一泊5,250円の格安ビジネスホテルは朝食も出るらしい。しかし私は夜明け前にチェックアウトした。いよいよ今回の旅の目的、可部線に乗る。だがその前に、広島高速交通のアストラムラインに乗りたい。アストラムラインの始発駅は本通(ほんどおり)で、広島駅からは離れているが、繁華街の中心の地下である。アストラムラインの始発は6時だが、市電はそれより少し遅い。だから、まだ暗い街を市電の駅ひとつぶん歩く。街は静かで朝らしい清々しさだ。東京の繁華街のように、だらしなく前夜を引きずっていない。
歩道にぽっかり口をあけた階段を下り、人のいない改札を抜けた。ホームには始発電車が待っている。バスのような小さな車両が6つ繋がり、地下鉄のように車内の蛍光灯をギラギラと光らせていた。乗客は私の他に、ジャンパーを来た男性がひとり。発車間際にスーツ姿の二人連れが駆け込んで「やっぱり始発はすいているなあ」と話している。通勤時間帯はかなり混むのだろう。車両側だけではなく、ホームにも扉があって、落下防止や空調維持に役立てている。新しい路線だな、と思わせる。
アストラムラインは広島市北部の生活の足である。
地下区間は都心部だけで、次の城北を過ぎると高架区間まで登りつめる。広い国道54号線の真上を北上し、広島インターの手前で左にカーブする。国道ではないけれど、広く整備された道の上だ。アストラムラインは、これらの道路の通勤渋滞を解消するために作られた。ところが建設時には50トンもの高架路盤が落下し、真下を走っていたクルマを押しつぶすという悲惨な事故を起こしている。ただでさえ渋滞する道路だから、迂回路も無かったのであろう。建設中も道路を通行可能にしていたために、12人も亡くなっている。
真下を見るから事故を思い出すのであって、遠くを見れば良い景色である。オレンジ色の街路灯が軌道のすぐ下にあり、空港の誘導灯のように、進路に沿って並んでいる。そこから広がる住宅地は、中国山地の裾の部分にあたるので起伏が多く、地形の変化がおもしろい。眠そうな街を見下ろしていると、丘から太陽が顔を出した。
朝の空気に包まれて、広島近郊を行く。
車窓右側に大きな競技場が見える。サッカーチーム『サンフレッチェ広島』の本拠地、広島ビッグアーチだ。その最寄駅が終点の広域公園前である。近くに運転免許試験場があるらしいが、特に見るべき物はなさそうだから、すぐに引き返す。しかし始発駅には戻らず、三つ手前の白島で降りた。広島電鉄の白島とは、JRの線路をはさんで反対側に位置している。地図によると、JR可部線の起点の横川駅まで歩いて行けそうだ。太田川を渡り、遊びながら小走りで登校する子供たちや、自転車を連ねた高校生とすれ違う。実際に歩いてみるとかなりの距離で、横川に付く頃には汗ばんでいた。
山陽本線の横川駅は広島の隣の駅で、可部線の電車は広島から直通している。可部線のホームには高校生が大勢いる。朝のラッシュアワーである。そこに広島発可部行きの電車が到着した。座席はほぼ埋まっている。年配者が多いし、通勤とは逆方向なので、おそらくこの人たちも可部の先の三段峡を目ざすのだ。紅葉のピークは先週だったらしいが、その名残を求めているのかもしれない。
可部線は全線単線で、横川から三段峡まで約60キロを結んでいる。計画では三段峡から日本海側の浜田を結ぶ路線で、工事もかなり進捗していたが、国鉄の赤字が累積すると工事が停まってしまった。完成すれば山陰と山陽を結ぶ亜幹線になるはずであった。当初の目的を果たすことなく、途中の可部から三段峡までは廃止される。
電化区間は通勤路線として君臨する。
なぜ横川から可部までは存続するかといえば、広島への通勤圏として宅地開発が急速に進んだからだ。乗客が見込める部分はしっかり設備投資されて、存続区間は電化工事が施された。線路の複線化は叶わなかったけれど、各駅で必ず上下の列車がすれ違う。限界まで列車を増発しているのだ。確かに上り列車は通勤客が多い。
電車区間の終点、可部に着く。ここから先が廃止区間で、さぞ寂しい状況になるだろうと思ったが、意外にも乗車待ちの列が長く伸びていた。私と同じ電車で降りた人々だけではなく、可部までバスで来た人たちが、ひとあし早く並んでいた。
駅員が数名、メガホンを携えて乗客の整理に当たっている。今日は平日だし、鉄道ファンの記念乗車にしては時期が早い気もする。見たところ、年配者や女性が多く、ごく普通の三段峡への観光客のようである。普段は2両編成のディーゼルカーが運行しているが、今日はさらに2両増結するという放送があった。紅葉シーズンだとは言え、三段峡とはそんなに人が集まる観光地なのだろうか。
可部から先はローカル線。ディーゼルカーが運行する。
どうも赤字線らしくない。廃止される路線というより、観光客でドル箱の路線である。幸いにも席が見つかったが、通勤ラッシュのようにどんどん乗客が増え、すし詰め状態になった。立っているお客さんは、これから約1時間半をこの状態で耐えなければならない。途中の駅から乗車する人はもっと気の毒で、なんとか声をかけて隙間を作ってもらっていた。なにしろ赤字線である。この列車に乗らなければ、次の列車まで1時間も待たなくてはいけない。ある駅では遠足の幼稚園児が10人ほど待っていて、車内がどよめいた。
車内に顔を向けると立ち客と目が合って気まずいから、積極的に車窓を眺める。可部線はほとんどの区間を太田川に沿っていて、線路の古さを感じさせる。川に沿い、適度な平地を見つけて鉄橋で対岸に渡る、という線路だ。最近の路線のように、目的地までトンネルと鉄橋で真っ直ぐ結ぶのではないから、目的地を急ぐ人にはじれったいが、車窓を眺めるには好都合だ。空と、空の青を映した川に緑の山が挟まれる、という景色が続く。川幅が広くなると対岸の山が写り込み、線対称の風景になる。砕石場や産廃処理場など、灰色の施設も目立つが、それ以上に空・山・川の景色が見事だ。
太田川と離合しながら走る。
線路に沿うこの川こそ、さきほどの散歩で橋を渡った太田川である。下流へ行くと、原爆ドームの横を流れ、枝分かれした河口は宇品港にも注いでいる。広島市にとって母なる川であり、その源流が終着駅の三段峡の先にある。川が変化する風景が絵巻のようで、こんな良い眺めの路線を廃止するとは本当に惜しいことだ。
終着駅の三段峡で、車内に詰め込まれた人々が一斉に吐き出される。駅前には、この列車に接続して三段峡の中腹へ向かうマイクロバスの便があり、乗客が多いので3台も待機している。歩いて三段峡に分け入る人も多い。私に与えられた時間は4時間で、三段峡散策にはぎりぎりだから、ここでのんびりするわけにはいかない。雑踏を通り抜けてバスに乗り込んだ。赤字ローカル線の終着駅のような、寂寥とした風情はなかった。
マイクロバスは三段峡を迂回するように国道191号線を快走する。運転手のガイドの口調が軽妙で、綾小路きみまろというタレントの語り口に似て、車内の叔母さんたちにうけている。
「前方に見える山が深入り山です。山全体がもみじに覆われて、紅葉で真っ赤に染まります。しかしみなさんは遅かった。どうか想像してください」たしかに、いまはただの禿山であった。
三段峡の名所のひとつ。黒淵。
道の行き止まりの殺風景な場所で降ろされた。ここからは木製の道標を頼りに散策することになる。まず三段滝へ、そこでひと休みして戻り、時間の都合で二段滝は諦める。あとは延々と渓流沿いに山道を下って三段峡駅に戻る、というコースだ。滝へ向かう道は上下が厳しく、身体がきしむほどだが、下り道はいくらか楽だ。森林に囲まれ、渓流を見下ろし、黒淵を舟で渡った。季節外れの紅葉があり、そのはかない紅の色に足を止める。森林浴の成分が効いてきたのか、山歩きが楽しくなってきた。三段峡は楽しい施設がある場所ではない。しかし、心地良くなれる散歩道であった。
三段峡には列車の発車15分前に戻った。やはりたくさんの人々が列をなしている。残念ながら席にはありつけそうにない。さんざん歩いて疲れた足で、1時間半も立ちっ放しである。紅葉が終わっても、これだけの人々が訪れる。大手私鉄なら、通勤路線としては赤字でも、観光特急をどんどん走らせて大儲けするだろう。
他のローカル線と同様に、可部線にも廃止反対運動があった。しかし、争点は生活需要のみで、バスで代替可能であったから、その声はJRを揺るがすことはなかった。廃止の理由は経常赤字だけではなく、老朽化して架け替えが必要な鉄橋や、崩落しそうなトンネルの補修費用が大きかったからかもしれない。観光路線として三段峡を中心とした開発を、政府が進める日本観光キャンペーンと合わせて整備すれば、可部線は廃止にならず、快適な観光特急が走り、一年中賑わったかもしれない……。
苦行のような車中で、そんな夢想に耽っていた。
■第37回~41回
の行程図
(GIFファイル)
2003年11月17-18日の新規乗車線区
JR:61.2Km 私鉄:53.5km
累計乗車線区
JR:15,616.7Km 私鉄:2,410.6km
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