サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 7 歌 邪悪な魔女アルチーナ
第 3 話: 正気に戻るルッジェロ
邪悪な魔女アルチーナの美貌と魔術の虜になってしまった情けないルッジェロのことはさておき、かわいそうなのは、天馬に乗って空の彼方に消えてしまったルッジェロを探し続けた清廉な乙女騎士ブラダマンテ。
第3歌、第4歌でお話しいたしましたように、ルッジェロを探す道行で、醜男で、口から出まかせの嘘しか言わない奸佞漢(かんねいかん)ブルネルが持つ、全ての魔法の力を消し去る指輪をブラダマンテが奪ったのは良かったけれど、ブルネルの口車に騙されて深い穴の底に真っ逆さまに落ちたブラダマンテ。乙女騎士の命運もこれまでかと思いきや、ここで死なせてはなるものかと、物語の神様のはからいか、握りしめた蔦のクッションに救われてかろうじて死ぬのを免れたブラダマンテが、穴の底から続く洞窟に入ってみれば、そこは大魔術師マーリンの霊が祀られた地下の宮殿。
そこで出会ったマーリンの霊を護る良き魔法使いメリッサから、やがてブラダマンテとルッジェロが結ばれることが記された魔法の知恵の書を読み聞かせられ、喜び勇んで再びルッジェロを探す旅を続けたブラダマンテだったが、どこを探していいかもわからず、途方にくれた挙句に、もう一度、最後の望みをかけて良き魔法使いメリッサに会いに行った。
ブラダマンテが来ることを予知していたメリッサは、乙女騎士の姿を見るやいなや、魔法の力でルッジェロの居場所を探し、手短にルッジェロが今どこにいて何をしているか、どんな窮地に陥っているかを話した後、事は急を要すのでとブラダマンテを説得し、救出には私が行くと言って、ブラダマンテがブルネルから奪った魔法の力を消し去る働きを持つ指輪を借りると、ルッジェロのいるところへ急行したのだった。
悪しき魔法にかかったルッジェロに近づくにあたってメリッサは、かつてサラセンの地で、幼いルッジェロを優れた騎士へと育て上げたアトランテ、天馬を操る老人に姿を変えて、ルッジェロの前に姿を現した。
ルッジェロはかつての恩師が、いきなり目の前に現れたのに驚いたが、どうやらルッジェロにまだわずかながら正気が残っていたと見え、恩師の話は流石にルッジェロの耳にも素直に入り、自分がすっかり魔女に、しかもアストルフォに気をつけろと言われたアルチーナにたぶらかされているのだとわかった。
そしてメリッサから、死に物狂いでルッジェロを探し周っているブラダマンテのことを聞いたルッジェロは、胸が張り裂けそうになった。さらにアルチーナの魔法にかかって我を忘れていた自らの愚かさに押しつぶされそうになってアルチーナを懲らしめに行くと言うルッジェロに、アトランテに姿を変えた良き魔法使いメリッサが言った。
ブラダマンテがお前のために知力と気力を尽くして手に入れたこの指輪を
そして私が清廉な乙女から預かってきたこの指輪を持っていくがいい。
これをはめれば、自分が見ていたものが何なのかが
お前を堕落させ精気を吸い尽くそうとした
女の正体がわかるだろう。
魔法の力を消し去る指輪をはめた途端、ルッジェロの視界から城が消え、楽士たちが消え、美女たちが消え、あらゆるものが消え、あたりは灰色の枯れ木ばかりの荒涼とした藪になった。そこにポツンと一人の醜い老婆が立っていた。それが妖艶な美女の本当の姿だった。
魔法が解けてしまっていることを悟られぬようにしてルッジェロはアルチーナに近寄り、自分を陶酔させた偽りの魅力の、底知れぬ蠱惑(こわく)の海の底へと自分を引きずり込み、そこら中にある枯れ木のようにしようとした邪悪な魔女の正体を正面から見据えた。
それは全身が皺だらけの歯が抜け目も落ち窪み、男の精気を吸い取ることでかろうじて生きてきた、あわれなまでに醜い老婆だった。
自分の愚かさ浅はかさがルッジェロの胸を刺した。何も言わずにルッジェロは老婆をその場に残し、自分が向かうべきだった、清らかな乙女ロジスティーラの城を目指した。
さてこの続きは第8歌にて……
-…つづく