第194回:年賀状とクリスマスカード
年末から年始にかけて、日本で過ごしました。
年が明けてから、まとめて配達される年賀状をお姑さんの家で横から覗いていて、普段、音信のない人からの挨拶があり、あの人はまだ元気で暮らしているとか、孫が何人できたとか、一枚一枚読むのは一年を始めるのにふさわしい伝統ですね。
年賀状が、お正月にまとめて配達されるのは素晴らしいアイデアですし、それを実行している郵便屋さんも立派です。
西欧の国々にはキリスト教徒であるかどうかにかかわりなく、クリスマスカードを送る習慣があります。最近では、キリスト教臭さを抜くために、ただ"Happy
Holiday"と書かれたカードが多くなりました。カード会社は稼ぎ時とばかり、様々に意匠を凝らしたカードを売り出します。値段もカードに封筒が20枚付き、7、8ドルのものから、1枚5ドル以上のものまでピンキリです。それに郵便切手代が必要です。私のところへは50通くらいのカードが毎年届きます。その中に同じカードが一組もないので、市場に出回っているカードの種類は何千、何万とあるのでしょう。
クリスマスカードは、送り主が投函した順に普通の郵便と同じように配達されますので、昨年の例ですと一番早いクリスマスカードは11月末に届きましたし、一番遅いのは4月になってから届きました。これは筆不精の極みの私の親からでした。言い訳がましく、「Happy
Holidayを祝うのに遅すぎることはない」などと書いてありましたが、もう1年遅らせて、今年のクリスマスに届いた方が良かったくらい、記念碑的に季節外れ、時宜を逃したおかしなクリスマスカードになっていました。
年賀状が官製はがきというのもとても優れたアイディアです。印刷された、形式的な挨拶に加えて、手書きで一言近況を書くだけのスペースしかなく、「孫が生まれました」「退職していよいよ年金生活にはいります」「昨年は大病をしたけれど全快しました」「どこそこへ越しました」と、簡単に一筆、俳句のように書かれており、普段ご無沙汰している人にはそれで充分なのでしょう。
義理のお姉さんたちも、本人が出し忘れた人からきた年賀状に、懐かしみながら返信しているようで、お正月の日を年賀状をめくりながらゆったりと過ごしているのを見ると、つくづく年賀状は良いものだと思わずにはいられません。
たとえ、年賀状の半分以上がダイレクトメール的なもの、政治家からのもの、もう何年も会っていない親類や友達からのものでも良いではありませんか。
年賀状には、伝統、形式に従うことの安心感があると思います。「あけましておめでとうございます」といったところで一体何がめでたいのでしょう。毎年繰り返される決まり文句の、「今年も良い年でありますように」という紋切り型の挨拶にしても、そんなに毎年毎年、良い年になるわけがないのですが、そんな挨拶にも他の人の幸せを願う、優しい思いやりがこもっているように思います。
ウチの元日本人らしきダンナの仙人は、年賀状もクリスマスカードもほぼ半世紀一切書いたことがありません。それでいて、筆まめに手紙やメールは書くのですが、妙に伝統的形式に従うことに拒絶反応があるでしょう。
年賀状、暑中見舞いには、日本の形式美と呼んでいい伝統が持つ安定した感覚、感情があると思うのですが、ウチのダンナさんの方はさっぱり分かっていないようなのです。
年賀状を書き、送るときにもやはり、繰り返される決まり文句の挨拶の中に、本人にとっての来年への期待、希望がこめられているのでしょう。
年賀状は美しい日本の伝統だと思います。
第195回:カレンダーと不思議な記念日
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