発音とオカマみたいな先生が性に合わんし、ドイツ語はなんか疲れそうやし、中国語は漢文わかればなんとか通じそうなかんじやから、という消去法。運良くスペイン語との相性は良かったようで、「スペイン語の歌詞を1曲覚える」というユニークな試験でも好成績を収めた。とはいえ、その頃は留学を考えるほどには熱心でなかったという。

卒業後は、大手電器メーカーへ。学校推薦枠ということで決まった就職先だった。そこで営業事務に配属され、毎日深夜まで残業する日々がはじまる。

もともと小学生時代から責任感が強く、いつも班長をつとめていた彼女。それについてストレスを感じたことはなく、周囲からも「いつも元気でいいねぇ!」と言われるようなキャラクターだった。だが、心が気づかなくても身体が先に危険信号を出すこともある。知らないうちに、小学生で円形脱毛症になっていた。

入社1年目、勤務歴15年のベテランの仕事をそっくり任される。やりがいがあるし、楽しい。そう思って残業をこなしながら頑張っていたら、その冬、吐血して倒れた。即入院。誰が見ても、過労であるのは明らか。組合も動いた。そこに上司がやってきて「どうしたの?」ととぼけたことを訊くので、「はい、鮭の骨が喉に刺さったんですよ。気ぃつけなあきませんねぇ」ととぼけて答えたら、彼はそのまま会社に報告したらしい。会社に戻ったら、上層部からは「鮭の骨を喉に刺して吐血入院したアホな社員」と思われていた。


「なんで、ここにおるんやろ?」 急にバカバカしくなった。どうしてもやりたいわけではない仕事を、倒れるまで頑張って。挙げ句の果てが、これかいな。

それまでの人生を、振り返ってみた。語学ができれば後々何かと便利だろうという動機でとりあえず選んだ大学に入り、学校推薦であっさりと決まった大手企業に入り、そして今、好きでもない仕事をして一日が終わる。積極的に選択したことのない、流されっぱなしの「ダラダラ人生」。それが、すごく嫌になった。

 

 

第19回:ナニワのカァチャンの幸せ探し(後編)