第748回:十円玉の表 - 京阪電鉄 宇治線 -
中書島駅を発車した電車は、右に逸れるように本線と別れた。直進した先に堤防が迫り、ここから宇治川に沿って美月橋駅に着く。車窓に堤防が迫り、鵜飼いで有名な宇治川の水面は見えない。線路は支流の山科川をなぞって、やっと線路が上って堤防の高さと並んだところで川が見えて、桃山南口駅に着いた。そばにSLまたはロケットみたいな銀の建物がある。ネットで調べると、歯科医院などが入居するオフィスビルだった。中書島駅から席が埋まるくらいの乗客がいたけれど、ここで半分くらいが降りた。平日だからか、宇治まで行く観光客は少ないようだ。

宇治川に沿うけれど堤防に遮られる
京阪電鉄宇治線は京阪電鉄のなかでもっとも古い支線だ。開業は1913(大正2)年6月1日。京阪電鉄本線の開業が1910年だから、わずか3年後。しかも工期は約4ヵ月だったという。全長7.4kmという短さとしても早かった。急いだ理由は明治天皇の崩御だ。1923年7月に神宮外苑で大葬儀が執り行われ、翌日に埋葬された。明治天皇の遺言により、墓所が桃山御陵とされた。すでに国有鉄道の奈良線桃山駅があったけれども、桃山駅は相武天皇陵や豊臣秀吉の伏見桃山城に近い。明治天皇陵はその隣接地に作られ、桃山駅から遠ざかった。

沿線はベッドタウンだ
一方、宇治川電気鉄道は1906(明治39)年に電気軌道として出願し免許を得ていた。宇治は平安時代より貴族の別荘があったところで、貴族が京に定住すると、狩りなどの遊興地となった。その後、平等院などが創建されて著名な観光地となっていた。宇治川電気鉄道の目論見も観光輸送と参拝輸送を兼ねたようだ。しかし日露戦争後の不況で資金難にとなり着工できなかった。そこに京阪電鉄が注目した。

黄檗(おうばく)駅 近くに禅宗の一派「黄檗宗」の総本山がある
ただし、京阪電鉄は本線の経営が安定してから着手しようと、早期建設には消極的だった。地元から建設要請が相次ぎ、建設資金の目途が立ったところで、こんどはルート選定で迷う。中書島から分岐したのち、宇治川の西岸にするか東岸にするか。西岸は沿線に集落が少なく、建設費が安く、宇治に直結できる鉄道として集客できる。東岸は茶畑を営む集落が多く沿線からの乗客を期待できる。しかし土地買収費用がかさむ。

京阪電車のデザイン基調はグリーン。私の好きな色だ
そんなときに明治天皇が崩御し、桃山御陵の建立が決まる。1年後には周年祭で大勢の参拝客がやってくる。そこでアクセス路線として宇治線に白羽の矢が立った。東岸ルートに決定し、桃山南口駅を通した。集落が多かったという東岸ルートは住宅地として発展しており、駅付近はマンションやアパート、続いて戸建て住宅地、六地蔵駅付近にマンションが建つ。目論み通り沿線からの乗客が多そうで、観光路線の趣ではない。
宇治線の六地蔵駅から徒歩5分の場所にJR奈良線と京都市営地下鉄東西線の六地蔵駅がある。こちらの開業は新しく、JR奈良線の駅は1994(平成6)年、地下鉄東西線の駅は2004(平成16)年だ。宇治線のおかげでベッドタウンとして発展したところで、JRが中間駅を新設して乗客を獲得する。上手いことをやるもんだと思う。私鉄がJR駅の近くに駅を作るときは、私鉄側が「会社名+駅名」とするところだけれど、京阪が先だ。譲れない。しかし京阪電鉄側は伏見区桃山町だ。JR六地蔵駅は宇治市六地蔵にある。JRとしては正当なる六地蔵駅だと言いたい。

まもなく宇治駅
そんな意地の張り合いがあった過当かはわからないけれど、二つの六地蔵駅は山科川を挟んで対峙する。川が利用エリアを分けているから間違いにくいかもしれない。残念なことは地下鉄六地蔵駅だ。もう少し先に延ばして川の下に駅を作れば、六地蔵駅同士を結ぶ連絡通路を作れただろう。京阪電鉄と京都市営地下鉄は完全に競合するから遠慮したのだろうか。ちなみに、京阪宇治線もJR奈良線も、ひとつ先は木幡駅で両駅の道のりは徒歩5分。さらにひとつ先の黄檗駅は京阪宇治線もJR奈良線がほぼ接触している。

プラットホームから改札まではちょっと歩く。JR奈良線の下を通る
ところが終点の宇治駅は離れている。JR奈良線は右にカーブして宇治川を鉄橋で越える。京阪宇治線は宇治川の堤防で終了。プラットホームから改札口に向かう途中でJR奈良線の高架下を潜っていく構造になっている。かつては線路が通っており、京阪電鉄宇治駅は線路の南側、宇治橋のとなりにあった。しかし、道路に面してバスターミナルや駅前広場を整備するため、駅を後退させたという。私はその駅前広場を通って宇治橋を渡った。

京阪電鉄宇治駅。設計は南海特急ラピートを手がけた若林広幸氏。手前の広場が旧駅だった
平安時代から歴史があるだけに、宇治には名跡が多い。なかでも平等院は筆頭だろう。実は今回の旅で宇治線の沿線を調べるまで、平等院が宇治にあるとは知らなかった。修学旅行で必ず背立ち寄る場所だと思うけれども、私の修学旅行は中学で東北、高校で倉敷だったから、思春期の経験から京都奈良が欠落している。会社員時代に任天堂の宇治工場に挨拶し来たことがある。ただし最寄り駅は近鉄京都線小倉駅だ。宇治市の西端である。

JR奈良線の電車が京阪電鉄宇治駅を横断する
宇治橋を渡ると、平等院正門を示す看板があった。となりの2車線道路が表参道だ、しかしとなりの細い石畳のほうが歩きやすそうだ。これは見事な誘導で、この道沿いに観光客向けの宇治茶は販売店や抹茶スイーツの店などが並んでいる。抹茶や和菓子、抹茶ソフトクリームなど興味をそそられ、どさくさに紛れるようにたこ焼き屋とラーメン屋がある。これらは帰りに見聞しよう。まずは平等院を目指す。街道風の道を5分ほど歩くと鳳凰堂の拝観受付があった。

鳥居の左側が平等院の近道
その先には池があり、朱色と黒い瓦屋根の建物が見える。これが鳳凰堂だ。平等院の土地は平安時代の9世紀頃に源融(みなもとのとおる)が別荘とし、天皇に継承され、藤原道長の別荘「宇治殿」となった。道長の没後、永承7(1052)年に息子の頼通が寺院にしたという。鳳凰堂は翌年の永承8(1053)年に建てられた。しかし建立時に鳳凰堂の名はなく、後年、江戸時代までに鳳凰堂と名づけられたという。鳳凰は中国の伝説の鳥で、吉兆の縁起がある。

実物の平等院鳳凰堂、10円玉と同じだ
池に沿って時計回りに歩き、正面から鳳凰堂を眺めた。大きな中堂から左右に廊下(翼廊)が延び、中堂の裏側から池の端へ渡る廊下(尾廊)がある。線対称の美しさは鳳凰の羽を広げた姿である。それにしても私の感想は「これが10円玉の絵柄になった建物か!」だった。半世紀以上も眺め続けた10円玉、その表の図柄。法的に効果の表裏は定めていないと言うけれど、造幣局では便宜的に製造年がある側を裏というそうで、鳳凰堂は10円玉の表の顔である。それと同じ形の建物が、立体的にそこにある。やっと実物に会えた。ロケ地探訪、聖地訪問のような、不思議な気分であった。

角度を変えても美しい鳳凰堂
せっかく実物を見に来たからには、10円玉に描かれなかった景色も見たい。私は池を一周するように巡り、鳳凰堂を360度から眺めた。内部に入れないと思ったら、ガイドツアーに参加すれば見られるという。拝観券には宝物展示施設の入場料も含まれていたけれど、私はひとめぐりで満足した。とくに、穏やかな水鏡に映った鳳凰堂を眺められて良かった。学生服の修学旅行生もいて、記念写真を撮っている。あの頃に来てみたかったと、また少し悔しくなった。

帰りの電車は10000系だった。客室と運転席の仕切り窓が大きくて前面展望がよかった
-…つづく
第748回の行程地図(地理院地図を加工)

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