サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 7 歌 邪悪な魔女アルチーナ
第 2 話: 魔術にかかったルッジェロ
さて前回は、アストルフォから言い含められていたにもかかわらず、邪悪な魔女アルチーナの魔法にかけられ、ルッジェロが妖艶な美女に心奪われてしまったところまでお話しいたしました。
しかしそれにしても、凛々しき騎士ルッジェロともあろうものが、しかも運命の女性ブラダマンテのことさえ忘れ果て、どんなに美しくとも見知らぬ魔性の女に、かくも簡単に心を奪われていいものか、とあなただって思うでしょう。
しかし、それこそが邪悪な魔女の魔法の恐ろしさ。すっかり魔法にかかってしまったルッジェロは、自分の目で現に見ている情景こそが真実で、この女性はアストルフォが言っていた魔女とは違う、あるいは彼の言っていたことは嘘に違いないと思い込み、それ以外のことには全く考えが至らなくなってしまったのだった。
それこそが魔法の魔力。なかでもアルチーナが操る魔法は、夢想という幻の力、恋の病という抗しがたい力を操る妖術。愚かにも、そんな魔法にかけられてしまったルッジェロの頭のなかは、一刻も早くこの美女と愛を交わしたいということで一杯になってしまい、それ以外のことは何も考えられなくなってしまったのだった。
しかも妖艶な美女、実は魔女のアルチーナは、そんなルッジェロを焦らすかのように、その前にまずはお食事を、などと言い、血が逆流して胸も頭も破裂しそうになったルッジェロが、それでも言われた通りに上の空で庭に設けられたテラスに向かうと、そこには、食卓を取り囲んで妙なる調べを奏でる学士や、それに合わせて唄を歌う乙女たちがいた。
もちろんそれらもまた天国もかくやと思われるほどに美しく、一目見ただけでウットリと、何もかも忘れ果ててしまいそう。それにもまして美しいアルチーナのその姿。そんなこんなでルッジェロの心も体ももはや限界。それを察し、そうなるまで焦らしに焦らしていた魔女アルチーナは、そっと目を伏せてルッジェロの手を取ると、ゆっくりと彼女の寝室へと誘い、そして取り巻きの小姓や侍女たちに目配せをして、彼らを去らせた。
白い絹のレースに覆われたベッドの布はどこまでも滑らかで、アルチーナが、ちょっと目を瞑っていてくださいねと微笑みながら言い、ルッジェロが言われた通り目を閉じると、耳にサラリと衣擦れの音がして、どうやら素肌に甘い香水を纏《まと》わせているのか、辺りに芳しい香りが漂い全身を溶かす。
そっと誘うかのように妖女の小さな声が聞こえて目を開ければ、素肌に再び薄衣《うすぎぬ》をまとった体の、その美しいこと美しいこと。まるで自ら光を放っているかのような体から溢れる淡く美しい柔らかな光。香水の甘い香りに酔ったルッジェロが妖艶な美女を激しく抱き寄せ、輝く女神の体を妨げる薄衣を剥ぎとれば、二人はもう、たゆたう愛の海の中。
そうして一夜が、あくる日が、そうしてもう一日が過ぎた。嗚呼、凛々しき騎士ぶりもすっかり失せて、邪悪な魔女に爪も牙も切り取られ、精気さえ吸い取られ尽くされそうになってしまっているルッジェロのその不甲斐のなさ。
そんなどうしようも無い男のことはさておき、それにつけても気がかりなのは、天馬に乗って空の彼方へと消えてしまったルッジェロを見上げたまま取り残されてしまったブラダマンテのこと。
第7話、第3歌では、彼女がそれからどうなったかをお話しすることにいたしましょう。
-…つづく